艦種別リスト > 夕張
基本情報 †
プロフィール |
| 名前 | 夕張 IJN Yūbari |
レアリティ | SR→SSR |
艦種 | 軽巡 |
陣営 | 重桜 |
CV | 小倉唯 |
イラスト | 梦咲楓(かえで) |
耐久 | C→C | 火力 | C→C |
雷装 | B→B | 回避 | B→B |
対空 | B→B | 航空 | E→E |
速力 | 36 | 運 | 53 |
装甲 | 軽装甲 |
SD | |
自己紹介 |
重桜夕張型軽巡洋艦夕張だ。 設計は海軍条約の制限を受けたけど、逆に新しいギミックが数多く応用されたぞ。 太平洋戦争では水雷戦隊の旗艦として活躍した。 むむむ、酸素魚雷、研究しに何本か手に入れたいな… |
ステータス |
LV | 好感度 | 耐久 | 火力 | 雷装 | 航空 | 対空 | 対潜 | 装填 | 回避 | 命中 | 消費 |
125改 | 200 | 2519 | 170 | 306 | 0 | 357 | 90 | 215 | 131 | 172 | 8 |
100 | 2393 | 163 | 290 | 0 | 339 | 85 | 205 | 124 | 163 |
120改 | 200 | 2465 | 168 | 302 | 0 | 350 | 89 | 213 | 127 | 168 |
100 | 2342 | 161 | 286 | 0 | 332 | 84 | 202 | 120 | 160 |
100 | 100 | 1973 | 124 | 261 | 0 | 281 | 79 | 173 | 105 | 125 |
1 | 50 | 369 | 24 | 51 | 0 | 58 | 20 | 67 | 31 | 48 | 2 |
装備枠 | 初期装備 | 補正(MIN/MAX/改造) | 最大数*1 |
軽巡主砲 | 140mm単装砲T1 | 110%/110%/125% | 1 |
魚雷 | 610mm連装魚雷T1 | 135%/160%/165% | 2 |
対空 | 未装備 | 120%/125%/125% | 1 |
設備 | - | - | - |
設備 | - | - | - |
専用特殊装備 |
| カイゼンツールPROMAX | 装備効果【特殊斬撃-拡散】 |
戦闘中の味方前衛艦隊先頭の艦船が「特殊斬撃」を放つ。軌跡や範囲・ダメージは味方前衛艦隊「特殊斬撃」装備の艦船数・艦種・装備効果種類による |
艦船技術 |
艦級 | T3 夕張 |
解放条件 | 効果 | 技術Pt |
入手 | 【軽巡】装填+1 | +3Pt | +15Pt |
突破MAX | - | +7Pt |
Lv.120 | 【軽巡】雷装+1 | +5Pt |
スキル名 | 効果 |
| プロトタイプ・巡洋 | 戦闘後、巡洋艦が貰える経験値が5.0%(最大レベルで15.0%)アップ(同じスキルは最大2隻分まで適用可能) |
| 火力全開 | 20秒毎30.0%(最大レベルで60.0%)で発動。10秒間自身の火力が20.0%(最大レベルで40.0%)アップ |
| 火力全開・夕張 (要専用特殊装備) | 20秒毎に発動、自身が開発中の様々な特殊装置Lv.1-10を繰り出し(効果はスキルレベルによる)、30.0%(MAX60.0%)で10秒間自身の火力が20.0%(MAX40.0%)アップ |
| 気まぐれの技術者 (要改造) | 戦闘中、12秒毎に特殊装備Lv.1(Lv.10)を1回使用する(特殊装備の効果はスキルレベルによる) |
| 全弾発射-夕張型I/II | 自身の主砲で12回(8回)攻撃する度に、全弾発射-夕張型I(II)を行う |
上限突破 |
初段 | 全弾発射スキル習得/対空補正+5% |
二段 | 魚雷装填数+1/開始時魚雷+1/魚雷補正+10% |
三段 | 全弾発射弾幕強化/魚雷補正+15% |
全弾発射スキル | 特殊弾幕スキル |
| - |
大陸版wikiのページ:https://wiki.biligame.com/blhx/
改造 †
総計 | 耐久 +165 装填 +20 魚雷補正 +5% 雷装 +10 主兵装補正 +15% 火力 +30 対空 +25 命中 +20 習得:気まぐれの技術者 | 巡洋改造図T1 ×17 巡洋改造図T2 ×14 巡洋改造図T3 ×3 同キャラまたはブリ ×1 | 26900 | Lv90 | ★★★★★ |
改造内容 | 詳細 | 必要な設計図その他 | 費用 | 必須レベル | 必須レアリティ |
