#title(扶桑の詳細・評価・オススメ装備)

[[艦種別リスト>キャラクター/艦種別]] > ''扶桑''
----

#contents

*基本情報 [#o602c0d6]
|CENTER:450|CENTER:84|CENTER:90|CENTER:84|CENTER:90|c
|~No.208|>|>|>|~プロフィール|
|&attachref(扶桑全体.jpg,zoom,450x525);|~名前|>|>|&ruby(フソウ){扶桑};|
|~|~レアリティ|>|>|R→SR|
|~|~艦種|>|>|戦艦→航空戦艦|
|~|~陣営|>|>|重桜|
|~|~建造時間|>|>|建造不可|
|~|~CV|>|>|小清水亜美|
|~|~イラスト|>|>|Rain Lan|
|~|~耐久|B→B|~火力|A→B|
|~|~雷装|E→E|~回避|D→D|
|~|~対空|D→C|~航空|E→C|
|~|~航速|>|>|23|
|~|~SD|>|>|&attachref(扶桑.gif);|
|>|>|>|>|~自己紹介|
|>|>|>|>|重桜最初の超弩級戦艦、扶桑です。&br;生まれついた厄(わざわい)を祓うため、妹と同じく日々神々に祈りを捧げ、厄に負けぬよう精進してまいりました。&br;レイテ沖のあの悲劇だけは絶対に二度と起こさせません。&br;どうかどうかお殿様からもお力添えいただければ幸いです。|
|>|>|>|>|~入手方法|
|>|>|>|>|6-2、6-3、6-4&br;イベント「[[紅染の来訪者>イベント06_紅染の来訪者]]」「[[同復刻>イベント25_(2回目)紅染の来訪者]]」「[[同履歴>作戦履歴/紅染の来訪者]]」:イベント海域A1、A2、A3、C1、C2、C3|

|>|>|>|>|>|>|>|>|~ステータス(MIN/MAX)|
|CENTER:61|CENTER:95|CENTER:95|CENTER:61|CENTER:95|CENTER:95|CENTER:61|CENTER:95|CENTER:96|c
|~耐久|1143|5912|~装甲|>|重装甲|~装填|51|120|
|~火力|74|349|~雷装|0|0|~回避|5|13|
|~対空|41|193|~航空|0|0|~消費|4|13|
|~対潜|0|0|>|>|>|>|>| |

|~装備枠|~初期装備|~補正(MIN/MAX/全改造)|~最大数((各行動時に攻撃を行う砲座数や艦載機数))|
|CENTER:120|CENTER:369|CENTER:160|CENTER:160|c
|戦艦主砲|[[356mm連装砲]]T1|100%/130%/165%|3|
|駆逐副砲&br;軽巡副砲&br;↓&br;水偵(改造後)|-|200%/200%/200%|3|
|対空|[[25mm三連装対空機銃]]T1|80%/80%/85%|1|
|設備|-|-|-|
|設備|-|-|-|

|>|~スキル名|~効果|
|CENTER:60|CENTER:150|LEFT:610|c
|&attachref(img/砲火制圧_icon.jpg,nolink,70%);|砲火制圧|戦闘中、自身の火力値が10.0%(20.0%)アップ|
|BGCOLOR(#e9eefd):&attachref(img/予備攻撃隊_icon.jpg,nolink,70%,予備攻撃隊);|BGCOLOR(#e9eefd):予備攻撃隊(要改造)|BGCOLOR(#e9eefd):航空攻撃後、航空弾幕Lv.1(MAX10)を発動する。1度の戦闘中に1回しか発動できない|

//スキルアイコン→&attachref(img/スキル名_icon.jpg,nolink,70%);
//改造時に習得するスキルは色変え→BGCOLOR(#e9eefd):

|>|~上限突破|
|CENTER:60|LEFT:771|c
|~初段|主砲砲座+1/主砲補正+5%|
|~二段|副砲砲座+2/主砲補正+10%|
|~三段|主砲砲座+1/主砲補正+15%|

|~主砲攻撃|~特殊弾幕スキル|
|CENTER:415|CENTER:416|c
|&attachref(扶桑弾幕.gif);|-|

//&attachref();

上記情報の参照元:[[http://wiki.joyme.com/blhx/>http://wiki.joyme.com/blhx/%E6%89%B6%E6%A1%91]]
**改造 [#debf8cdb]
|CENTER:100|CENTER:200|CENTER:250|CENTER:70|CENTER:100|CENTER:120|c
|~改造内容|~詳細|~必要な設計図その他|~費用|~必須レベル|~必須レアリティ|
|艦体改修I|耐久 +100|戦艦改造図T1 ×2|200|1|★★|
|装填強化I|装填 +5|戦艦改造図T1 ×2|300|5|★★|
|主砲改修I|主兵装補正 +5%|戦艦改造図T1 ×3|400|20|★★★|
|火力強化I|火力 +10|戦艦改造図T1 ×3|500|25|★★★|
|対空砲強化I|対空補正 +5%|戦艦改造図T1 ×3|600|35|★★★★|
|対空強化I|対空 +15|戦艦改造図T1 ×4|800|40|★★★★|
|艦体改修II|耐久 +100 / +150|戦艦改造図T2 ×1 / ×2|1000/1000|50|★★★★|
|主砲改修II|主兵装補正 +5% / +5%|戦艦改造図T2 ×2 / ×2|1200/1200|55|★★★★|
|火力強化II|火力 +5 / +15|戦艦改造図T2 ×2 / ×2|1400/1400|70|★★★★★|
|近代化改修|艦種が「戦艦」→「航戦」に変更|戦艦改造図T3 ×3&br;艦載機パーツT3 ×60|5000|75|★★★★★|
|航空強化I|航空 +20|空母改造図T3 ×2|1600|85|★★★★★|
***改造後MAXステータス [#k0695b87]
|CENTER:216|CENTER:216|CENTER:216|c
|>|>|~改造後MAXステータス|
|~耐久|~装甲|~装填|
|6261|重装甲|118|
|~火力|~雷装|~回避|
|352|0|13|
|~対空|~航空|~消費|
|268|182|13|
***改造後のキャラ絵 [#n1dcf515]
#region(改造後のキャラ絵を開く)
|&attachref(./扶桑改.jpg,);|
#endregion
//***改造後ボイス
//#region(クリックでセリフ一覧を開く)
//|60||c
//|~||
//#endregion


