[[艦種別リスト>キャラクター/艦種別]] > ''ドイッチュラント''

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#contents
*基本情報 [#o602c0d6]
|CENTER:450|CENTER:84|CENTER:90|CENTER:84|CENTER:90|c
|~No.245|>|>|>|~プロフィール|
|&attachref(./ドイッチュラント.jpg,45%);|~名前|>|>|ドイッチュラント|
|~|~レアリティ|>|>|SR|
|~|~艦種|>|>|重巡|
|~|~陣営|>|>|鉄血|
|~|~建造時間|>|>|建造不可|
|~|~CV|>|>|上坂すみれ|
|~|~イラスト|>|>|不可燃物|
|~|~耐久|A|~火力|A|
|~|~雷装|C|~回避|C|
|~|~対空|C|~航空|E|
|~|~航速|>|>|22|
|~|~SD|>|>|&attachref(ドイッチュラント.gif,nolink);|
|>|>|>|>|~自己紹介|
|>|>|>|>|わたしはドイッチュラント級A番艦――ドイッチュラント!&br;こんなに高貴なわたしは安々と戦場に駆り出されるわけにはないから、戦果が少ないのは当然なのよ?&br;スピリチュアルリーダーよ!わかる?なに?りゅ…「リュッツォウ」は誰ですって?うるさいわね…そんなこと知るもんか!|
|>|>|>|>|~入手方法|
|>|>|>|>|「[[鏡写されし異色>イベント14_鏡写されし異色]]」のイベント海域でドロップ B1、B4、C4、D1、D4|

|>|>|>|>|>|>|>|>|~ステータス(MIN/MAX)|
|CENTER:61|CENTER:95|CENTER:95|CENTER:61|CENTER:95|CENTER:95|CENTER:61|CENTER:95|CENTER:96|c
|~耐久|691|3571|~装甲|>|中装甲|~装填|65|153|
|~火力|56|265|~雷装|41|191|~回避|7|18|
|~対空|29|134|~航空|0|0|~消費|3|11|

|~装備枠|~初期装備|~補正(MIN/MAX)|~最大数((各行動時に攻撃を行う砲座数や艦載機数))|
|CENTER:120|CENTER:369|CENTER:160|CENTER:160|c
|重巡主砲|[[283mmSKC28三連装砲]]T1|110%/140%|1|
|魚雷| |130%/130%|2|
|対空|-|100%/100%|1|
|設備|-|-|-|
|設備|-|-|-|

|>|~スキル名|~効果|
|CENTER:60|CENTER:150|LEFT:610|c
|&attachref(img/ポケット戦艦_icon.jpg,nolink,45%,ポケット戦艦);|ポケット戦艦|駆逐、軽巡に与えるダメージが15%(最大レベルで35%)アップ|
|&attachref(img/全弾発射-重巡_icon.jpg,nolink,70%,全弾発射-ドイッチュラント級);|全弾発射-ドイッチュラント級I|自身の主砲で9回(IIで6回)攻撃する度に、全弾発射-ドイッチュラント級Iを行う|

//スキルアイコン→&attachref(img/スキル名_icon.jpg,nolink,70%);
//改造時に習得するスキルは色変え→BGCOLOR(#e9eefd):

|>|~上限突破|
|CENTER:60|LEFT:771|c
|~初段|全弾発射スキル習得/主砲補正+5%|
|~二段|魚雷装填数+1/開始時魚雷+1/主砲補正+10%|
|~三段|全弾発射弾幕強化/主砲補正+15%|

|~全弾発射スキル|~特殊弾幕スキル|
|CENTER:415|CENTER:416|c
|&attachref(ドイッチュラント弾幕.gif,nolink);|-|

上記情報の参照元:[[http://wiki.joyme.com/blhx/>http://wiki.joyme.com/blhx/%E5%BE%B7%E6%84%8F%E5%BF%97]]

*着せ替え [#l6f16cf2]
#region(着せ替え画像を開く)
|>|~漆黒の魔姫|
|&attachref(ドイ_漆黒の魔姫.jpg);|&attachref(漆黒の魔姫.gif);|
|>|「[[鏡写されし異色>イベント14_鏡写されし異色]]」のイベント補給報酬|
#endregion

*ボイス [#q0d1e494]
#region(クリックでセリフ一覧を開く)
|~入手時|あたなはもうこのドイッチュラントの下僕よ?光栄に思いなさい。それから、「うん」はダメ、返事は「はい」よ?わかった?|
|~ログイン|随分時間が経ったね…一体どこで油を売っていたの?|
|~詳細確認|こんな時は…どうあってもあなたを処罰しなくては…|
|~メイン1|下等生物の言葉で話してあげなくてはね|
|~メイン2|ハハハハ、先通りがかりの重巡洋艦二隻を驚かせたら逃げちゃったわ〜|
|~メイン3|ぼんやりしたいなら、わたしはもうしらないわよ〜|
|~メイン4| |
|~メイン5| |
|~タッチ|あんたって本当に懲りないね…わたしのムチがそんなに恋しいの〜?|
|~タッチ2|うん〜?楽しんでるようね〜こういうの好きなの?|
|~タッチ3| |
|~任務|ミッション!わたしの辞書には未完成という文字はない!|
|~任務完了|はやく報酬をもらってちょうだい!|
|~メール|下等生物の言語で書かれた手紙よ、持っていきなさいな|
|~母港帰還|油断しない!この馬鹿!母港に帰ったって終わったわけじゃないのよ|
|~委託完了|ふん、子羊たちが委託を完了したようね。意外とやるじゃない|
|~強化成功|下等生物の分際でよく分かってるじゃない|
|~戦闘開始|楽しい掃討になりそうね|
|~勝利|相手は大したことないのに…まったく大げさね〜|
|~失敗|沈没したってあんたらのような下等生物に投降するものか!|
|~スキル|残酷で、可憐で、うふふ…|
|~損傷大|このドイッチュラントを見くびるとはね……!|
|>|BGCOLOR(#FFFFFF):COLOR(GRAY):CENTER:~▼好感度系|
|~失望|あなたへの興味がなくなったの。さて、新しいペットでも探そうかしら|
|~知り合い|戦争を笑って楽しむのはどれくらいの愉悦か、あなたのような下等生物には理解できるはずがないわ!あははは!|
|~友好|下等生物、全力でわたしを楽しませるものを探しなさい。ははははは!|
|~好き|ライオンは羊の群れの考えを気にしないものよ。……けどあなたは確かに面白い下等生物だわ。わたしをもっと楽しませたら、願いぐらい聞いてあげるわよ!|
|~ラブ|ここまでわたしを楽しませた褒美として、わたしを抱き上げる権利を与えるわ!何とぼけてる?お姫様抱っこ、聞いたことないかしら。…お姫様抱っこよ!|
|~ケッコン|まさかこのわたしもこんな下等生物と契りを交わす日が来るとはね……この感じ、初めてなのに意外と楽しいわ。はははは!いいわ!今日からあなたが乗り物二号よ!ありがたく思いなさい!|
#endregion

*ゲームにおいて [#y943775b]
12/26〜1/12に追加された鉄血重巡。
イベント限定マップのドロップ限定の為、入手難易度はかなり高い。
**性能 [#bf41d1f4]
-概要
スキルは強力な部類に入るが重巡の中でもワーストの回避と速力の低さが足を引っ張るので、補助が必要となる。
もともと重巡とは一線を画す存在の艦だったためか火力は断トツ、雷装も上位に食い込むという高い攻撃力を誇るが
魚雷の補正値は低いまま。上位装備を積むほど一般的な雷装型重巡とは使用感が異る。
弾幕は通常弾と徹甲弾が密集して織り交ざっている。
キャラの前方へ>型に大量の徹甲弾を発射するのに加え、ショットガン型の通常弾まで撃つ。
徹甲弾部分は完全に固定された発射形状をしているが、通常弾の方は拡散角度が異様に高く、弾道が全く安定しない。
全弾正面へ撃ったと思いきや次は全て正面より下方向へ撃ったりするなど、異様なまでのブレを見せる。
ただし中距離であればばらけることなく固まっているため、発動位置が重要だが正面に陣取っていれば集中直撃の大ダメージになる。
重巡砲の発射間隔で9回と、1凸だとまずお目にかかれない時間が必要になるため、全弾発射に期待するなら3凸は必須。
対空が重巡ワーストかつ中装甲であるため空襲にはめっぽう弱い。何らかの補助は不可欠。
上述の回避・速力も合わせて防御面は全体的に苦手。攻撃型重巡としては耐久はあるが防御スキルもないので耐久力に信用はない。
基本は真ん中配置で被弾を少なくするのが良い。編成や装備立ち回りは慎重に。