艦体改修I | 耐久 +45 | 巡洋改造図T1 ×2 | 300 | Lv1 | ★★ |
装填強化I | 装填 +5 | 巡洋改造図T1 ×2 | 400 | Lv5 | ★★ |
魚雷改修I | 魚雷補正 +5% | 巡洋改造図T1 ×3 | 600 | Lv20 | ★★★ |
雷撃強化I | 雷装 +10 | 巡洋改造図T1 ×3 | 800 | Lv25 | ★★★ |
主砲改修I | 主兵装補正 +5% | 巡洋改造図T1 ×3 | 1000 | Lv35 | ★★★★ |
火力強化I | 火力 +10 | 巡洋改造図T1 ×4 | 1200 | Lv40 | ★★★★ |
艦体改修II | 耐久 +45 / +75 | 巡洋改造図T2 ×1 / ×2 | 1500/1500 | Lv50 | ★★★★ |
装填強化II | 装填 +5 / +10 | 巡洋改造図T2 ×1 / ×2 | 1800/1800 | Lv55 | ★★★★ |
主砲改修II | 主兵装補正 +5% / +5% | 巡洋改造図T2 ×2 / ×2 | 2000/2000 | Lv70 | ★★★★★ |
火力強化II | 火力 +5 / +15 | 巡洋改造図T2 ×2 / ×2 | 2500/2500 | Lv75 | ★★★★★ |
近代化改修 | 対空 +25 命中 +20 | 巡洋改造図T3 ×1 同キャラまたはブリ ×1 | 3000 | Lv85 | ★★★★★ |
戦術啓発 | 習得:気まぐれの技術者 | 巡洋改造図T3 ×2 | 4000 | Lv90 | ★★★★★ |
改造後MAXステータス †
LV120好感度200 |
耐久 | 装甲 | 装填 |
2465 | 軽装甲 | 213 |
火力 | 雷装 | 回避 |
168 | 302 | 127 |
対空 | 航空 | 消費 |
350 | 0 | 8 |
対潜 | |
89 | |
改造後のキャラ絵 †
改造後ボイス †
入手時 | 新しい装備、ついに完成!ご主人、すぐに実戦でテストを行おう! |
ログイン | ご主人、今日も夕張の「でーた収集」を手伝って? |
詳細確認 | 明石、夕張の研究をいっぱい助けてくれたけど、なんだか別の目的があるような…… |
メイン1 | むむ、研究に失敗はつきもの……でもご主人さえいればこの程度、なんでもない! |
メイン2 | ふぅ…夕張少し疲れた…ご主人、ここで少しうたた寝しても大丈夫…? |
メイン3 | 今ならガトーに会っても怖くない!…かも… |
タッチ | ご主人も、ちゃんと休憩を取るんだぞ? |
タッチ2 | あぅ〜〜叩くよ! |
母港帰還 | ふふぅ、今回の「でーた収集」もバッチリね |
勝利 | ご主人、装備更新の大切さ、改めてわかったかな? |
失敗 | ぐぬぬ…装備更新が足りなかったかも… |
ボイス †
入手時 | 私は軽巡洋艦・「夕張」。ご主人はどこかで私と会ったことあるって?むむむ…あ、ありえん…私に姉妹などいないはず… |
ログイン | ご主人さえいれば、夕張はもう何も怖くない…! |
詳細確認 | 缶でも兵装でも、夕張のが一番先進的だぞ(ドヤッ*2 |
メイン1 | ふぅ……(昼寝中) |
メイン2 | メロン?すごく食べてみたい… |
メイン3 | ガトー、怖い…あんな怖いのにネコの名前とかなくね? |
タッチ | ご主人の手、暖かくて気持ちい〜 |
タッチ2 | ん…うっ…あぅ〜〜〜もう噛むよ! |
タッチ3 | ご主人もちょっと子供っぽいね。ふふふ。でも夕張はこんなご主人が嫌いではないぞ |
任務 | 未完了の任務……むむむ、残念ながら夕張、研究の成果は役に立たない模様… |
任務完了 | ご主人、任務完了したら、そろそろ昼寝の時間かな? |
メール | むむむ、怪しいメール…ご主人〜開けてみてよ〜 |
母港帰還 | データ収集完了。次は装備のカイゼンね |
委託完了 | 委託完了だ!むむむ、お土産あるかな… |
強化成功 | むむむ、詰め込みすぎたかも… |
戦闘開始 | 新型兵装実戦テストーー始めっ! |
勝利 | これでご主人も装備更新の大切さが少しわかったかな。 |
失敗 | はわわ!……新しい装備ができたら二度と負けないぞ! |
スキル | 新兵器の力を喰らえ! |
損傷大 | うぅ……兵装が無事ならいいけど… |
▼好感度系 |
失望 | ご主人、夕張には近寄らないでもらえる? |
知り合い | ご主人、夕張をじっと見つめて何を考えてるの?ふふふ、夕張はこういうのに結構鋭いぞ〜 |