*[[着せ替え>着せ替え一覧]] [#ac8f57de]
#region(着せ替え画像を開く)
|>|~春の祝い|
|&attachref(./春の祝い.jpg,70%);|&attachref(春の祝い.gif);|
|>|ショップにてダイヤ680で購入可|
#endregion


*ボイス [#q0d1e494]
#region(クリックでセリフ一覧を開く)
|60||c
|~入手時|お初にお目にかかります。あなたは指揮官様でいらっしゃいますね?&br;はい、扶桑ずっとここにお待ちしておりました。&br;これも何かのお導きです。&br;今後ともよろしくお願い申し上げます。|
|~ログイン|指揮官様、おかえりなさいませ。&br;一つお御籤でもいかがでしょうか?|
|~詳細確認|指揮官様、一緒にお茶でもしませんか?|
|~メイン1|不幸な運命は努力で変えられます。&br;神々に祈りを捧げると同時に、自身の鍛錬も怠るべきではない・・・・・・と、&br;私はこう存じております。|
|~メイン2|山城さえ何事もなく育てていれば満足です。|
|~メイン3|この主砲は火力に特化したもので、発射すると、&br;いつも身体がすごく揺れてしまいます・・・ちょっと困ります|
|~メイン4| |
|~メイン5| |
|~タッチ|指揮官様?こちらにおいでくださいませ、&br;お耳掃除させていただきますね。|
|~タッチ2|あの、これは・・・!|
|~タッチ3| |
|~任務|新しい任務が通達されました。ご確認いただけますか?|
|~任務完了|任務を放置するのはよくはございませんよ。|
|~メール|新しいお手紙です。指揮官様、ご確認を。|
|~母港帰還|指揮官様、お疲れ様でございます。&br;扶桑のところでごゆっくりお休みくださいませ。|
|~委託完了|委託組の子たちが戻りました。一緒に出迎えにいきませんか?|
|~強化成功|これでもっと力になれます。|
|~戦闘開始|立ちはだかるものには容赦しません!|
|~勝利|そなたたちの魂に故郷の安らぎがあらんことを・・・|
|~失敗|これは・・・・・・弾薬庫がまた呪いを受けてましたの?|
|~スキル|祓い給い、清め給え!|
|~損傷大|神さま、私達を守り給え・・・・・・!|
|>|BGCOLOR(#FFFFFF):COLOR(GRAY):CENTER:~▼好感度系|
|~失望|指揮官様はマガツカミの化身ですか!|
|~知り合い|指揮官様は重桜神々にご興味ありますか?&br;うふふ、ご興味がなくても結構ですよ。&br;私、お殿様の分も合わせて神々に祈りを捧げております。|
|~友好|指揮官様は最近お疲れのようですね・・・仕事のし過ぎはお体によくございません。&br;疲れた身体をお祓いいたしますので、こちらにおいでください。|
|~好き|神楽ですか?あれは神前に捧げる踊りですが・・・&br;・・・そうですね、では指揮官様のために巫女舞の一つでも、いかがでしょう。&br;他のみんなに見られると恥ずかしいので、どうか二人だけのヒミツとして、ご内密に・・・|
|~ラブ|ご存知ですか?実は重桜の巫女たちは神を奉る身ではあるものの、&br;色事に関する制限が特にございません。&br;むしろ、お社を継ぐ方を探すためにも、夫探しに励むことも・・・・・・&br;指揮官様、・・・・・・どうかお聞かせ願えませんか?|
|~ケッコン|高砂の尾上の松の相生に立並びつつ玉椿八千代を掛けて、家門広く、家名高く、弥立栄えしめ給へと、恐み恐みも白すーー&br;これで私と指揮官様とは一心同体・・・・・・不束者ですが、よろしくお願いします。|

#endregion
*ゲームにおいて [#y943775b]
重桜所属の戦艦。通常海域でのドロップ場所は限られているが、[[紅染の来訪者>作戦履歴/紅染の来訪者]]の常設によって非常に掘りやすくなった。
**性能 [#bf41d1f4]

妹の[[山城]]と並び、同レアリティのユニオンR戦艦組に比べると若干耐久が下がる。
また、対空倍率が80%と駆逐艦並に低いのもやや痛い。
所持スキルは恒常的に自身の火力値を上昇させる砲火制圧。これによりSSR艦並の火力を持つに至る。
同格である[[ペンシルベニア]]、[[カリフォルニア]]のような突出した爆発力は無い分、安定した高火力を供給する戦艦。

//もう一つ、攻撃モーションが短く自爆ボート迎撃性能がとても高いという特徴がある。
//[[三笠]]・[[比叡]]と比べるとやや遅いものの、その他戦艦と比べると雲泥の差で発射する。
//7章、8章と進むに連れて炎上ダメージも含め自爆ボートが洒落にならない事になってくるため、育てて損はしないだろう。
//(2018/07/17 アップデート以前の情報)
//
モデルとなった扶桑はやたらと改造の施された艦でもあり、妹である[[山城]]と同様に航空戦艦への改造が可能。
改造後の使い勝手は妹とほぼ同じ。副砲が装備できなくなることで前述の長所が消えることもあり、一概に強化されたとは言えない点に注意。~
ドロップ場所は[[155mm三連装砲T3>155mm三連装砲]]の落ちる6-2、[[自動装填機構T3>自動装填機構]]の6-3、[[夕立]]を求めるなら必ず回る6-4と、入手には困らないだろう。
[[紅染の来訪者>作戦履歴/紅染の来訪者]]ではイベント限定艦の[[暁]]を狙える。

