https://goo.gl/ocpj3A (米国海軍砲術学校公開情報)のTABLE 4. Effect of degree of submergence at attack.あたりを見てもらうのがわかりやすいんだけど 米軍が航空攻撃した潜水艦は基本的にPeriscope深度はとても少なくて割と表層での攻撃が多かったようです。 これは航空機が潜望鏡を見つけることが出来なかったという意味ではないんだけど、多くの発見された潜水艦は艦橋を出していた傍証ではないかなと思います。
また、別のページですがJULY 1943 - MAY 1944頃の事を書いた項目には「To reach the North Atlantic, the U-boats had to proceed submerged through the Bay of Biscay for the first five or six days of their patrol, surfacing for only a few hours after midnight.」とあるように 独Uボートは大戦末期になると海面に数時間しか出られなかったと書かれています。という事は大戦初期〜中期の長い時間当時の潜水艦は海上に艦橋を出しているのが一般的なスタイルであったように思うのです。 このように多くの時間艦橋を海面に出していたのか or ここのwikiに書かれているように「(多くの時間沈んでいて)潜水艦は雷撃の際に目標付近に潜望鏡深度まで浮上してくる」スタイルであったのかが知りたいのです。 -- uleLGkO4k0o[uleLGkO4k0o] 2017-12-23 (土) 05:48:27