友好 | 夕張、出撃よりやっぱり母港にいるほうがいいなあ。ここぞ夕張のお家。青き海に眩しくて暖かい太陽……うぅ…ふむむ……Zzzzz |
好き | ご主人はどんな娘がタイプかな?夕張かな?夕張は、ご主人のような人が好きだよ〜 |
ラブ | ご主人もお昼寝?はい、これは夕張の一番お気に入りの枕。さてこの枕、もしかしたら夢の中で夕張と出会える枕かも?もしそうなら……へへへ♪ |
ケッコン | 嬉しい♪これからご主人が毎日朝目が覚めた時、真っ先に目に入るのは夕張になるのだぞ!えへへ♪ |
ゲームにおいて †
建造限定で入手することが出来る。SRということで狙って入手するのは中々大変である。
2018年8月20日以降は小型建造限定となった。
性能 †
概要 †
SRにもかかわらず、N艦並の低コストであることが最大の特徴。無凸であればLv70でも消費2である。
性能的には「駆逐に最も近い軽巡」という表現がしっくり来る。軽巡内で最低の耐久値と最高の回避値、高めの雷装を備えるが、艦種ごとの特色の枠内からはそれほど逸脱しない。
元々は経験値稼ぎの補助艦としての役割が強かったが、2019年4月に改造が実装され、高難易度な海域での周回にも対応した。
改造後に追加されるスキル『気まぐれの技術者』は個性的かつ有用なもので、夕張を扱う上で大いに役立つだろう。
スキル †
- 『プロトタイプ・巡洋』
夕張の代名詞ともいえる経験値稼ぎのスキル。最大15%アップで、自身が得る経験値にも効果がある。
対象は、軽巡洋艦と重巡洋艦と超甲型巡洋艦。巡洋戦艦は対象外になる。
巡洋艦のレベリングに貢献し、「伊吹」「北風」「吾妻」開発の過程での戦術データ収集でも大いに効果を発揮する (ただし吾妻は戦術データIIのみで有効)。
特別計画艦の開発条件の最難関である、膨大なEXP集めに貢献することができる。
- 『火力全開』
いまいち低い火力ステータスなので、序盤は無理に伸ばす必要がない。
改造後は主砲兵装などが強化される上、確率的にあまり期待はできないものの後述の「試作零式主砲」時に発動すると夕張とは思えない高ダメージを叩き出す。
他のスキルを伸ばした後、教科書に余裕があれば5〜8レベルくらいまで上げておくのが良いだろう。
- 『気まぐれの技術者』
改造スキル。12秒毎に100%の確率で、下記内容からランダムで発動する。
効果の大小はあれどマイナス効果は存在せず、野分のランダムスキルのように発動のデメリットを気にする心配は無用。
発動間隔が短いので、攻撃面では手数の増加を、防御面では耐久の底上げを期待できるだろう。絆創膏が連発しても泣かない。
スキルレベル上昇による影響は、修理装置の回復量、零式主砲・特製花火・試作魚雷のダメージにのみ掛かる。発射数などは変わらない。シールド系は性能に変化が無い。
名前 | 効果 |
試作零式主砲 | 夕張自身が投射型の榴弾3発を2セット発射。射角は360°あり、上下や後ろにいる敵でもサーチする。ターゲットは一番近い位置にいる敵? 威力56x6と283mmSKC28三連装砲をも超える超火力。あくまで夕張の火力に依存するので突出したダメージは出せないが、運良く火力全開後に発動すると意外なダメージが出ることもある。 |
特製花火爆弾 | 一定時間進んだのちに弾けて周囲に弾をばらまく回転爆弾を1つ発射。 敵艦が使うものと異なり、命中しても貫通してゴリゴリと多段ヒットする特性があるため、直接敵にぶつけると威力が高い。 |
試作魚雷発射管 | 直進する魚雷を夕張の正面に連続(1x6を2セット)発射する。 2セット目の発射まで時間差あり。 |
お徳用絆創膏 | 全艦回復。値は9で固定。ハズレ枠? |
携帯式修理装置 | Lv10で全艦に「夕張の最大HPの2.4%」を回復する。ベルちゃんのスキルと似たような効果。 |
投影現象バリア | ×印の盾を自分のやや前方の位置に固定設置。持続時間6秒。 敵弾を99発防御可能だがシールド判定が×印のやや下の僅かな範囲しかなく、現状はハズレ枠。 意図的に狙えるようなものでもないためあまり見る機会はないが、シールドに敵がめり込むと衝突時と同じくらいのダメージを受け続ける。 |
斥力防護シールド | 無地の盾を自分のやや前方の位置に固定設置。持続時間18秒、敵弾60発まで防御できる。 敵の目の前に置くと弾幕の大半を吸収してくれる優れもの。 |
バリア、シールド共に演習では相手の前衛主砲が止まることがある。発生原因は不明だが起きない人は何回やっても起きないので機種関係の不具合か?