**オススメ装備/編成 [#rdb1030b]
***主砲 [#jf1756f6]
-[[&color(#cc00ff){406mm三連装砲MK6};>406mm三連装砲MK6]]
パッシブ型のスキルしか無いので威力重視。

***副砲 [#t6e8e1be]
-[[&color(#cc00ff){152mm連装砲T3B};>152mm連装砲B]]
徹甲弾4発の扇形発射。精度・弾速が高く、1隻なら撃ち漏らすことはほとんど無い。

-[[&color(#cc00ff){152mm三連装砲T3A};>152mm三連装砲A]]
榴弾6発の扇形発射。射程が長いように表記されているが、152mm連装砲T3Bと同等。
複数の自爆ボートをまとめて迎撃する事もあるが、拡散範囲がアダとなり、弾丸の間を抜けて来られる事も稀にある。
***対空 [#je686f29]
-[[&color(#cc00ff){127mm連装高角砲T3};>127mm連装高角砲]]
威力と射程がとても高い強力な対空砲。繋ぎとしては十分過ぎるくらいの高性能。

-[[&color(#ff9900){113mm連装高角砲T3};>113mm連装高角砲]]、[[&color(#ff9900){105mmSKC連装高角砲T3};>105mmSKC連装高角砲]]、[[&color(#ff9900){四連装ボフォース40mm機関砲T3};>四連装ボフォース40mm機関砲]]
金レア対空砲三兄弟。
射程の[[&color(#ff9900){113mm連装高角砲T3};>113mm連装高角砲]]、バランスの[[&color(#ff9900){105mmSKC連装高角砲T3};>105mmSKC連装高角砲]]、威力の[[&color(#ff9900){四連装ボフォース40mm機関砲T3};>四連装ボフォース40mm機関砲]]。

***設備 [#i650ae10]
-[[&color(#3366ff){電気式揚弾機T3};>電気式揚弾機]]、[[&color(#cc00ff){自動装填機構T3};>自動装填機構]]
攻撃力重視装備。[[電気式揚弾機]]T3は入手・強化が楽なので、しばらくはコレ2つでも構わないだろう。

-[[&color(#3366ff){消火装置T3};>消火装置]]
6章以降、戦艦榴弾砲による被弾が増えるため、Lv次第ではあると安心。
6章ハードや9章辺りまで敵のレベルが上がって来ると、あるなしで露骨に差が出る。
**キャラクター [#j2f3dc02]

6章に入って、ようやくドロップする重桜の戦艦だったが、イベントの常設でかなり緩和された。
和服に身を包んだ、大和撫子を髣髴させる容姿。黒髪には重桜特有の獣耳が生える。モチーフは巫女のようだ。
とある神社から出張してきたようで祈祷まで行っているところを見るに、世にも珍しい女性の神職者と思われる。
(戦前の国家神道では女性は宮司になることが出来なかったが、戦後は解禁されている)
台詞のマガツカミ(禍津神)は、災厄をもたらす邪神を意味する。アマツマガツチではない。&color(#c0c0c0){膝神のほう。};
性格や言動はとてもたおやか。指揮官を立て、奉仕する姿は人間の鑑である。
髪型はサイドテールと思われる。一方で、ファンアートによってはツインテールとして描かれている物もある。
本国版では中共の規制で、名前が魟(エイ)に置き換わる。

-ケッコンセリフにある「高砂の尾上の松の相生に〜」とは祝詞の一文。知り合いで神前式をやる方が居れば聞ける。
兵庫県高砂市にある高砂神社、そして加古川を挟んだ対岸、加古川市の尾上神社にある相生(あいおい)の松の事。
雄株と雌株の幹が寄り添って生える様子から、夫婦円満や和合、長寿、縁結び等の象徴とされる。↑の二社に生えているものは特に有名。
続く「玉椿八千代を掛けて」にもかかっており、砕けて言えば夫婦仲良く長生きして子宝にも恵まれますように、と言っている。ラブセリフに続きド直球投げてる。

2017年12月15日より開始された小イベント「愛と平和の聖夜祭」では、妹にサンタ衣装を薦めている。

12月26日開始の「謹賀新年」イベントでは初詣のためだけになんと姉妹で神社を作ってしまった。高速建造剤のちょっとした応用なのだろうか・・・。

*元ネタ [#o6161fc6]

日本が初めて独自開発した超弩級戦艦扶桑型の1番艦。2番艦に[[山城]]がいる。
1903年度計画で建造が決定するも、1910年に日本海軍の師匠であるイギリス海軍が超弩級戦艦オライオン級の建造に着手。
これに対抗するため1911年度計画で設計を変更し、第三号甲鉄戦艦の仮名が与えられる。そして第三次海軍拡張計画に基づき、1911年度予算で建造される。

#region(起工から近代化改修を受けるまで)
-1912年3月11日、呉工廠の建造船渠で起工。3万トン級の戦艦を船渠で建造するという世界初の試みであった。

-1914年3月28日、軍艦扶桑と命名され進水。式典には伏見宮が列席。進水を記念して、扶桑の写真が組み込まれた絵葉書が数枚発売されている。
呉郵便局では期間限定で、進水記念の消印が押された。
--8月24日、公試が行われ23ノットを記録する。
--1914年11月8日、竣工。初代艦長として佐藤大佐が着任し呉鎮守府へと編入される。日本初の超弩級戦艦はこうして誕生する事となった。
艦内神社には扶桑も[[山城]]も石清水八幡宮から分祀を受けている。また、1934年には伊勢神宮からも分祀を受けている。