-専用装備[[283mmSKC28三連装砲]]
前衛砲でありながら戦艦のような投射型の弾を撃つかなり特殊な砲。
弾道には攻撃判定がなく着弾点周辺に攻撃判定が広がるようになっており、いわゆる「普通の前衛艦用の砲」に比べると左右に狭く上下に広い判定を持つ。着弾までが非常に早く、まともな位置関係であればまずヒットするうえ、投射型なので標的との間に他の敵艦や重巡シールドが存在するなどして射線が通っていない状態でも飛び越えて直接攻撃できる。
★4はイベント報酬で1本確実に入手出来る他、箱からも出る。
基礎威力が203mmSKC以上に高く、ドイッチュラント自身の火力の高さやスキル効果もあり、実戦において弾種による対軽装甲へのデメリットは感じにくい。
一方で、射角内かつ射程内にいる標的のうち最も遠いものを狙うという特殊な照準パターンとなっており、他艦と別の敵を狙うことでオーバーキルを抑えられる利点がある反面、単艦運用では扱いづらい面がある。
強力な砲ではあるが、尖った性質からかなり好みが別れると思われる。

-運用
--海域
高い火力でMVPを取りやすい。特に敵がスキル対象であればその効果はより高まる。
もし[[グラーフ・ツェッペリン]]を使った陣営縛りをする場合、他の陣営と比べて火力の低い鉄血においては貴重な存在となる。
ただし低い耐久、対空は真ん中置きで対処する必要がある。
よって同じ編成に他の低耐久は使いにくい面もある。
できれば回復用軽空母や工作船、さらにヒッパー級のシールドなど、別の耐久補助があるとさらに安定する。
--演習
相手との相性によって活躍の差が激しい。低い耐久が仇となって早々に落ちてしまいがち。しかしエルドリッジやジュノーなど長期戦になると厄介な相手には、持ち前の火力と特攻スキルが相まって切り札になり得る。(鉄血艦隊縛りの場合、他の前衛が火力不足のため起用せざるを得ないとも言える)
--耐久力不足はどう足掻いても覆せないため、「如何に落ちるまでにダメージを稼ぐか」という、一種の特攻艦的な運用が求められる。
命中、回避を上げるSGレーダー、落ちるときに全員回復する[[真珠の涙]]がオススメ。

-スキル
--「ポケット戦艦」
前衛の駆逐・軽巡相手にダメージが上乗される。演習と通常双方で重宝される。
主砲、魚雷、全弾発射に乗る。衝突ダメージは不明。

**オススメ装備/編成 [#rdb1030b]
-主砲
--[[203mm連装砲B]]…★4榴弾砲。2列の砲弾を2回放つ。203mmAを榴弾に弾種変更したそのままの使い勝手。軽装甲の敵が多く出るステージで有効。
近距離でも取り回しがよくオート向け。砲火力と全弾発射の併用を狙うならこれ。
--[[203mm三連装砲改]]…★4榴弾砲。3発ショットガン型を1発放つ榴弾砲。発射時間も短く、射撃が一回で終わるためこの中では攻撃間隔は最速になる。
どちらかといえば全弾発射を重視した構成。オート向き。
--[[283mmSKC28三連装砲]]…★4専用砲。投射型徹甲弾3発×2回による範囲攻撃。着弾点周辺に直径1.5キャラ分ほどの攻撃判定を発生させる。
強化値+10でも発射時間の基本値が9秒程と長めだがDPSではトップの強力な砲火力を誇る。投射砲撃を重視した構成。
-魚雷
--[[533mm四連装磁気魚雷]]…★4〜5魚雷。手動接射時もフォローが効き手動でもオートでも中距離を維持したい場合にも便利な魚雷。他駆逐や軽巡にも需要が有るので分配が難しい所。
-設備
--[[ビーバーズエムブレム]]…★5設備。言わずと知れたチート設備。回避と速力を大きく増強できるが駆逐や他軽巡、重巡にも需要が非常高い為奪い合いとなる。
--[[改良型缶]]…★4設備。速力を確保できる希少な設備。ビーバーズはひとつしか入手できないため、有力候補となる。
もうひとつの補正は耐久なので随伴の駆逐艦に載せて速力担当としても良いが、その艦が大破すると途端に鈍足になってしまうので注意。
--[[バルジ]]…★4設備。重巡の鉄板装備。先頭への配置やオート操作では、やはり魚雷対策として欲しい。
--[[SGレーダー]]…★4設備。不意打ち率を下げながら、[[迷彩塗装]]、[[油圧舵]]に次ぐ回避を確保できる。
--[[火器管制レーダー]]…★4設備。命中と火力を増強する事により、高回避の駆逐艦を素早く駆逐できるようになる。主に演習で有用。
-編成
--鉄血編成
---[[Z46]]…低い速力、対空を上手く補う。ドイッチュラントと高火力で敵をせん滅する。
---[[プリンツ・オイゲン]]…先頭において低い耐久を補う。重巡との組み合わせのため、もう1隻は駆逐を選ぶべき。
---[[ライプツィヒ]]…戦術指揮と巡洋艦で火力・装填を上げる。Zシリーズには効かないので注意。
**キャラクター [#j2f3dc02]

公式ツイッターの説明によると「プライドが高く、気分屋な性格。指揮官を下等生物兼下僕と見下しているため、戯れに攻撃をしてくる。
常人には異常と思える行為でも本人は愛情表現としてやっている場合も…」との事。鉄血のやべーやつ。
史実ではスペイン内戦から難民を避難させたり、艦砲射撃で逃げる味方を助けたりしているのに、どうしてこうなった。
「戦果は少ない」と自己紹介しているが商船2隻撃沈、1隻拿捕、ドレーバク海峡無血開城、駆逐艦オブデュリト大破、数多くのソ連兵を吹き飛ばして足止めと
意外と多かったりする。謙虚なのかもしれない。
何故かリュッツオウ(改名後の艦名)と呼ばれる事を嫌がっている。
史実では中破2回、大破3回を経験。そのうち3回が空襲によるものだった。((内訳は座礁事故で中破1、空襲で中破1と大破2、潜水艦の雷撃で大破1。))対空が重巡ワーストなのは、この点を反映したものと考えられる。
一応、戦争末期に対空兵装の充実が図られている。

見た目が完全に敵。悪人風の容姿が多い鉄血の中でも、突出して悪者チックである。海戦に勝利すると[[プリンツ・オイゲン]]同様にサングラスを掛ける。
右手には銃のような物が握られており、戦闘時はこれを使って砲撃をする。艤装にある大きな砲台はどうした。~
性格もドSでありプライドが高い。公式の説明を見るとサイコパスな印象を受けるが、台詞を聞くとそこまでヤバくなかったりする。
当初は装甲艦であったものの、後に重巡洋艦に艦種変更されている。
デビューとなったイベント「鏡写されし異色」では、最初の海域(A-1)のボスを務めた。%%かませ犬っぽいが。%%

座った姿勢+衿部分が邪魔で通常の衣装では分かりにくいが、戦闘力は結構高い。着替えると一目瞭然。

*元ネタ [#o6161fc6]

ドイツ海軍のドイッチュラント級装甲艦一番艦「ドイッチュラント」。
第一次大戦後の退役艦の穴埋めとして、初めて就役した1万トン級艦艇で戦艦並みの砲撃能力と巡洋艦並みの速力を持つ艦として完成した。
ナチス政権においてはリュッツォウに改称し、艦種も姉妹艦「アドミラル・シェーア」、「アドミラル・グラーフ・シュペー」と共に重巡に区分された。
第二次大戦中はノルウェー侵攻を始め様々な戦闘に従事し、1945年4月にイギリス軍の5t爆弾の至近弾で、艦底を損傷し着底。5月に放棄されるまで陸上砲撃支援を続けたという…。
戦後ソ連軍が浮揚して、修理して使おうとするが修理不能と判断され標的艦としてバルト海に沈んだ。