またアプリの使用環境によってはシールドが透明から黒っぽい色になる不具合もあるが、これは幸いにも戦闘では見辛い以外の影響は無いので気にしないでいいだろう。
総評(改造前) †
低コストとスキルのEXPアップが噛み合い、レベリングのオトモに向いた性能。中盤海域でのレベリング時にプラス1艦欲しい際に便利。
火力値が高くないが、これはMVPを仲間に譲りやすい長所とも言える。全弾発射の榴弾ワイドショットも、ケズリとトドメに便利で優秀。
魚雷の装備補正率が高く、良い魚雷を載せれば高いダメージを叩き出すことができる。これも、低レベルを引率していると処理が長引きがちな敵戦艦対策として有効に機能する。
対空値・装備補正ともに良好で、重桜軽巡の中では対空が得意な部類。
難点は、耐久値が低いこと。
高難度海域で連戦すると、レベルが高くてもすぐに耐久が削られるので、最前線に投入する時はしっかりした対策を行う必要がある。
スキルの火力全開は、もともとの火力値が高くないため大きな効果を得られない。いっそ火力全開は一切鍛えず、MVP譲りに専念するのも選択の一つだ。
EXPアップスキル艦は他にアマゾンと鳳翔、ラングレー改が居るが、その中では夕張(とラングレー改)は第2スキルの存在も含めて戦力としての実用性が比較的高く、扱い易い。
特に敵にネームド戦艦や空母が出てくる海域のレベリングでは、優秀なサポート役となるだろう。レベリングを抜きにしても、それらの対策にあと1手欲しい場合に低コストな夕張がピッタリなこともある。
艦隊の主役を張れる性能ではないが、縁の下の力持ちとして活躍してくれるだろう。
総評(改造後) †
改造によってステータスが主砲寄りに伸び、難点だった耐久の低さも若干マシに。
12秒という短い間隔で発動する『気まぐれの技術者』がステータスを上回る利便性を発揮し、砲撃、雷撃共に手数の多さで活躍してくれる。
また、重桜軽巡としては対空が高いため、12章以降の高難易度海域でもレベリング周回に連れていけるようになった。
回復やシールドで自身の低い耐久を補いつつ、艦隊全員のケアも担当してくれるだろう。
強化された代償として必ずしも他の艦にMVPを譲れる性能ではなくなってしまうが、得られる経験値が多い海域へ行けるというのは大きなメリット。
オススメ装備/編成 †
主砲 †
主砲火力はあまり伸びないので、安定したダメージを与える榴弾砲や、広範囲かつ扇状に発射するショットガンの様な砲を載せて、耐久が僅かな敵のトドメを任せると便利。
改造後には強力なスキル砲撃もあるため、火力全開も見越した上で良い砲を渡しておきたい。
- 152mm三連装砲(ユニオン)…★4榴弾砲。
扇状に弾を6発同時発射する。全弾発射スキルも相まって、広範囲の制圧と高ダメージの両立が可能。
T3のみ榴弾であり、ケズリ以外に自爆艇の処理にも最適。
- 155mm三連装砲…★4〜5榴弾砲。
扇状に3発の榴弾を2セット連射する、榴弾タイプの軽巡主砲の中ではトップクラスの高性能。
★5は入手困難な貴重品であり、ベルファストを筆頭に優先される艦が多い。夕張は主砲火力が高くないこともあり、★4で十分。
- 152mm連装砲(ユニオン)…★3通常砲。
4発同時発射する通常弾のワイドショット。リロードが早く、削りや自爆ボート対策に有用。回せる軽巡主砲に余裕がない時の繋ぎに便利。
魚雷 †
魚雷は夕張一番の長所なので、単発威力の高い610mm系統を載せて接射したいが、接近するリスクが高いため5連装系を中距離からバラ蒔く手もある。
磁気魚雷の登場によりオート適正も高くなった。
敵戦艦が出てくると分かっているところでは一時的に手動操作に切り替え近接魚雷をお見舞いしてやると、時短になる。特にオートでの対戦艦戦では、砲撃での炎上や無為な体当たりにより前衛の耐久が削られやすいので、夕張には重要なことである。
- 610mm四連装魚雷…★5魚雷。
発射速度と発射数は少々落ちるが、射程が長く単発火力は大きい。手動に手馴れているならこちら。
- 533mm五連装魚雷…★4〜5魚雷。
発射数と攻撃範囲に優れた基本装備候補。射程が少々劣るが、オートや中距離からの攻めならこちら。
- 533mm四連装磁気魚雷…★4〜5魚雷。
威力や発射速度などでは上記より劣るが、誘導性能がありオート向け。
対空 †
対空は魚雷に次ぐ長所なので、出来る限り良いものを装備させたい。
- 105mmSKC連装高角砲…★4〜5対空砲。
射程・威力・攻撃速度と三拍子揃った鉄板候補。