-イギリスが戦艦ドレッドノート…いわゆる弩級戦艦を開発したことにより各国で建艦戦争ともいえる競争が始まった。
当時の日本もこの競争に参加し、金剛型巡洋戦艦で得たノウハウを元に超弩級戦艦『扶桑』の建造に成功した。
主砲だけは英国製だったものの実質初の国産超弩級戦艦だっただけに、建造当初は大和や長門と同等の期待を持たれていた。
--青森県三戸郡階上町にある扶桑牧場は、この戦艦扶桑から名前が取られている。
その扶桑牧場から輩出され、第四回安田賞(現在の安田記念)の優勝場となったフソウの由来も、戦艦扶桑である。
馬主の中村正行氏の親族が扶桑の艦長をしていた事から、そう名付けられた。
--トラックやバスの製造会社である三菱ふそうも、戦艦扶桑から取られた。

-金剛や比叡に載せられていた35.6cm主砲の改良型を6基装備し、前級の金剛型を遥かに上回る火力を獲得した。また、排水量が世界で初めて3万トンを突破。
この様に竣工時は世界最大で重武装・最速の最高の戦艦である筈だったが、実際に動かしてみると問題が次々と浮上することになる…。

-1916年5月31日、扶桑が建造されて間もない頃に生起したジュットランド沖海戦によりイギリス戦艦は上部からの攻撃に弱い事が判明。
そのイギリス戦艦を参考にして建造された扶桑型は、いきなり弱点が露呈してしまったのである。
--機関部を挟むように主砲を配置したため、後の大改装でも機関の増設が出来ず、24ノット程度で甘んじる結果となっている。
とはいえ、仮想敵国アメリカの戦艦群と比べたら速力に勝っていたため、それほど問題視されなかったと言われている。
だが前級の金剛型に劣る速力のせいで使い勝手が悪く、後の大東亜戦争では殆ど出番が与えられなかった。
また防御面にも大きな不安を抱えており、主砲を分散配置したため全長の約半分が被弾危険箇所というやべー艦に成り果てた。
これらの欠陥により、同時期に建造された列強の戦艦に大きく水をあけられ、失敗作の烙印を押されてしまう。

-扶桑型が示した欠陥は教訓となって後続の[[伊勢型>伊勢]]や長門型の建造に活かされていったが、その欠陥は生涯背負っていかなければならなかった。
それでも完成当初は新鋭戦艦として大いに活躍。

-扶桑型の就役に伴い、アメリカは対抗馬として[[ペンシルバニア]]級、ニューメキシコ級、[[テネシー]]級を建造。建艦競争に火を付けている。

-1915年9月1日、連合艦隊旗艦の座に就く。

-12月4日、横浜沖で行われた御大礼特別観艦式では指揮官が座乗。
主力艦20隻からなる第一列を率いた。午後12時50分からは大正天皇が乗艦されて御召艦となり、午餐(天皇の食事会)の場を提供した。
その後、主力中の主力である第一戦隊に編入された。

-1916年4月9日、佐世保を出港して第一次世界大戦に参加。敵国ドイツの租借地がある中国の沿岸を遊弋。

-1919年8月29日、館山を出港し、ロシア革命を警戒してウラジオストクやその周辺の沿岸を警備している。

-1920年8月29日、シベリア出兵を支援するためロシア沿岸を警備。

-1921年3月3日、欧州へ外遊される裕仁皇太子を乗せた御召艦香取と伴走艦鹿島の見送りを行うべく横浜港を出港。浦賀沖まで追随した。
同月5月18日、出渠する際に20番ブイと接触し損傷。すぐに入渠させられている。

-1922年2月、ワシントン海軍軍縮条約締結により日本は英米に対し、不利な制限を付けられた。このため現行の艦艇を魔改造する方針を定め、
扶桑にも度重なる改装が施されていく事になった。

-1923年9月6日、9月1日に発生した関東大震災の救助活動に扶桑も参加。大阪に停泊していた扶桑に救援物資の食糧やロウソク10万本、マッチ1万箱、
大阪医大の医療班23名と医薬品、東京出身の海軍兵学校の生徒を乗せて、品川港に急行した。
震災により帝都と横浜方面は壊滅。負傷者が10万人に達し、地震の影響で海底が隆起して入港が難しくなるなど絶望的な光景が広がっていた。
だが大型艦の扶桑が見せる威容は、被災者の心を勇気付けた。
#endregion

#region(多数回の近代化改修)
-1924年、呉工廠で近代化改修を受けた。マストの改修・無線機能強化に伴う艦尾の延長・主砲指揮所や観測所の増設が行われている。
--9月6日午前6時、廃艦として砲撃処分される戦艦安芸を曳航して館山を出港。標的艦と化した安芸は戦艦長門と陸奥から砲撃を受ける。
その安芸を引っ張っていた扶桑だったが危険防止のため、開始から14分30秒後に舫綱を切断して退避。安芸は沈没し、貴重なデータをもたらした。