#region(世界に冠たるドイッチュラントくん)
-ドイツ海軍が建造したドイッチュラント級装甲艦一番艦。ドイッチュラントの由来は、ずばり「ドイツ」の国そのもの。敗戦国の屈辱や混乱を味わったドイツは、
再興という切なる願いをこの艦に託して命名した。
-第一次世界大戦で敗戦国となったドイツは、ヴェルサイユ条約によって厳しい制約が課された。建艦には排水量1万トン以下、主砲の口径は28cm以下という制限があり
どうあがいてもクソザコしか造れない絶望的状況だった。だが、そこはドイツ。条約の抜け目を突いたり、血涙の技術力や工夫でとんでもない化け物を造り出した。
それこそが装甲艦ドイッチュラントであった。
--バルト海の制海権を維持するためには、北欧諸国やポーランド、ソ連の海防戦艦に打ち勝つだけの艦が必要だった。このため海軍首脳部は、ヴェルサイユ条約下で
建造できる戦艦の設計に取り掛かった。しかし次々に案が浮かんでは検討・論議されるも、悉く没になった。1923年に出された初期の案では、モニター艦にする
予定だったとか。だが主砲の口径が38cmで条約違反なのと、速力が僅か18ノットしか出せなかったので白眼視された。当然、没になった。
案が出されていくうちに少しずつ洗練化されていき「薄めの装甲に30cm砲6門、速力21ノットの艦」という案が飛び出した。相変わらず口径が条約違反だが、
21ノットの速力はバルト海での作戦に有利としてツェンカー海軍大将とレーダーが好意的に扱った。1927年、この案を更に突き詰めたC型設計が提出された。
「電気溶接の船体にディーゼルエンジンを併用すれば28cm砲6門と10cm厚の装甲、速力26ノットを獲得しつつ排水量を1万トン以下に抑えられる」。
まさに画期的だった。この案がドイッチュラントの原型となった。計画時は仮称艦名として「A」と呼ばれた。
--さっそく装甲艦(パンツァーシッフ)の名称が与えられ、1927年に国民議会によって建造計画を承認された。しかし新艦の建造は政治上の反対が強く、予算が出ない。
そうこうしているうちに1928年5月20日の議員選挙が始まった。選挙が終わっても予算承認はされず、さらに社会主義者の猛烈な反対を受けた。
結局、最終承認が得られたのは11月の事だった。ちなみにこの選挙でナチスが議席12を獲得し、台頭してきている。建造費は8000万ライヒスマルク。
--当初、ドイツはイギリスとフランスの脅威となる艦の建造を示唆して、その艦の建造を中止させる代わりにヴェルサイユ条約からワシントン条約の制約に
変更できるよう仕込んだ。イギリスはドイツの狙い通り変更を認めたが、フランスが反対したため失敗。結局、ヴェルサイユ条約下での建造と相成った。
~
-1929年2月5日、旧式戦艦プロイセンの代艦としてキールのドイチェヴェルケ造船所で起工。1931年5月19日、進水を果たす。式典では軍楽隊による演奏や、
愛国的演説が行われた。パウル・フォン・ヒンデンブルク大統領の手によって命名式と進水式を挙行。この血と涙と汗の結晶を国家の誇りとして
全世界に喧伝するのはハインリッヒ・ブリューニング首相の任務だった。紳士や労働者の前で彼は語った。
「ドイツ国民は様々な束縛を受け、また恐ろしい経済問題を抱えながらも、ヨーロッパ各国との平和共存を堅持していく力のある事を証明してみせたのであります」。
1933年1月より公試を開始し、同年4月1日に竣工した。彼女のために公式テーマ曲「装甲艦ドイッチュラント」が1937年に作曲されている。
--ドイツの宣伝家たちは、ドイッチュラントの排水量を制限の1万トン以下に抑えた独自の設計を大いに持てはやした。実際は1万1700トンと、約20%超過していたが
溢れんばかりの粉飾と数字で喧伝し続けた結果、列強各国は完全に騙された。彼らが真相を知ったのは1945年の事だった。
&color(#c0c0c0){まぁ、排水量の粉飾はどこもやっている事なので特に問題にならなかったけどね。};
--ドイッチュラントの船体は、まさに工夫の結晶体であった。いかに船体重量を減らし、強力な武装を搭載するか。これを至上命題として様々な技術を投入。
まず、世界初の電気溶接技術を船体に使用。クルップ社がドイッチュラントのために電気溶接可能な鋼材を新開発していたのだ。本来のリベット留めと比較して
約15%の軽量化に成功した。更なる軽量化のためディーゼルエンジンを搭載したが、こちらはあまり軽くならず、むしろ騒音や故障、振動に悩まされた。
代わりに最大速力28ノットを発揮できた。
とにかく軽量化に傾倒していたため防御力不足が懸念されたが、巧みな防御配置によってこれを補っている。ダメージコントロールも、1930年代の水準では
最高クラスであった。実際、死の淵から何度も蘇っておりドイッチュラントのしぶとさを如実に示した。
主砲はドイツ海軍初の三連装砲を採用。口径は制限ギリギリの28cmにし、強力な火力を獲得。最大仰角40度、射程は3万6475mに達した。
小型な船体に大口径の砲を載せた事から、イギリスのマスコミから「ポケット戦艦」の異名を付けられた。
司令部を内包した箱型艦橋を採用しているが、重心の上昇を招いたため二番艦アドミラル・シェーア以降は改められている。このため見分けるのは容易である。
--革新的かつ先進的なドイッチュラントの誕生は、周辺各国に大きな衝撃を与えた。28ノットの速力を持ち、28cmの巨砲を持つ装甲艦は非常に大きな脅威だった。
相手が巡洋艦以下であれば優勢な火力を発揮でき、戦艦であれば快足を活かして逃げ切る事が出来る。まさに型破りな存在だったのだ。
特に脅威とされたのが、ディーゼルエンジンを採用した事による長大な航続距離であった。イギリスは通商破壊に投入された場合の被害を想定して震えあがった。
この恐るべきポケット戦艦に対抗するため、フランスはダンケルク級戦艦の建造に着手。そのフランスと地中海の覇権を争うイタリアも対抗のためヴィットリオ級の
建造を開始。これに触発されてイギリスも既存戦艦に改装を加えるようになる等、列強の建艦に影響を与えた。それに伴って周辺諸国からの評価は高かった。
#endregion

#region(戦歴欲張りセット)
&size(18){就役から開戦前夜まで};
-1933年4月1日に就役したドイッチュラントは、戦闘艦隊(日本でいう連合艦隊)の旗艦となる。6月6日、バルト海に進出し海上試験を実施。
12月10日に全ての試験項目を完了した。
-1934年4月、西バルト海で演習を実施。多くの軍首脳がドイッチュラント艦上に集まり、演習の様子を観閲した。その後、ヒトラー総統とドイツ国防軍に
秘密取引の場を提供。ナチス党史には「ドイッチュラント協定」と記された。同月中にヒトラーを乗せて、ノルウェーを訪問。
秘密取引の場を提供。ナチス党史には「ドイッチュラント協定」と記された。この演習で、ヒトラーはドイッチュラントの実弾砲撃を目の当たりにした。
その迫力に魅了された彼は、レーダー提督が示す大型水上艦増強計画に賛同するようになったという。同月中にヒトラーを乗せて、ノルウェーを訪問。
-6月9日から23日にかけて、軽巡[[ケルン]]とともに北大西洋で訓練。8月にスウェーデンのヨーテボリを訪問し、10月にはエディンバラへ公式訪問。
11月12日、ヴィルヘルムスハーフェン所属となる。
-1935年2月21日、ヴィルヘルムスハーフェン工廠に入渠し改修工事を受ける。3月14日、ディーゼルエンジンのテストを行うべく南米に向けて出港。
16ノットの速力で航行し、32日間の航海を経て4月19日に帰投した。夏頃に改修を受け、He60水上偵察機2機と射出機を装備。
10月19日から11月9日にかけて姉妹艦アドミラル・シェーアとともに大西洋で訓練。砲撃や距離測定、曳航の訓練が行われた。その後、エムデンと合流して
ヴィルヘルムスハーフェンにて改修工事を実施。列強の航空機発達を受けて、高角砲を8.8cm連装砲3基6門に換装。更に電波探信儀De-Te装置を新たに装備した。
-1936年春、工事完了。5月29日、ラーボエに海軍記念館が開館し式典に参加した。6月6日から17日までイギリス方面を巡航し、デンマークのコペンハーゲンに入港。
続いて北海やバルト海で戦闘訓練を行った。7月からヘルゴラント沖に移って訓練をしていたが、同月17日にスペイン内戦が発生。訓練を取りやめて本国に帰還する。