特に★5は対空砲の中で最高峰の性能だが、★4でも申し分ない。
- 113mm連装高角砲…★4〜5対空砲。
攻撃速度は低いが射程と威力が高く、これも鉄板候補として高い性能を持つ。
- 四連装ボフォース40mm機関砲…★4〜5対空砲。
射程は控えめだが、威力と攻撃速度は他の候補を押しのけてベスト。
- 76mm高角砲…★4対空砲。
威力が低いものの、射程と攻撃速度に優れている。
入手しやすいので、他の装備候補が足りないときの繋ぎとして。
設備 †
どうしても耐久の低さがネックになるので、耐久力アップの設備を優先したい。
改造後は魚雷を撃つ頻度が増えるため、1枠を酸素魚雷にするのも良い。
- 応急修理装置…★4設備。
耐久上昇+持続回復。言わずと知れた、耐久上昇のスペシャリスト。固定装備になり得る必需品。
- バルジ…★4設備。
耐久上昇+魚雷ダメージ軽減。入手はやや面倒であるが、応急修理に次ぐ耐久上昇率を持つ。
元々が魚雷に強い軽装甲とはいえ、少しでもダメージを抑えたい夕張には十分候補となる。
演習などに参加させる場合は、後述の消火装置と共に需要は更に上がる。
- 消火装置…★3設備。
耐久上昇+火災被害軽減。特に軽装甲には脅威となる榴弾の被害は抑えておきたい。
設計図は2-3で入手可能な上に少ない数で済むので、手が出しやすいのも長所の一つ。
後半海域やハードに参加させる場合は、特に装備機会は増えるだろう。
- 強化油圧舵…★5設備。
耐久+回避上昇。確率で全ての攻撃を回避する強力な装備。
ただし、科学研究室でのみ入手可能な設計図が25枚と、入手難易度が極めて高いのがネック。
- 九三式酸素魚雷…★6設備。
雷装を大幅に上げる設備。本人ご所望の設備だけあって、高い装備補正を活かせるため相性はいい部類。
- 対空レーダー…★4、高性能対空レーダー…★5設備。
対空値を上げる設備。優先度はあまり高くないが、航空機が多く飛び交う海域などではお呼びが掛かるかもしれない。
編成 †
- 前衛編成
「プロトタイプ・巡洋」スキルを活かすなら、やはり巡洋タイプと組ませるのが良いだろう。
特にプリンツ・オイゲンやインディアナポリス、ノーフォークといったシールド系スキル持ち、
あるいは「煙幕散布・軽巡」スキルを持つベルファストなどは、夕張自身の脆さをカバー可能。
いずれも巡洋タイプでは高い性能を持つので、レベリングを終えた編成においても一考の余地はある。
上記以外で、攻撃面では雷撃が強力な駆逐艦系と組ませ、「火力全開」スキルを活かしつつ高威力の魚雷をバラ撒くのも良し。
ちなみに同じ軽巡艦系なら、神通改がいれば彼女の強力なバフの恩恵を受けられるのでなお良い。
他にはシグニット改やジュノー(駆逐)の「煙幕散布」スキルなどで、同時に防御面を補うのも手。
- 主力編成
純粋な戦力として配置する場合、生存率を高めるために「支援空母」スキルを持つユニコーンと祥鳳、
工作艦である明石かヴェスタル、確実性に欠けるが高い耐久と攻撃面で期待出来るアリゾナなど、回復スキル持ちと組ませたい。
特にユニコーンと明石は「装填指揮・前衛」スキルを持つため、どちらかを配置すれば攻撃面の強化も得られる利点がある。
また、回復ではないが「装甲空母」スキルで前衛にシールドを付与するイラストリアスなども、割と相性は悪くない。
キャラクター †
アズールレーンのサービス開始からいる重桜の一員。事前登録特典にも選ばれた。
巡洋艦でありながら駆逐艦のような船体を持っていたためか、小柄な体型。しかしふとももは立派である。
試作実験艦として誕生した史実からかデータをよく取るが、時折、ビクっと震えて見開いた眼から光が消える。新しい発明でも思いついたのだろうか。
砲塔を左手で保持しているが、右手のコントロールスティックで操作していると思われる。この点、別の世界線の夕張さんを髣髴とさせる。
髪型は大きなおさげでアホ毛にリボンを結び、鈴が付いたゴムで後ろ髪をまとめている。重桜特有の獣耳は恐らく狐。もっふもふ。しかしながら性格は猫っぽい。
指揮官のことを『ご主人』と呼ぶ。着物を着ているが、運動性を重視したのか腰より下が無い。このため露出がとんでもない事になっている。
よく見ると振袖には細長いメロンのようなものが描かれている。実際にメロンが好物らしい。
- 夕張と言えばメロンで有名だが、夕張メロンは戦後に開発されたものなので軍艦夕張との接点は無い。丸い夕張メロンではないのはそれを反映したためだろうか。