-1928年、昭和三年度軍艦扶桑写真帖が作られた。いわゆる写真集で非売品。ちなみに一度限りの発行ではなく、年度別に作られている。

-構造的欠陥を解決する為、再び1930年と1934年に二度の近代化改修が施された。
--1930年4月12日、第一次改装が横須賀工廠で開始された。
[[バルジ]]の増設や機関部の改修、使用砲弾を八八式から九一式に変更し装填装置を改良、砲塔上面装甲厚を150mmに強化する等の改良が行われた。
また、煙突は1本にまとめられ防雨対策を施している。
水中防御も強化され、舷側水線部に[[バルジ]]を装着した。弾薬庫や機関室上の防御装甲には51弌102个旅暖弔追加された。更に厚さ64弌76个僚蝶嵎匹鮨契澆靴討い襦
--1932年9月26日からは呉工廠が工事を担当。まず連装高角砲と機銃が増設された。機関にも手が加えられ、主機を艦本式ギアード・タービン四基に、缶をロ号艦本式専焼缶四基、
ハ号艦本式専焼缶二基の計六基に換装。出力を7万5000馬力に底上げし、速力が24.5ノットに微増した。重油搭載量は5100トン、航続距離は16ノットで1万1800海里に増大。
改装戦艦の中では最も長大な航続距離だった。上部構造物も近代化され、前マストが改修されている。主砲の仰角が43度に引き上げられ、副砲も仰角30度にまで引き上げている。
これにより1万5000m以上の砲撃戦が可能となった。
--1933年5月に工事完了。大改装により排水量は3万4500トンに増加した。
この頃は満州事変や上海事変、米艦隊のハワイ集結等により日米関係は一触即発の状態だった為、すぐにも出撃できるよう工事は切り詰められて行われた。
-1934年9月16日、第二次改装が開始。
--この改装は扶桑のみに実施され、防御面の改良・主機の改装・主砲仰角の引き上げ・航空兵装の追加・射程距離増大・艦尾を7.3m延伸する等の改良を受けた。
この時の改装で扶桑の艦橋がジェンガの如く積み上げられ、あの特徴的な姿となった。防空指揮所や見張所、測距儀を続々と備え付けていったため
見ている方が不安になるほどのアンバランスな艦橋となってしまっている。一方、妹の[[山城]]はすらりと伸びる艦橋となっており、見分け方は容易である。
高さは50m以上。もはや海に浮かぶ高層ビルである。1935年2月19日、工事完了。ここまで大規模な改修を行っても根本的な解決には至らず、その後も大小の改修工事を受けた。

-1936年2月14日、宿毛湾で演習中に航空事故が発生。飛行長の川崎大尉が事故死している。
そして2月26日、二・二六事件が発生。陸軍の青年将校率いるグループがクーデターを起こし、要人らが襲撃を受ける。この事態を受けて、昭和天皇は鎮圧を命令。
扶桑は第一艦隊に所属して、17時に宿毛湾を出港。東京湾のお台場沖に展開。反乱が鎮圧されない場合は国会議事堂を砲撃する予定だったという。
だが29日に反乱軍が降伏した事により事件は終息した。

-1939年12月15日、予備艦となってまた大規模な改修を受ける。
--応急注排水装置や舷外電路・機銃射撃装置2基などを搭載し、新鋭の零式水上観測機を装備。またそれを運用するために左舷へ電動式クレーンを導入し、防空指揮所も新設された。

-1940年、出師準備発令に伴って航空兵装を艦尾へ移設。1941年に入ると応急注排水装置の装備やバルジ内への水密鋼管の充填、
磁気機雷対策の舷外電路の装着を実施して戦備を整えた。

-1941年4月、開戦直前のこの時期に全ての工程が完了する。8月18日、海兵団より新兵約100名を迎え、約一ヶ月間の三等兵教育が始まった。
10月中旬、別府湾で航空機の標的艦を務める。これは真珠湾攻撃に向けた訓練だった。陸岸から500m離れた所に停泊する扶桑に、
魚雷の沈度が12m以内になるよう投射する雷撃機。真珠湾攻撃の肝となる雷撃訓練は何度も繰り返された。
魚雷の発射訓練が終わると、扶桑からボートが発進し日没まで魚雷の回収作業を行った。
-11月3日、呉軍港へ回航。危険物や内火艇、私物に至るまで不要なものを陸揚げする。

#endregion

#region(開戦からその最期まで)

1941年

-12月8日、大東亜戦争が勃発。その引鉄となったハワイ作戦(真珠湾攻撃)の支援の為に柱島を出撃。
味方空母が損傷した場合に内地まで曳航する役割を担っていたが、全空母が無傷で作戦に成功。支援の必要が無くなり柱島へ引き返した。
ちなみにこの行動は「勲章目立て(あるいは戦時手当て)目的」と、水兵から揶揄されていた。
扶桑は低速かつ老朽艦である事から最前線に出されず、少尉候補生や訓練生に実習の場を与える練習艦として運用された。
このためか戦艦でありながら磨耗した砲身の交換が行われなかった。

1942年

-2月21日、呉工廠で主砲身の交換を行う。

-4月18日、ドゥーリットル空襲の際に逃走する米機動部隊の追撃に参加。しかし発見できず横須賀に帰投。

-5月20日、派遣勤務員として三浦潤氏が乗艦。

-5月29日、ミッドウェー作戦参加のため柱島を出撃。山本五十六長官率いる主力艦隊の一員となり、
戦艦大和と肩を並べた。主力部隊は6月7日に行われる予定の上陸作戦を支援し、米艦隊出現の際は迎撃する
役割が持たされた。

-6月5日、扶桑と[[山城]]はアリューシャン諸島へ向かう。
待ち伏せて敗走する敵艦隊を討つ手筈だったが、逆に味方の機動部隊が壊滅してしまい結局作戦中止となる。
翌6日、護衛の第二四駆逐隊と合流。母港を目指して退却し始めたが、嵐に遭遇する。風速40mの風と大波に襲われ、駆逐艦は2ノットの速力しか出せなかった。
一方扶桑は腐っても戦艦、12ノットの速力で航行する事が出来た。暴風雨の中でも平然と航行する扶桑を見て、駆逐艦側は羨ましがった。
だが7日、戦艦と駆逐隊が離れ離れになってしまう。互いに無線連絡を取り合いながら帰路を辿る。
-6月17日、嵐に巻き込まれながらも横須賀に帰り着いた。