-スペイン内戦はファシスト派と共和国派の対決であった。ファシスト派を率いるフランコ総統から支援要請を受けたドイツは海軍とコンドル軍団を派遣。
再軍備宣言から間もないドイツ軍にとって、スペインは新兵器の実験及び練習相手に相応しかった。
1936年7月24日、ロルフ・カールス中将が乗艦する旗艦となったドイッチュラントは艦隊を率いて内戦に介入。コンドル軍団があくまで義勇軍だったのに対し、
艦隊は海軍のまま参加したため戦時国際法違反であったが、何故か国際社会からの非難は無かった。
-ドイッチュラントはファシスト派の支援に回り、情報収集を開始。共和国軍唯一の戦艦ハイメ一世はコンドル軍団の攻撃で入渠しており、ドイッチュラントを
阻める敵艦艇は存在しなかった。共和国軍は潜水艦による雷撃を試みたが、失敗に終わっている。
~
-1937年5月29日、ついに悲劇が起きた。18時40分、バレアレス諸島イビサ島沖で停泊していたドイッチュラントに、共和国軍のツポレフSB-2爆撃機2機が
夕日を背にして接近。すぐに対空砲火が放たれたが、敵機から投下された50kg爆弾2発を喰らい、中破。食堂の前に列をなしていた乗員たちに死傷者が出た。
ご法度だった他国の艦艇に攻撃を加える行為が行われた瞬間だった。船体が炎上するドイッチュラントだったが、ダメージコントロールや護衛の駆逐艦レオパルドの
助けによって一命を取り留めた。日没後、合流したアドミラル・シェーアから軍医を呼び寄せて救助活動を実施。負傷者の多くが火傷を負っていた。
設備が整っているという理由で、英領ジブラルタルに退避。負傷者53名を地上の病院へ搬送した。当初、犠牲者は24名だったが少しずつ死者が出続けて、最終的には
31名が亡くなっている。彼らはイギリス海軍の手によって、ジブラルタルの墓地に一旦埋葬された。
--共和国軍のドイッチュラント攻撃に激怒したのはヒトラー総統であった。報復のため、アドミラル・シェーアや独伊の駆逐艦4隻にアルメリア市砲撃を命令。
5月31日、200発以上の砲弾が撃ち込まれ、市民19名が死亡。町並みは破壊され、メキシコ大使館やカトリック教の大伽藍は原形を留めていなかった。
この事件は「ドイッチュラント号事件」と呼ばれて、大日本帝國でも報道された。
共和国軍は、ドイッチュラントをファシスト派の巡洋艦カナリアスと誤認したと説明している。
--死者は一度埋葬されたが、6月11日にヒトラーの命令で掘り起こされた。遺体をドイッチュラントに載せて、16日にヴィルヘルムスハーフェンに帰投。
艦から棺が降ろされ、翌日に大規模な葬儀が執り行われた。その葬儀にはヒトラーも参列している。その後、キールまで回航され修理。7月に入るまで動けなかった。
-10月5日、スペイン近海に再進出。ファシスト派が制圧した都市を巡航した。11月14日からはイタリア近海で活動し、ナポリでクリスマスと新年を迎えた。
~
-1938年2月11日、ヴィルヘルムスハーフェンに帰投。乾ドックに入渠し、機関室にあった構造的欠陥を修理している。
続く5月、グナイゼナウ就役に伴い旗艦の座を譲渡。8月22日、キールで行われた[[プリンツ・オイゲン]]の進水式典に参加。
-ドイッチュラントがスペインで活動している頃、ズテーテン危機が発生していた。9月26日、ヒトラーはズテーテン地方のドイツ系住民に民族自決権を求め、軍を進駐。
これに伴ってドイッチュラントも出動し、アゾレス諸島とカナリアの間で待機。もしもの時は砲撃の許可も下っていたが、発砲する事無く終息した。
11月12日、バルト海で砲撃訓練。
~
-1939年1月26日、ファシスト派がバルセロナを占領。スペイン内戦はフランコ軍の勝利で終わった。戦勝を祝し、ドイッチュラントはスペインの各都市を訪問。
現地で砲撃訓練を実施し、その威容を見せ付けた。
-リトアニアがメーメルの返還を申し入れ、ドイツの領土に復帰した。3月23日、シュヴィーネミュンデでヒトラーを乗せてメーメルに向かった。
総統閣下は船酔いに苦しめられたが、メーメルに到着すると記念式典が催された。ドイツ系リトアニア人の歓迎を受け、ドイツはその版図を広げた。
-4月1日、期待の新型戦艦[[ティルピッツ]]の進水式に参加。4月17日より春の巡航を実施。北大西洋で大規模な訓練を行った。5月16日、帰投。
6月12日からはバルト海で訓練。その後、ヴィルヘルムスハーフェンに入港し、第二及び第三機械室の土台を強化する工事を受けた。8月23日に出渠。
レーダー提督は、ポーランド侵攻で英仏が宣戦布告してくる事を見越してドイッチュラントとアドミラル・グラーフ・シュペーを大西洋に配備するよう命令。
翌24日、ドイッチュラントは専用の補給艦ヴェステルヴァルトとともに出港。隠密行動を以って北上し、イギリス軍の哨戒線を突破。グリーンランド南方に配置された。