- メロンのことを漢字では甜瓜(てんか)と呼ぶが、これはメロンを指すと同時にマクワウリをも含む表記であるため、マクワウリなのかもしれない。
公式ツイッターの説明によると「昼寝大好き、新兵器大好き、科学大好き、暇な時は装備を魔改造している」らしい。寂しがり屋で、喋り方が若干オタクとの事。
雷や白露等とともに昼寝部という謎の部活動をしている。聞けば、一番暖かい時間帯に手を繋いで寝る部活とか。おい、活動しろよ。
他にもロング・アイランドや綾波もいるゲーム愛好会に所属しており、和室1つを共用のゲーム部屋として確保していたりしている。
「理科実験タイム!」では、理科室の管理委員を務めている事が判明。許可を取らずに使用すると軍法会議ものらしい。
2019年4月に改造が実装され、今にも見えそうな上半身が作業用のエプロンへと変わった。裸エプロンとか言わない。
デザインに大きな変化はなく、全体的にブラッシュアップされた姿になったが、特筆すべきは表情差分が追加された点。
SDは寮での入浴時に髪をまとめるようになり、つまみ上げても目からハイライトが消えなくなった代わりに、椅子に座らせるとハイライトが消えっぱなしになる。
毎日のように戦術研究で密着魚雷をぶち込まれりゃ無理もない。
イベントでは主にメカニック兼商人の明石と共に科学者として情報分析等のバックアップを担当する。
その腕前は伊達ではなく、ネプテューヌコラボの折には明石と共に一晩でねぷ組の艤装を作ってしまった。
ラステイションも逃げ出す脅威のメカニズムである。
一方で、研究となれば明石ですら躊躇する危険な行為を涼しい顔で行うマッドサイエンティストな気質を表したりもする。
これは彼女の生みの親である平賀譲が、イギリス造船学会から非イギリス人として初めて金牌を受賞し、晩年には第13代東京帝国大学総長も勤めた天才技師である一方で、
周囲との軋轢も意に介さない頑固っぷりから「平賀譲らず」などと言われた奇才であることと関係するだろう(「元ネタ」も参考)。
ちなみに、彼女が酸素魚雷を研究したいと言っているのは、第一次ソロモン海戦でヴィンセンスとクインシーを撃沈する大戦果を挙げたからだと思われる。
ティルピッツのキャラクターストーリーでは、科学部という部署で働いている事が判明。指揮官とティルピッツに、健康促進の効果がある空気浄化装置をプレゼントした。
事前登録者数20万人突破記念により、30日間限定で全員に配布されたことがある。
現在は建造限定のレア艦となっているので、狙う場合は気長に待とう。
建造時間は1時間12分。この建造時間で造れるのは夕張しかいない。
余談だが本国版では中共の規制で、自軍に編入すると狐に名前が置き換わる。
新たに実装された大講堂では、火・土曜日の授業を担当する。巡洋艦相手に教鞭を振るう。そして相変わらず眼から光が消える。
戦術研究では作戦内容・雷撃において相手を務める。開幕から前衛の魚雷を密着で叩き込めば短時間で撃破可能。こんなの毎日されたら眼から光が消えるのも必然だろう。
| | 年越しそば…というわけではありませんが |
| | #嘘ネタ#これで非常時の電源も安心なのー! |
| | #母港不思議グランプリ#誓いの指輪発売中CM、好評配信中にゃ! |
| | 新しい兵装実験の手伝い…夕張のこれって本当におもちゃじゃないの? |
| | 我が革命は進み続ける!例え氷原の中でもだ! |
| | ロボットエキシビションだよ!クマちゃん! |
| | いつの間にかもう朝なのね…… |
| | 高速・便利・安心。ファーゴ運送 V(0-0)V |
| | ひろびろバスタイムくんで、みんな一緒にお風呂へ入ろう! |
元ネタ †
艦名は北海道の石狩川の支流で、夕張を水源とする夕張川に因む。「鉱泉の湧き出る川」を意味するアイヌ語ユーパロが語源である。
ユウパロ、ユウパロ、鉱泉よ集まれー。佐世保生まれ。大東亜戦争に参加した日本の艦艇の中で、唯一北海道の地名が使われた艦でもある。
他にはない先進的な小型試作巡洋艦で、実験艦的役割を果たした。実験は一定の成功を収め、後続の日本重巡洋艦に活用されていく事となる。
ちなみに夕張の名を冠した最初の軍艦でもある。巡洋艦とされているが、実際は大型駆逐艦程度の体躯。帝國海軍一小柄な巡洋艦。
その革新的な設計は世界を驚かせ、日本の技術力の高さを如実に示した。
第一次上海事変では支那軍が運用するウースン要塞と撃ち合い、沈黙させる戦果を挙げた。支那事変では巡洋艦肇和と一騎打ちし、
大破航行不能に追いやった。大東亜戦争開戦劈頭、ウェーキ島攻略作戦を皮切りに各種作戦に従事。第一次ソロモン海戦ではアメリカ艦隊を