-9月4日から9日にかけて呉工廠に入渠。どんな整備をしたかについては資料が残っておらず不明。

-11月15日からは少尉候補生の訓練艦兼標的艦となり、柱島で訓練。
ミッドウェー海戦で喪った航空母艦を補うために空母へ改造する案が出たが、丁度[[日向]]が砲塔爆発事故を起こしていたため[[伊勢型>伊勢]]のみに留まった。
結局1943年6月に完全に頓挫し、夢物語となってしまった。予算不足と設備不足、そして何より艦の老朽化が大改装を阻んだ原因とされている。
ミッドウェー及びアリューシャン方面の作戦で、平時で消費する1年分以上の重油を消費してしまったため帝國海軍は慢性的な燃料不足に陥った。
前線で指揮を執る角田中将は後方で留め置かれている戦艦群を投入しろと訴えたが、燃料不足が邪魔をして叶わなかった。
仮に燃料があったとしても低速な扶桑では戦局に寄与できず、空母主役の海戦に出番は無かったと思われる。

1943年

-1月15日、訓練艦の任を解かれる。しかし前線に投入される事はなく、ひたすら内地で停泊する日々を送る。4月1日、再び訓練艦として起用。
低速戦艦は使い物にならないが、対空兵装を強化すれば使えるとして予備兵力扱いにし、瀬戸内海西部で待機させる事にした。
-6月8日、霧が深い柱島に停泊していた扶桑。その時、約1000m隣に停泊していた戦艦陸奥が突如爆発事故を起こして沈没した。
事故を目撃した扶桑は「陸奥爆沈す」の電文を戦艦長門に送信。数分後、「以後、陸奥に関する発信やめ」という緊急電が柱島在泊の全艦艇に送信された。
扶桑はまだ浮いていた陸奥後部に救助艇を派遣し、およそ150名の乗員を救い出した。しかし爆発の圧力で臓器をやられている者が多く、
翌朝までに100名が死亡した。
--6月17日午後4時45分、潜水士によって沈んだ陸奥から艦長三好大佐の遺体が引き揚げられた。そして扶桑に搬入され、同艦の軍医長が検死を行った。
死因は爆発で生じたであろう高圧とガスだった。

-7月初旬、長門とともに航空隊の標的艦となる。同月18日、呉工廠に入渠。二一号対空電探と対空兵装の強化を受ける。
同時に戦艦[[比叡]]を失った戦訓から、舵機室と舵柄室に対20cm砲弾防御用のコンクリート壁を追加している。
艦内の火災防止対策としてカーテンや机といった可燃物を陸揚げし、リノリウムを廃止。
-7月24日、工事完了。連合艦隊より喪失した陸奥の代わりにトラック諸島への進出を命じられる。

-8月17日、瀬戸内海を出発。23日にトラック諸島へ到着した。ここでも扶桑の役割は変わらなかった。航空隊の標的艦として訓練に従事し続けた。

-9月17日、連合艦隊は総力を結集し、米艦隊に決戦を挑むべくトラックを出港。Z作戦が発令された。しかし扶桑は泊地での待機を命じられ置いていかれる。
おそらく鈍足が祟って不参加になったと思われる。しかし意気揚々と出撃した割には敵艦隊を捕捉できず、作戦失敗。失意のうちにトラックまで引き返している。

-10月17日、トラックを狙った米軍の空襲から退避するため一時的にブラウン島へ進出。危機が去った23日、トラックに戻った。

1944年

-2月1日、古賀連合艦隊司令の命により主力艦艇はトラックから撤退する事になった。扶桑はトラックから離れ、パラオへと向かっていった。
-2月4日、パラオ着。ところが米機動部隊の魔手が迫ったため、パラオを脱出。
-2月16日、シンガポールへ入港しタウイタウイ泊地で訓練を始める。
-2月25日、扶桑が所属していた第二艦隊は解隊。単艦で連合艦隊に所属するという宙に浮いた存在となってしまった。作戦指導案でリンガ残留が決定し、
なかなか本土に戻れない日々が続く。

-3月14日午後、泊地を出港。単艦で訓練に従事する。

-4月3日、扶桑の入渠準備が始まる。
-4月8日正午、シンガポールに入港。扶桑は既に8ヶ月近くも外地で過ごしており、本来なら内地で整備を受けるのが普通だが、戦況がそれを許さなかった。
過酷な外地で過ごす扶桑と内地待機で腐る[[山城]]。姉妹の境遇は正反対であった。
-4月13日、[[長門]]と入れ替わりで入渠し艦底の清掃を受ける。
-4月19日、勢いをつけたイギリス海軍がアメリカ軍と協同でスマトラ島サバンを空襲。シンガポールに停泊している扶桑らに警戒配置が命じられた。
そして後方で燻っている扶桑にようやく出番が与えられた。米軍の包囲下にあるビアク島に増援を送る渾作戦の戦力に選ばれたのである。
とはいえ、囮の役割だった。

-5月1日、投錨したまま応急訓練を始める。翌2日まで続けられたが、準備も訓練も不十分だった。
-5月5日14時、戦艦大和、[[長門]]、扶桑の3隻で合同訓練。陣形運動、夜間射撃、防雷航行、飛行機発艦揚収訓練を逐次実施した。
しかし錬度不足が露わになり、見ていられない状態だったという。
-5月30日正午、渾作戦に参加すべく第五戦隊とともにタウイタウイ泊地を出港。
-5月31日、米潜水艦ガーナードとレイに発見され、扶桑の存在が敵に知られてしまう。その後、出発点であるダバオに寄港する。