&size(18){第二次世界大戦の勃発};
#region(1939年)
&size(18){通商破壊};
-1939年9月3日、ドイツ軍のポーランド侵攻によって第二次世界大戦が勃発。未曾有の大戦争が幕を開けた。グリーンランド南方で開戦を迎えたが、戦闘行動は
許されなかった。英仏との戦争に突入したが、ヒトラーが和平を望んでいたため攻撃が出来なかったのだ。既に戦端を開いているはずのポーランド船舶にも
攻撃が禁じられた。命令により主要通商ルートから外れ、北極海の流氷の中で戦いの時を待った。
-9月5日、発進した艦載機が消息不明となる。喪失と判定されそうになったが、数時間後に偶然発見されて回収。同月11日と17日と20日に、随伴する
補給艦ヴェステルヴァルトから補給を受ける。
~
-9月27日、ようやく通商破壊の命令が下った。その血をたぎらせ、獲物を求めて遊弋し始めるドイッチュラント。獲物は商船に限られ、軍艦との交戦は不許可。
敵の補給線に損害を与え、かつ自分より劣勢な軍艦にのみ攻撃が許された。イギリス海軍省はポケット戦艦の出撃を察知していたが、所在までは分からなかった。
商船は赤ずきんちゃんの如く、無策のまま狼の待つ大西洋や北海を往来しなければならなかった。
9月30日、バミューダ島・アゾレス諸島間の主要航路に潜伏。獲物の出現を待った。
-10月5日、バミューダ諸島東5600マイルで最初の獲物を発見した。相手は排水量5044トンのイギリス貨物船''ストーンゲート''。主砲を向けて停船を呼びかけた。
恐るべき巨砲が向けられているにも関わらず、ストーンゲートは勇敢に遭難信号を発信。直後にドイッチュラントから砲撃され、撃沈された。
こうして最初の獲物は屠られた。しかし遭難信号を聞きつけてイギリスの戦艦が駆けつけると考えたヴェネッカー艦長は、舳先を北に向けて離脱した。
一方、ストーンゲートの沈没で大西洋にポケット戦艦が暴れ回っていると知ったイギリス軍は、その対応に追われた。
-次なる獲物を求め、全速力で疾駆するドイッチュラント。今度はハリファックス・イギリス間の航路に現れ、10月8日にアメリカ貨物船''シティ・オブ・フリント''を
停船させた。当時、アメリカは英国を支援していたが中立国の立場だったため撃沈はせず、回航要員を送り込んで船体を拿捕した。
--この一件でワシントンは激怒し、強硬に抗議して国際問題へと発展。アメリカの世論を敵に回したくないベルリン政策当局は、貨物船を中立国ノルウェーに
回航するよう命じた。その結果、港で抑留され回航要員はソ連へと連行。船体はアメリカの手元に返った。
--この時から、ヒトラーは祖国の名を冠したドイッチュラントの沈没を極度に恐れるようになった。イギリス海軍との戦闘に巻き込まれる前に帰港させるよう
強くレーダー提督に迫っている。だが通商破壊を続けさせたいレーダー提督は、四方八方手を尽くして作戦の延長を図った。
恐怖のあまり、ヒトラーは眠れない夜を何度も過ごした。
--10月15日午後4時頃、欧州方面で活動していた日本郵船所属の箱根丸は偶然ドイッチュラントと遭遇した。船には、ナチス党大会に出席するため
欧州に出張していた大角大将が便乗。彼曰く「最初はアメリカの軍艦だと思った」そうな。箱根丸の8000m先を約1時間ほど並走した後、
ドイッチュラントは水平線に消えていった。
-10月16日、カナダのニューファウンドランド東方でノルウェー貨物船''ローレンツ・W・ハンセン''を撃沈。イギリスに届けられるはずだった木材は全て沈んだ。
波間には救命ボートが漂っていたが、攻撃も救助もせずそのまま去った。彼らは後にオークニー諸島へ漂着した。
--ヒトラーは毎日のようにドイッチュラントの帰港を迫った。対するレーダー提督も粘り強く抵抗し、三週間以上の時間を稼いだがとうとう膝を屈した。
レーダー提督はヴェネッカー艦長に帰投命令を下した。
-大西洋の荒天は逃げる獲物に味方した。ローレンツ・W・ハンセン撃沈以来、全く戦果を挙げられなかった。そこへ帰投命令が届き、
11月8日にデンマーク海峡を突破。三日後にノルウェー沿岸に到達すると、イギリス軍の目をかいくぐりながら南下し、
11月15日にゴーテンハーフェンに入港した。
ドイッチュラント生還の報を聞き、ようやくヒトラーは胸を撫で下ろした。そしてレーダー提督に相談する事無く、艦名を''リュッツォウ''に改名させた。
--自国の名を冠した艦が撃沈された事による悪影響(士気の低下、連合軍の宣伝材料化)を憂慮した末の改名と言われている。
またアドミラル・ヒッパー級重巡洋艦リュッツォウをソ連に売却しており、襲名や連合軍を混乱させる意図もあった。
名前の由来は、ナポレオン戦争時代のプロイセン軍の将軍ルードヴィヒ・アドルフ・ヴィルヘルム・フォン・リュッツォウである。
プロイセン軍で最も優秀な指揮官とされていた。
-リュッツォウの戦果は商船2隻撃沈、1隻拿捕となった。妹と比べると物足りないが、イギリスに多大な恐怖を与える事には成功した。
ウィストン・チャーチル首相は「この強力な艦が我が国の主要通商ルートにいるというだけで、北大西洋の我が護衛部隊も対潜部隊も、重苦しい緊張を
強いられる事になった。この艦の発する漠然とした脅威を感じているより、実際にこれと砲火を交える方が我々にはやり易かった」と漏らしている。
たった3隻のポケット戦艦のために、各任務から23隻の主力艦を抽出せねばならず、イギリス海軍は頭を悩ませた。

-11月24日、スカゲラク海峡で[[ライプツィヒ]]等とともに敵船舶掃討を行ったが、目立った戦果は無かった。翌日、ヴィルヘルムスハーフェンに帰投。
キールを経由してダンツィヒ港に回航され、次の通商破壊の準備を始めた。
--少し前の11月23日、英仮装巡洋艦ラワルピンディは「ドイッチュラントよりの攻撃下にあり」との緊急遭難信号を発信している。
しかしその時、ドイッチュラントはゴーテンハーフェンに停泊していた。実はラワルピンディは[[シャルンホルスト]]をドイッチュラントと誤認しており、
訂正されないまま沈められてしまった。このためイギリス海軍省は、ドイッチュラントによって沈められたと長らく誤認していたという。
#endregion

#region(1940年)
&size(18){ノルウェー侵攻};
-1940年1月31日、リュッツォウに弾薬が補給される。2月6日、第二次通商破壊の命令を受ける。それに伴って同月16日からゴーテンハーフェンで訓練。
砲撃、雷撃、灯火訓練も実施し、戦備を整えていくが右舷推進軸が氷によって損傷。3月12日、シュヴィーネミュンデに回航され、修理。
到着後すぐに港が凍りつき、しばらく出られなくなる。3月25日、砲撃訓練と傾斜実験が行われた。
-ドイッチュラント改めリュッツォウは、北極海で捕鯨船団の攻撃を企図していた。アドミラル・シェーアは修理中、
アドミラル・グラーフ・シュペーは沈没と動ける装甲艦はリュッツォウしかいなかった。4月初旬にはノルウェー侵攻ことヴェーゼル演習作戦も
控えており、背後のイギリスを撹乱するためにも通商破壊は不可欠とレーダー提督は考えていた。
ところが、ヘルマン・ゲーリングは「リュッツォウもノルウェー攻略に参加すべし」と訴え、ヒトラーもそれに賛同した事から配置変えをされてしまう。
それでも提督は通商破壊を諦めず、ノルウェー攻略後に大西洋へ出られるよう準備を整えた。
-リュッツォウはトロンヘイム攻略を目指す第二戦隊に配備された。しかしリュッツォウは最大24ノットの速力しか出せず、30ノット以上出せる
艦隊の足を引っ張る形となってしまった。司令のギュンター・リュトイェンス中将はリュッツォウを露骨に疎ましく思っていた。
ところが作戦開始の10時間前である4月6日14時、リュッツォウのエンジン台座に亀裂が入っている事が判明。修理していては間に合わない事から
航続距離が短くて済む第五戦隊に転属。応急修理の後、山岳猟兵400名と空軍地上要員50名を乗せた。

-ヴェーゼル演習作戦が発動。4月6日夜、リュッツォウは第五戦隊の一員としてヴィルヘルムスハーフェンを出港、攻略目標の首都オスロを目指した。
4月8日19時6分、哨戒していた英潜水艦トライデントの襲撃を受ける。10本の魚雷を扇状に放ち、リュッツォウの首を狙ってきたが、全弾命中せず。
危機は回避したものの、トライデントの追跡は24時間以上も続いた。
オスロに至るには、狭いドレーバク水道を通らなければならず、ノルウェー軍は多くの要塞をこしらえていた。しかもノルウェー軍はドイツ軍の侵攻を察知し
全ての航路灯を消していた。
-4月9日0時25分、ドレーバク水道に侵入。ラウエイ要塞とボレルネ要塞からサーチライトが照射され、ドイツ艦隊を待ち構えていた。
18ノットの速力で海域を突破しようとしたが、さっそく15cm砲の洗礼を浴びる。旗艦ブリュッヒャーのクメッツ少将は、航海灯を点けるよう命令。
航海灯を点けたドイツ艦隊を要塞側は味方と誤認し、砲撃は止んだ。まんまと敵を欺く事に成功したが接近してきた警備艇に見破られ、通報される。
-午前5時20分、オスカシボルグ要塞や警備艇に発見され本格的な戦闘が始まる。第五戦隊は両岸から激しい砲撃を浴びる。カホルム要塞から魚雷が発射され、
旗艦の重巡ブリュッヒャーが撃沈。リュッツォウにも150mm砲弾が砲塔に撃ち込まれ、火災発生。2名の死者と10名の負傷者を出す。
歩兵を哨戒艇に乗せて、要塞制圧に向かわせたが、容赦の無い砲撃は続く。水道は狭く、満足な回避運動が取れずにいた。
ここでティーレ艦長は全速後進を命令、一旦退却する。