一方的に叩きのめして快勝を収めるなど艦齢を感じさせない八面六臂の活躍をした。
- 1917年の八四艦隊補助艦艇建造計画で5,500t型軽巡洋艦として建造を予定。しかし1921年に締結されたワシントン軍縮条約によって小型試作巡洋艦に設計を変更。八四艦隊整備計画は後の八八艦隊計画に繋がる前段であり、基幹となる艦が次々に起工していったが、ただでさえ厳しい国家財政を更に圧迫。時の海軍大臣より、八八艦隊計画実現のためにも建造費の切り下げを要求され、強力かつ安価に造れる設計を模索し始めた。1921年6月12日、設計士の平賀譲造船大佐より全く新しい設計の意見具申がなされる。これが夕張の原型となった。部下の藤本造船少佐が詳細設計を行い、平賀造船大佐が周囲の反対を排除して、建造に持っていった。12月5日、佐世保工廠に製造訓令が下る。川内級軽巡洋艦綾瀬を同年12月23日に軍艦夕張へと改名。新設計の夕張型に変更して1922年6月5日に佐世保工廠で起工。1923年3月5日に進水し、同年7月31日に竣工した。かなりの急ピッチ工事だった。竣工後、佐世保鎮守府に所属する。艦内神社として、北海道夕張市の夕張神社から分祀を受けている。市内で最も社格が高く、そして古い神社だった。乗組員も多く参拝していた。
- 艦名は前身の綾瀬から引き継ぐ予定だったが、「瀬」の付く艦は縁起が悪いという声があり変更。艦政本部では新たに「加茂」と「木津」を提案したが、加茂は球磨とローマ字の綴りが似ていて紛らわしく、木津は傷に通じる事から却下。そこへ北海道の河川を襲名した艦が無いという嘆きの声が聞こえてきたため、「夕張(ゆうばろ)」と「名寄(なよろ)」を候補に挙げる。どちらもアイヌ語の濃い読み方で、一般的ではないとして「ゆうばり」「なより」に変更。議論の結果、「夕張」が選ばれた。
- 当時予算の乏しかった海軍は、5,500t型と同等の戦闘力を有する「高性能な小型艦」の建造を望んでいた。そこに基本設計主任だった平賀譲造船大佐(当時)が提案したのが、5,500t型の軽巡と同じ火力を3,000t級の船体に載せるという挑戦的な、ある意味で画期的な代物であった。恵隆之介氏著書「海の武士道」によると、「米英軍艦の3分の2の排水量で、それ以上の戦力を付ける」というコンセプトだったという。夕張の建造について、当初は師匠であるイギリスに依頼しようとしたが、設計を見るなり「こんな軍艦を造ったら、戦うより前に転覆してしまう」と一笑に付された。当然の反応に追従し、帝國海軍内でも反対意見が噴出したが、平賀譲氏の主張・説得に折れ、長良型4隻の内1隻分の予算を充てて試作する事になった。平賀大佐は夕張を大型駆逐艦として設計したらしく、「特型駆逐艦」という記述も散見される。海軍もまた初期の資料には駆逐艦と表記している。計画番号はF42で、睦月型と吹雪型の間に位置する。設計は特型駆逐艦をベースにしていた。夕張の肝は如何にして安く、そして強力な武装を持つ艦を造るか。この至上命題を実行すべく、徹底的な軽量化が図られた。建造費は5,500t型の7割程度。小型化により節約できた建造費は450万円に達したと言われている。
- 造船官側は、この夕張を量産して予算削減を主張したが、海軍内部では全く相手にされなかったという*3。1921年12月、艦隊側を含む関係者29名が球磨級軽巡洋艦型研究会を開催。議論の結果、球磨型以下の小型艦は不可と結論付けた。
- ともかく実際に完成してみると、あまりにも独創過ぎる設計は世界中の海軍を驚かせた。3,100tの船体に5,500t級の武装を装備させるという無茶苦茶な設計を現実のものとした夕張は、列強の海軍関係者からRemarkable-ship(顕著な船)と呼ばれた。公式運転の日、イギリスや列強各国の武官が見守る中、夕張は34ノットで突っ走った。動揺や振動も問題なく、射撃を行っても障害は起きなかった。各国の武官に衝撃が走る。特に弟子の帝國海軍に先を越されたイギリスのショックは大きかった。海上を何事もなく疾駆する夕張を見て「あれは何かのトリックだ」、「ドクター平賀は一体どんなマジックを使ったんだ?」などと、中々事実を認められなかったらしい。そしてすぐに夕張の秘密を探ろうと躍起になった。英国のオスカー・パークス博士は「日本の大胆な造船技師によって世界の巡洋艦は、全く設計をやりなおさねばならぬことになった」と漏らした。また海外の技師は夕張を見て、「卵の殻がハンマーを持っている」と評した。夕張の情報は、イギリスのジェーン海軍年鑑に特記事項で記載された。