-6月3日、駆逐隊や[[重巡青葉>青葉]]とともに出撃。ビアク島を目指して東進を始めた。
--20時25分、だが作戦中止となる。敵機動部隊の出現が報じられたのだ。扶桑は反転し、ダバオへ向かう。
-6月4日、ハルマヘラ東方でB-24爆撃機4機の襲撃を受ける。ここで扶桑は初めて砲弾を発射、対空戦闘を行う。結果として敵襲を無傷で切り抜ける事が出来た。
-6月5日、ダバオへと帰投した。以降、渾作戦は高速の駆逐隊のみで行われるようになり扶桑の参加は1回だけで終わってしまった。
-6月13日、ダバオに入港した輸送船団に燃料を供給。
-6月19日、マリアナ沖海戦が生起するが扶桑はダバオ・マララグ湾にて待機を命じられた。一大決戦にも参加させてもらえず、味方の機動部隊が壊滅する様を
見守る事しか出来なかった。

-7月1日、ダバオを出港。航行中のところを米潜ロバロに発見され、追跡されている。だが無事に振り切る。ダバオ基地から飛来した第901航空隊が
前路哨戒を実施。その甲斐あって無傷でタラカンに着く。扶桑は内地への帰還を命じられる。
-7月8日、第四駆逐隊に護衛されて出港。豊後水道南方で米潜水艦ポンフレットの追跡を受けるが、主砲弾を撃ち込んで追い返す。
敵は慌てて雷撃を行ったが全て外れた。
-7月15日、呉に帰港。ほぼ1年ぶりに母港へと帰ってきた瞬間だった。
-7月22日、柱島に回航された扶桑は日栄丸から給油を受ける。

-8月2日、呉工廠に入渠。マリアナ沖海戦の戦訓から対空兵装の強化と一三号対空電探の装備を実施。また艦内の火災対策として居住区から机や
カーテンといった可燃物を撤去。リノリウムを廃止し、難燃性の塗料が使用された。
-8月14日、出渠。

-9月10日、[[山城]]と合流し第二戦隊を編成。
-9月17日、宇品へ寄港し独立混成第二五旅団の兵員を乗せる。
-9月23日、呉を出港。道中で米潜水艦ポンフレット、プレイス、フラッシャーに追跡されるも魚雷は命中しなかった。
-9月17日、宇品へ寄港し独立混成第二五旅団の兵員を乗せる。彼らは満州北部から北ボルネオに転出される部隊だった。
本来なら輸送船で運ぶのだが、シンガポール行きの船が無かったため扶桑へ乗せる事になった。
戦艦に乗せてもらい、部隊長を始め兵員は安心していた。
-9月23日午前7時、朝霧が包む呉を出港。伴走者は[[山城]]だけと寂しい出港だった。乗艦している陸軍の家村部隊の将兵約1200名が、
露天甲板に腰を下ろす。彼らは物珍しそうに巨砲や副砲、高角砲に目を見やっている。
道中で米潜水艦ポンフレット、プレイス、フラッシャーに追跡されるも魚雷は命中しなかった。1200名の将兵を無事に届け、南へと急ぐ。

-10月2日、シンガポールに辿り着き、雄鳳丸から給油を受けた後リンガ泊地へ回航。
-10月2日、シンガポールに辿り着き、雄鳳丸から給油を受ける。セレター軍港に投錨したあと、ジョホールの街に半舷上陸が許された。
これが実質最後の上陸だった。10月5日の早朝に抜錨。リンガ泊地へ回航される。リンガには夕刻に到着した。
-内地と違って燃料が豊富だったため、10月6日から十日間ほど猛特訓を行った。まさに月月火水木金金である。
赤道南下の地だけあって、昼間の陽光は地獄のような暑さをもたらした。居住区で休むことが出来ず、若い水兵の殆どが重度の皮膚病を患った。
扶桑と[[山城]]は昼夜逆転の訓練、夜になると出撃し日が昇ると帰港するスケジュールだった。
-10月17日、フィリピン奪還を狙う米軍がレイテ湾の島々に橋頭堡を築く。これを受け、大本営は捷一号作戦を発令。生き残った艦艇をかき集め総力戦を挑んだ。
-10月18日午前3時、扶桑は主力艦隊とともにリンガ泊地を出港。燃料補給を行うためブルネイに向かった。
-10月20日、ブルネイ着。給油と同時に作戦の打ち合わせをする。扶桑は西村中将率いる艦隊に編入された。本来、速力が重要視されるこの作戦に扶桑は不参加のはずだった。
だが戦艦の火力が欲しい西村中将の切望で参加が決定。スリガオ海峡からレイテ湾に突入する任務を与えられ、ミンダナオ海へと向かう。
-10月22日15時30分、ブルネイを出撃。道中でマニラから出撃してきた第五艦隊と合流し、西村艦隊になった。扶桑最後の戦いが始まろうとしていた。
弾薬兵器の整備点検が徹底され、各々戦備を整えた。
-10月22日早朝、前甲板に集合して栗田艦隊の出撃を見送った。次はいよいよ自分達の出番である。15時30分、ブルネイを出撃。
道中でマニラから出撃してきた第五艦隊と合流し、西村艦隊になった。扶桑最後の戦いが始まろうとしていた。
-10月24日午前9時、哨戒中のB-24に発見される。これを皮切りに米機動部隊の空襲が始まった。迫り来る敵機に対し扶桑は35.6cm主砲で応戦。
しんがりを務めていた扶桑に攻撃が集中し、グラマンの急降下爆撃により後甲板が被弾。搭載機が炎上するもすぐに射出投棄され事無きを得た。火災も鎮火し、軽傷で済む。
しんがりを務めていた扶桑に攻撃が集中し、グラマンの急降下爆撃により後甲板が被弾。装甲を貫通し、前部水圧機室上で炸裂。
爆風で防水隔壁がひしゃげ、一番副砲員や弾火薬庫員、医務室士官、前部応急員の殆どが即死した。また水圧機室が破壊された事で
一番・二番砲塔の操作に支障が出る。搭載機が炎上するもすぐに射出投棄され事無きを得た。火災も鎮火し、事なきを得る。
だが老朽艦なのが祟り、どこからともなく浸水。船体が右に2度傾斜したが、復元する事は叶わず応急修理だけで済ませた。
やがて敵機は引き上げていくと気を取り直し、対空警戒をしながら進撃を続ける西村艦隊。敵は栗田艦隊に攻撃を集中させたため、空襲はそれっきりであった。
敵が去ったのを確認してから、戦死者の搬出と負傷者の手当てを行った。密閉された艦内で爆発したためか、死体は散乱。惨澹たる光景が広がっていた。
後部士官浴室を仮の死体収容所とし、遺体を毛布に包んで運んだ。
日没後、斥候から戻ってきた最上を敵艦と誤認して誤射する事故があったものの、ついにスリガオ海峡に突入。北上を開始した。