-ブリュッヒャー沈没に伴い、リュッツォウが第五戦隊の旗艦となった。砲台の射程圏外に出ると、ソンスに陸上部隊を上陸。陸路でオスロに向かわせた。
ドイツ空軍が救援に現れ、要塞に急降下爆撃を加えていったが沈黙させるに至らなかった。内燃機船のノルデンが勇敢にも敵前偵察を行うと
申し出たので、リュッツォウは28cm砲で支援。次々に炸裂する砲弾によりノルウェー軍は抵抗できず、ノルデンは無事情報を持ち帰って来た。
敵の士気が低下していると見抜いたリュッツォウ艦長ティーレ大佐は、シュヌールバイン大尉を軍使にしてカホルム要塞に派遣。
司令のエリクセン大佐との交渉の末、カホルム要塞は降伏した。
午後遅く、ティーレ艦長は敵方の提督をリュッツォウに招き、二人きりの会談を行った。「これ以上の流血は避けたい」として、ドレーバクに散在する
軍港や要塞に降伏するよう要請したが、提督は「ドレーバクに権限が無い」と残念そうに断った。
ノルウェー軍の敢闘を称え、要塞にはノルウェーとドイツの国旗が翻った。こうして要塞は無力化され、オスロへの道が切り開かれた。
ブリュッヒャーを葬った魚雷発射管はいつでも撃てる状態になっており、力ずくで突破しようとすれば甚大な被害が出ていたであろう。
周囲の要塞や軍港も水雷艇アルバトロス等によって降伏し、ようやくオスロまで進軍。ところが首都は既に陸軍が占領しており、手柄を取られる形となった。
だがドレーバク海峡を突破した事は評価され、ティーレ艦長には鉄十字勲章が授与された。

-オスロ到着後、戦死者4名が現地で埋葬された。その後、リュッツォウは修理のため本国への帰還を命じられる。艦隊から分離し、単艦で帰路についた。
夜明けを迎えると突破率が下がってしまうため、家路を急いだ。ところが……。
~
-4月11日午前1時20分、艦載のレーダーが1.5km後方より追跡する物体を探知。リュッツォウは回避運動を取ったが、何も起きなかった。
5分後、謎の物体はレーダーから消失。元の航路に戻ったところで悲劇は起きた。
-午前1時29分、ノルウェーからの帰路で英潜水艦スピアフィッシュに雷撃され、4本中1本が艦尾に命中。艦内に激震が走り、15名の乗員が死亡。
爆発の影響で艦尾が千切れかけ、リュッツォウは大破・航行不能となる。破孔からは大量の海水が侵入、エンジンは無事だったが推進軸を吹き飛ばされ、
同じ場所をぐるぐる回り始めた。艦体はゆっくりと左舷へ傾斜し、デンマーク海岸に流されつつあった。
誰もが次に来るであろう止めの一撃を覚悟したが、何故か追撃は無かった。一命を取り留めたリュッツォウは応急修理をしつつ午前2時20分、無線封鎖を破り
東に向けて救難信号を発信した。乗組員全員がライフジャケットを着用し、被害対策班が排水ポンプを稼動させ始めた。
艦載の連絡艇を対潜掃討に駆り出し、満身創痍の艦を護衛する。退艦命令は不可避と思われた。
午前3時5分、救難信号を聞きつけた掃海艇や魚雷艇が救援に現れ、対潜掃討を実施。キールから来た海難救助船に曳航され、帰港を急いだ。
道中、スカゲン救命艇や漁船まで護衛に駆けつけ、多くの小型艦船に守られながらキールに帰り着いた。
こうして、死の淵から奇跡の生還を果たしたのだった。一連の作戦行動で死亡した19名の乗員は、軍による葬儀で弔われた。
-4月14日20時22分、乾ドックで損傷の具合を調査。予想以上の重傷であった。さっそく修理が行われ、企図していた大西洋の通商破壊は露と消えた。
さらに7月9日、キールを狙った空襲に巻き込まれ、爆弾が直撃する。不発弾だったものの修理期間が延びてしまい、年内は満足に動く事は出来なかった。
破壊された艦尾や推進軸を新調。修理と同時に8.8cm連装砲を10.5cm単装砲に換装し、測距儀上に22式レーダーを搭載した。
また艦首をクリッパー型に改装している。船体にはダズル迷彩が施された。
-12月5日、出渠。停泊地へと回航された。
#endregion

#region(1941〜1943年)
&size(18){災難な日々};
-1941年3月28日、リハビリの試運転が行われた。同月31日、やっと戦列に復帰。ソムレアーズ作戦と名付けられた通商破壊を行うべく準備を開始。
-6月11日、準備を整えたリュッツォウは駆逐艦5隻とともにキールを出港。大西洋で通商破壊を行うべく、
出発点であるトロンヘイムに向かっていた。ところがリュッツォウの動向は、イギリス軍の沿岸警備隊によって監視されていた。
翌12日深夜、20機の英軍機が雷撃を仕掛けてきた。600m以内に接近した敵機は魚雷を投下。そのままリュッツォウの艦中部に吸い込まれた。
新任の艦長クライッシュ大佐は敵機を味方と誤認しており、無抵抗のまま雷撃を喰らってしまう。左推進軸を損傷し、大破。航行不能に陥る。
応急修理の結果、午前11時に第二発電機が復旧。駆逐艦に曳航されてスタヴァンゲルを目指した。ぼろぼろのリュッツォウにトドメを刺そうと
イギリス軍は三度の空襲を仕掛けてきた。だが護衛艦艇やリュッツォウの対空砲火に阻まれ、失敗。かろうじて自力航行が可能となり、
ドイツ空軍機も救援に駆けつけるなど良いニュースが入ったが、連続する空襲にクライッシュ大佐の精神はもう限界だった。
結局通商破壊を諦め、護衛の[[ライプツィヒ]]や駆逐艦に守られながらキールに引き返した。
6月14日午後、辛くもキールに生還したものの、また長期の入渠を強いられ年内は動けなかった。
8月8日、艦種を重巡洋艦に変更。連合軍の攻撃はキールにまで及び、9月7日から10月24日にかけて4回空襲が行われている。
~
-1942年1月17日、戦列に復帰。翌18日、キールを出港してゴーテンハーフェンに入港したが、海が分厚い氷に覆われてしまい行動に支障が生じた。
氷が解ける4月頃までリュッツォウは満足に動けなかった。
-4月21日、レーダー提督がリュッツォウを視察。東部戦線の夏季攻勢を支援するべく、5月15日にキールを出港。
ノルウェーに向かった。四日後にトロンヘイムに到着、魚雷防御網に囲まれて停泊した。5月24日、ナルヴィク近辺のボーゲン湾に回航。
-6月3日、第二戦隊の旗艦となりアドミラル・シェーアと訓練。同月27日、スパイからの情報でPQ17船団の出港を確認。これを攻撃すべく
レッセルシュプルンク作戦が発令された。
-7月3日、援ソのPQ17船団を狙ってナルヴィクを出撃。しかし午前3時、霧が濃いストルボーエン灯台沖で座礁事故を起こし、中破。
何も出来ないまま反転し、攻撃を空軍やUボートに譲っている。敵船団が分散した事により、結局水上艦は一発も発砲する事無く撤退。
士気を大きく下げる結果となった。
7月9日、応急修理のためトロンヘイムに入港するが、座礁で生じた傷からディーゼル燃料が漏洩。食い止められるまで海を汚染してしまった。
一ヵ月後、トロンヘイムを出港して南下。
--独ソ戦開幕により、ドイツはカフカス油田から重油の供給を受けられなくなった。代わりに同盟国ルーマニアのプロエシチ油田を頼ったが、産油量が低下。
このため海軍は慢性的な燃料不足に悩まされる。しかしディーゼルエンジン搭載のリュッツォウはその影響を受けにくく、貴重な戦力だった。
-8月12日、シュヴィーネミュンデに回航され修理。空襲警報が発令されていたが、気にする事無く港内で試験航行を実施している。
10月30日に修理完了。11月9日、アルコーナ岬で訓練を行う。
-12月8日、ゴーテンハーフェンを出港。再びノルウェー方面に進出したが、その道中でイギリス軍の空襲を複数回受けた。しかし損傷は無く、
12月12日にボーゲン湾へ入港した。

-12月30日、レーゲンボーゲ作戦に参加。同日午後6時、駆逐艦6隻や[[アドミラル・ヒッパー]]とともにアルテンフィヨルドを出港。
幸運に恵まれれば、ヒトラーに戦果という新年祝いを贈れそうだった。
J5W1B船団をバレンツ海で捕捉し、[[アドミラル・ヒッパー]]とともに攻撃。バレンツ海海戦が生起する。ヒッパーとリュッツォウはそれぞれ3隻の駆逐艦を
率いて、二手に分離。挟撃を狙った。ドイツ艦隊には「相手が優勢なら退避し、危険を避けよ」という命令が出されていた。これが攻撃の自由を奪った。
先にヒッパー隊が敵船団に接近、護衛の駆逐隊と交戦する。午前10時45分、リュッツォウ隊は閉ざされた視界の中で敵味方不明の船舶を発見。
その正体は他でもないJ5W1B船団であった。護衛はヒッパー隊に向かっており、手薄な状態だった。今ここで攻撃を仕掛ければ血祭りに上げられたが、
相手の正体が掴めないとしてリュッツォウ隊は後退。せっかくのチャンスを自ら捨ててしまった。艦長シュテング大佐の用心深さが裏目に出た。
ヒッパー率いる駆逐隊と南北から挟撃しようと試みるが、敵の増援が到着し戦況は不利になりつつあった。
リュッツォウは駆逐艦オブデュリトを大破させただけで肝心の船団には全く手が出せなかった。結局、船団は無傷のままムルマンスクへ入港し、
作戦は失敗に終わった。午前11時49分、クメッツ司令は海域からの撤退を命じた。
-この敗北によりヒトラーは激怒。水上艦の解体命令を下したが、後任のデーニッツ提督の取り成しで実行はされなかった。代わりに練習艦へと格下げとなり、
しばらく出撃できない日々が続いた。この時にリュッツォウを空母化する案があったが、実行されなかった。
~
-1943年1月3日、吹雪に閉ざされたナルヴィクに帰還。記録的な猛吹雪により一時的に本国との連絡が途絶えた。
3月14日、ナルヴィクを出港しアルテンフィヨルドに回航。[[ティルピッツ]]や[[シャルンホルスト]]とともにイギリス軍に威圧感を与えた。
ドイツの大型艦がノルウェーに集結している事から、夏の間は援ソ船団の運行を取りやめている。
-6月23日、北部方面艦隊のシュニーヴィント司令とクメッツ提督がリュッツォウに来訪。その後、ティルピッツと合同訓練を実施している。
7月5日、アルテンフィヨルドに停泊する全戦闘艦が一斉に訓練。
-カラ海での通商破壊が計画されたが、リュッツォウはディーゼルエンジンに不調を抱えていた。これを直すべく7月14日、本国へ帰投するよう命じられる。
同月20日、アルテンフィヨルドを出港。キール工廠に入渠し修理を受けた。完了後、ノルウェーへ戻り、戦隊に復帰した。
しかし通商破壊の件は流れてしまった。
-9月6日、ティルピッツやシャルンホルストが投入されたシチリア作戦(スピッツベルゲン島砲撃)を支援するため、後方で撹乱。連合軍の航空偵察を混乱させた。
-9月21日、ノルウェー北部に居座る脅威を排除すべく、イギリス軍はソース作戦を実施。アルテンフィヨルドに特殊潜航艇「X艇」が侵入し、
ティルピッツに爆薬が仕掛けられて中破する被害が出る中、リュッツォウの攻撃を担当したX8号が事故によって放棄。難を逃れた。
-翌22日、アルテンフィヨルドを出港。護衛の駆逐艦4隻とともに南下し、オフォトフィヨルドに寄港。その後、北極圏を通過して28日にクリスチャンサン入港。
護衛艦艇の入れ替えを行い、出港。翌日、無事にキールへと辿り着いた。続いてゴーテンハーフェンのリエパーヤ造船所に回航され、10月1日に入渠。
翌年2月27日までオーバーホールを受ける。
-10月9日、アメリカ空軍によるゴーテンハーフェン空襲が行われ、病院船シュツットガルトが撃沈される被害が出るもリュッツォウは逃げ延びられた。
#endregion

#region(1944年)
&size(18){巨砲、吼える};
-1944年2月27日、出渠。ヒトラーの命令で、士官学校の訓練艦となりバルト海方面で訓練に励む。3月15日、[[プリンツ・オイゲン]]や魚雷艇、Uボート、
妹のアドミラル・シェーアとともに大規模な演習を行う。旧式戦艦ヘッセンが標的を務めた。
-6月、スウェーデンから鉄鉱石を運ぶ輸送船団を護衛。6月24日には勝手にソ連と講和しようとするフィンランドに脅しの意味を込め、フィンランド湾で演習。
プリンツ・オイゲンや魚雷艇3隻とともにフィンランド政府を威圧した。同月27日に二度目の演習を実施。

-東部戦線では、ソ連軍の一大反攻作戦ことバグラチオン作戦が開始。中央軍集団は総戦力の半数近くを失って西へ潰走。ソ連軍が一気に雪崩れ込む。
彼らを救出するため、生き残った艦艇を集めて7月1日に第二戦闘グループを結成。再び[[アドミラル・ヒッパー]]と組む事になった。
司令官はかつてのリュッツォウ艦長、ティーレ中将であった。
8日、ゴーテンハーフェンを出港しバルト海を航行。大規模かつ最後の訓練で連携を強化した後、艦砲射撃によるソ連軍の足止めを開始した。
-8月9日、増加する敵機の脅威に対抗すべくゴーテンハーフェンで対空兵装を強化。37mm連装機銃2基、40mm単装機銃6基、20mm機銃26基を追加装備する。
--8月20日、最初の支援砲撃が行われた。最後の砦、リガに追い詰められた北方軍集団をプリンツ・オイゲンとともに援護。
リガ湾から、ソ連軍が占領するトゥクムス市を砲撃。28cm砲は対地攻撃には十分すぎる威力を発揮。
陸軍のいかなる重砲よりも強力な28cm砲弾がソビエト兵を吹き飛ばす。目標地域上空を飛ぶ航空機や観測隊、戦車隊からの的確な情報提供により
驚異の命中率を実現。目標物を粉砕するたびに、前線の陸軍部隊から歓声が上がった。
市街地を守備する敵部隊は突然の砲撃に浮き足立ち、何も出来ないままT-34を48両破壊され瀕死となった。午後、シュトラハヴィッツ戦車師団が突撃し
トゥクムス市を制圧。分断されていた北方軍集団と中央軍集団が再接続し、トゥクムス市の南方約40kmにある要衝ドベレの奪回に向かった。
その日の夜遅く、陸軍より感謝の電文が届いた。
--ついにソ連と講和したフィンランド軍は、ドイツ軍を追い出し始めた。9月22日、撤退する味方を支援するためフィンランド軍を砲撃。
砲撃は三日間に及んだ。

-9月27日、ゴーテンハーフェンの造船所に入渠。40mm単装機銃を更に追加し、対空性能を底上げした。
--10月10日から15日までメーメルとソルバメ半島のソ連軍を砲撃。撤退する陸軍の指揮を執り、小型船に乗せてゴーテンハーフェンまで後退させた。
一連の砲撃で28cm主砲292発、150mm砲282発、10.5cm砲121発、40mm単装機銃56発を発射した。
--11月18日、ソルバメ半島のソ連軍が攻勢に出て、逃げ遅れた陸軍部隊は南端に追い詰められていた。支援要請を受けた第二戦闘グループは、
リュッツォウとプリンツ・オイゲンを派遣。11月23日より砲撃を開始した。支援砲撃は36時間に及び、砲弾が尽きるまで撃ち続けた。
弾切れになった後は、アドミラル・ヒッパーとシェーアのコンビと交代。補給に向かった。
この支援砲撃が結実し、陸軍の撤退は完了。ソ連軍が南端に辿り着いた時には既に誰もいなかった。
陸軍のグーデリアン大将から感謝の電報が送られた。
-作戦後、ゴーテンハーフェンに入港。12月18日から数日間、ゴーテンハーフェンを狙った空襲が行われたが幸い被害は無かった。月末、ピラウに回航。
#endregion