-1944年10月25日午前2時、30隻の米魚雷艇が出現。西村艦隊に対し雷撃を仕掛けてきた。西村艦隊は完璧な回避運動を見せ全ての魚雷をいなす。
そして扶桑と[[山城]]の副砲により3隻を撃沈すると敵は慌てて撤退して行った。敵の第一波攻撃を退けたのも束の間、次は駆逐隊が待ち構えていた。
-午前3時7分、交戦開始。敵駆逐艦より一斉に魚雷が放たれ、27本もの魚雷が西村艦隊を貫く。そのうちの1本が扶桑の右舷中央に命中。速力が低下し、艦隊から落伍する。
浸水により船体が傾斜し始めるが注水作業で復元。が、すぐに2本目が命中し電力が失われる。ここで扶桑の命運は尽きた。
-午前3時45分、弾薬庫に引火し大爆発。船体が真っ二つに折れ、後部はしばらく浮いていたものの前部が沈没。
午前5時20分、浮いていた後部も重巡ルイスビルの砲撃を受け沈没。
扶桑の生存者は米軍に救助された10名のみであった。他の乗員は大爆発を起こした際に大半が死亡、生き残った者もサメや原住民に襲われて死亡している。

-1945年8月31日に除籍された。戦後の1980年9月22日、呉海軍墓地に慰霊碑が建立された。合祀者1637柱。
#endregion

#region(兎にも角にも)

艦橋の形状が話題に上る戦艦である、見たことがない方は、画像検索で実艦の写真で艦橋を見て欲しい。
いびつに積み重なった階層が折れ曲がっており、「違法建築」とか「ジェンガ」とか言われている。
パッと見て歪な格好だが、もちろん設計ミスではなくちゃんと理由がある。
第三砲塔が艦橋のすぐ後ろに設置される設計となり、前向きに設置されたため必然的に砲塔の旋回部分が後ろ寄りになった。
砲塔が旋回する時に砲身が艦橋にぶつからないように艦橋基部を拡張することができず結果的に「く」の字のように抉れた形になってしまった。
だから設計ミスではなく意図してあの形なのだ。&color(#ffffff){いやもっと他にやり方があっただろ。};
また艦橋は全14階建て(一時期は15階)でスペック表では長門が41mに対して扶桑は50mとかなり差を付けている。
一度見たら忘れられないあの形状は海外では非常に人気で、大和に匹敵するファンを持っている。
実際Wargaming.netの新作ゲーム「World of Warships」のトレーラームービーでは日本艦どころかゲーム内のどの艦より真っ先に登場している。
&color(#ffffff){カメラが艦橋の根っこと第三砲塔に寄りすぎてて一回見ただけじゃ分かんねえよ!};

#endregion
#region(扶桑の欠点)

扶桑は竣工時世界最大の戦艦で常備排水量が3万tを越える超大型戦艦だった。
このため大きく舵を切った時の減速が著しく、被弾確率が高くなると危惧された。
また35.6cm45口径連装砲を6基も装備していたため被弾危険区画が広くなったこと、当時の日本の製鋼技術では厚く強い装甲を作れなかったことで防御力の確保ができなかった。
更に主砲斉射時に船体が大きく傾き爆風で甲板や艦橋付近に被害が出たり砲煙が指揮所を覆い視界の邪魔になった。
更に更に主砲弾の散布界(狙った地点と実際に着弾した地点のブレの範囲)が広く攻撃精度も問題に挙がった。
ただし戦艦6隻(長門、[[伊勢]]、[[山城]]、比叡、霧島、扶桑)で行われた射撃演習では扶桑が最優秀成績を収めている。
山城も公式ではないが優秀な成績を残しているため、これについては実際には問題なかったと言われている。

#endregion
#region(扶桑ってどこ?)

大和、長門、[[伊勢]]、[[山城]]etc…戦艦の命名法則を見ると旧国名から取られているのが分かる。
では扶桑が現在のどの辺なのかというと、ずばり''日本という国そのもの''を指す。
扶桑とは中国の古書に出てくる「東の彼方にある大樹」のことで、その樹の下にある国を「''扶桑国''」と呼ぶ。
『山海経』によると、はるか東の海の果てにある伝説上の大樹であり、太陽はこの扶桑から昇ると言われている。
これが時間を経て伝わり「日本=扶桑」という形になった。
余談だが、扶桑の副長が上層部に艦名の由来を尋ねた事があり、上記と同様の回答が返ってきている。

#endregion
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#ls2(コメント/扶桑/)
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#pcomment(,reply,20)
&size(16){''こちらの板は[[雑談板のルール>雑談掲示板#va9156c3]]を適用しております。投稿する前に、[[雑談板のルール>雑談掲示板#va9156c3]]をご確認ください。''};
''&color(#0000ff){3回のルール違反でアクセス禁止処置、該当プロバイダーへ迷惑行為としてログを提出};''させていただきますので、ご了承下さい。

&size(16){''また、愚痴を含む投稿は[[愚痴掲示板]]で投稿するようお願いいたします。''};

TIME:"2018-12-14 (金) 23:20:47" REFERER:"http://azurlane.wikiru.jp/index.php?cmd=edit&page=%C9%DE%B7%AC"

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