#region(1945年)
&size(18){最後の戦い};
-1945年に入っても、リュッツォウの支援は続いた。1月、メーメルにソ連軍が雪崩れ込む。強力な艦砲を以って第1バルト正面軍戦車部隊を撃破し、
鎧袖一触されるはずのメーメルを数週間持ちこたえさせた。続いてバルチースクのソ連軍を砲撃し、港町ピラウから難民が逃げ出す時間を稼いだ。
リュッツォウの艦砲射撃を合図にドイツ陸軍も突撃し、孤立していた首都ケーニヒスベルグへの血路を開いて数千人の難民を脱出させた。
同月中に沈没した[[ティルピッツ]]の生存者約200名が、リュッツォウへと移送されている。
1月28日にメーメルが陥落すると、次にダンツィヒの防衛を命じられる。2月8日、エルビングのソビエト前線を攻撃。
2月19日、再びピラウに寄港し、砲撃支援。砲弾は町を飛び越し、ソ連軍陣地に降り注いだ。
四方八方に奔走する第二戦闘グループは3月3日、シフィノウィシチェ沖に展開。リュッツォウはジブヌフ南方を砲撃した。
-3月6日にシュヴィーネミュンデへ入港。弾薬と燃料の補給を終えるとすぐに前線へ復帰した。3月23日にはゴーテンハーフェンとヘラ半島の防衛に奔走。
リュッツォウの奮戦虚しく、ダンツィヒは3月30日に陥落した。
続いてゴーテンハーフェンを包囲するソ連軍を砲撃。守備隊に立て直す時間を与えたが、こちらも4月7日頃に陥落。
-ヘラ半島で孤立した陸軍の撤退支援を行うべく砲撃。ソ連軍の攻勢を退けながら、脱出する兵員を乗せた小型艦艇の護衛に従事。
多くの難民や味方部隊を救ってきたリュッツォウであったが、その艦体は限界を迎えつつあった。砲身は焼きただれ、燃料は尽き、弾薬も残っていなかった。
-一方、連合軍の攻撃も凄まじく、4月9日にアドミラル・シェーアが転覆した事でドイツ戦艦最後の1隻となる。リュッツォウの艦砲射撃に
苦杯を飲まされ続けてきたソ連軍最高司令部は、イギリス軍にリュッツォウの攻撃を依頼。間もなく、刺客が送られた。
~
-4月10日、燃料と弾薬を補給しにシュヴィーネミュンデに入港。敵の雷撃を警戒して、水深の浅いカイザーファールト運河に停泊した。
13日、イギリス軍からの刺客・アブロランカスター爆撃機34機が飛来。プリンツ・オイゲンとリュッツォウを狙ってきたが、雲に遮られて不成功に終わる。
難を逃れたのも束の間、16日にイギリス軍第617爆撃機中隊のランカスター爆撃機15機が襲来。護衛の駆逐艦が対空戦闘を始め、
全機が被弾したかと思えるほどの猛烈な射撃を浴びせた。1機が撃墜されたが、敵も精鋭。弾幕をかいくぐって、投弾。
リュッツォウの付近30mに1発のトールボーイが落下し、至近弾となる。爆発の衝撃で竜骨を損傷、艦底に穴が開いて浸水が始まる。更に2発のトールボーイが
前部砲塔と後部砲塔に突き刺さるが、幸運にも不発弾だった。この空襲でリュッツォウは大破着底。身動きが取れなくなる。
-翌17日、第二戦闘グループの司令ティーレ中将がアラド水上機で来訪。リュッツォウの損傷具合を視察した。いずれ起こるであろう、
シュヴィーネミュンデ防衛戦にリュッツォウを投入できるかどうか尋ねた。
-4月22日に着任した新艦長ランゲ中佐の指示により船体の応急修理が行われ、生じた破孔は多数の材木で塞いだ。工作艦の手で2発の不発弾が取り除かれ、
救難船の助力によって左舷に傾斜していた艦体も復元。だが機関室が水没していたため、機関要員は任を解かれた。
トールボーイが突き刺さっていた前部主砲の応急修理が完了し、同日中に試験砲撃を行った。一方で後部主砲は最早使い物にならなかった。
-不断の努力により、27日には一台の発電機が再稼動。どうにか前部主砲と副砲群が使用可能になった。これがリュッツォウの全武装だった。
~
-4月28日午前4時、ソ連軍がシュヴィーネミュンデに進入。早朝に警報が鳴り響き、リュッツォウ最後の戦いが幕を開けた。生き残った砲で砲撃を行い、
突入してきた敵の重戦車を次々に破壊。市街地の占領を許さなかった。砲撃は突入部隊に留まらず、後方のシュチェチンにあった重戦車をも破壊。
艦砲射撃の凄まじさから、ソ連軍はV1飛行爆弾による攻撃と勘違いした程だった。
艦内の乗組員は、砲兵や機銃手だけを残して上陸。臨時の歩兵部隊に編入され、ソビエト兵との戦いに備えた。
-4月30日、リュッツォウから対空砲が取り外され航空機に対し無防備となる。また273名の乗員が小型貨物船に乗り込み、西への脱出を図った。

-ヒトラーが自殺した後も戦い続けていたリュッツォウであったが、5月1日夜に発電機で火災が発生。砲塔が沈黙してしまう。
鎮火は困難とされ、ランゲ中佐は総員退艦命令を下す。脱出した乗員はシュヴィーネミュンデに向かったが、徹底抗戦を命じられ艦に戻った。
5月3日朝。不思議な事に、火災は自然と鎮火していた。発電機焼失で28cm主砲は使えなくなったが、依然使用可能な副砲を以って抗戦を再開。
-だが5月3日深夜、とうとうソ連軍が目と鼻の先にまで迫った。22時15分、ランゲ中佐は船体の鹵獲を防ぐため爆破処分を決意。
砲身に弾丸を詰め、後部砲塔に爆発物を集積。導火線を右舷側に束ねた後、乗組員は小型船に乗り込んだ。5月4日午前0時12分、爆発の炎が
リュッツォウを包んだ。乗組員が退却した後、その日のうちにソ連軍が到達。破壊された甲板上で記念撮影を行っている。
#endregion

#region(戦後)
-リュッツォウの行方は、戦後しばらくの間は不明とされていた。後年の歴史家が資料を調べた結果、その行方が判明。
-1946年春、ソ連軍によって残骸が引き揚げられ鹵獲される。リュッツオフに改名し、レニングラードへ回航。9月26日にバルト艦隊へ編入し、モスボール。
-1947年、第77救助隊がリュッツオフの船体を調査。可能ならば修復して、自軍の補強に充てようと考えていた。
全ての対空砲と魚雷発射管はドイツ軍によって撤去されていた。艦内には弾薬やディーゼル燃料が残っていた他、生々しい爆発跡が五箇所確認された。
ダイバーによって船底の調査も行われた。後方の機械室が水没していたため、破孔を塞いだ上で排水用のモーターポンプを使用。
リュッツオフは浮揚された。
-その後も調査が続けられたが損傷の度合いが激しく、1947年7月20日に修理不能と判断される。ソ連は実験艦として海没処分する事に決め、
リュッツオフは破氷船に曳航されてレニングラードを出発した。
7月22日、バルト海で爆弾の標的艦にされた。船体に爆薬を巻き付けた状態で爆弾を投下されたが、最期の意地なのか沈もうとしなかった。
2回爆弾を当てても沈まないリュッツオフに痺れを切らしたソ連側は、爆薬の量を増やした。そして今度は2発の爆弾を同時に投下。
午後3時45分、爆薬に引火し連鎖的な爆発が生じた。30分後、浸水が始まって艦首が沈下し始める。午後4時24分、リュッツオフはその勇姿を海中に没した。
グダンスク湾の海底113mに沈み、遺骸は未だに現存しているという。

#endregion
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