- ジェーン海軍年鑑に曰く、「最も独創的な軍艦である。波状の甲板線、単砲塔式の配置奇怪な形の前檣と艦橋、樹幹の如き煙突、反身を打った外舷…は総て特記すべきものであるが、首尾線砲力の少なき時耐波性に乏しきことが欠点ではなかろうか?なお、青葉及び那智はこの型式を進めたもので、この型の特色は噸数を全て戦闘力に利用せんがため、居住の安慰を犠牲にしていることである」と書かれた。居住性の悪さを速やかに看破したのは、さすがイギリスと言うべきか。ただしこれらの逸話にはしっかりとした裏付けを欠く部分もまま見られる。
- 時代は進み、1939年度軍備拡充計画にて夕張の代艦として大淀型が設計された。こちらも夕張同様、特異な巡洋艦であった。
- 単装砲の上に連装砲という独特の主砲配置、類似の形式はアメリカ海軍のペンサコーラ級のみ。こうするとより多くの主砲を積めるのだが、トップヘビーになり復元力や防御がなおざりになるためか、太平洋戦争に参加した中ではやや旧いこの2級しか存在しない。魚雷は長良型や川内型が装備していた物と同じ八年式61cm(二)連装発射機で当初は前者達が装備していたのと同じ魚雷と発射管を纏めただけの水上発射管だったが改修時に61cm三連装魚雷の様な箱型の波除防楯付き発射機になっていて、また天龍型の六年式三連装発射管の様に改修時、発射機の高さを嵩上げしている。また流石に水偵運用の為の設備(射出機等)は余裕が無いので積めなかった。艦尾には機雷敷設用の装備が搭載されていたが、艦隊決戦用の軍事機密だったため白い覆いが掛けられていた。同時に艦尾からの撮影を禁止している。
- 船体構造は駆逐艦式にして、船殻重量を軽減。浮いた分を防御重量に回した。艦首は船首楼を採用し、凌波性に優れる。ビルジキールは幅広の複板式で、安定した射撃を実現。艦橋の真下に缶室があるが、煙路は艦橋後方の煙突に繋がっており、そこから排煙する仕組みとなっている。装甲は厚さ38mmのNVNC甲鈑で、舷側外板から1区画分内側の縦壁に船体強度部材として組み込み、重量を減らした。主機は小型軽量化のため神風型と同様の物を使用。更なる小型化を行うべく、特例として燃料を全て重油にした。従来の巡洋艦には無い新機軸を惜しみなく随所に投入していった。
- 世界初の試みとして誘導煙突を採用。1本にまとめられた煙突は先進的で、後発の巡洋艦を想起させるものとなった。士官室を艦中央部に設置した日本初の艦艇でもある。この工夫により艦橋と士官室の交通が便利になり、連携しやすくなっている。諸元は排水量3,141t、全長39.9m、全幅12.04m、出力5万7900馬力、乗員328名。その戦闘能力は球磨型に匹敵すると大阪朝日新聞で紹介された。艦艇としての諸性能も好成績だった。特に友鶴事件の反省がしっかり活かされているため、復元性能は極めて良好であった。画期的な艦ではあったが、欠陥が無い訳ではなかった。居住性の悪さや、余裕のない設計により改装が困難な点、速力が34.8ノットと計画速力の35.5ノットに達しなかった事から荒天下における速力及び航続距離の低下等が指摘された。特に航続距離は3300海里しかなく、旧式の峯風型駆逐艦(3600海里)にすら負ける有り様だった。武装の増設が不可能だったため、竣工してから沈没するまでの間、見た目が殆ど変わっていない特徴がある。
- 夕張と同時期に同じ場所で建造された由良は、何かと比較される事が多かった。単なる5,500t級軽巡洋艦に過ぎない由良と、革新的存在の夕張とでは何かと不利であった。船型過小で拡張性や防御力・航海性能に難があったことに加え、ワシントン海軍軍縮条約締結により、帝國海軍が重巡の建造に注力し始めたため同型艦は建造されなかった。一方で夕張の設計は特型駆逐艦や重巡洋艦などその後の多くの日本艦艇の設計のベースとなっている。
- 開戦時は南洋方面を管轄する第四艦隊所属の第六水雷戦隊旗艦であった。
麾下には第三十駆逐隊と、旧式の神風型で構成される第二十九駆逐隊(追風、疾風)がいた。
河川で戦果を挙げた巡洋艦という変わった戦歴を持っている。
支那事変の折に珠江河口で戦闘を行い、清国の防護巡洋艦「肇和」を航空爆撃と砲戦の末に座礁(後日自沈)させている。
第一次ソロモン海戦に参加した際は戦闘前から機関タービンの不調により速度が30ktにまで低下。
更に戦闘中に停電するなど老朽化の影響が目立った。
乗員たちは航行不能になった場合に備え、いざという時は夕張を座礁か自沈させ陸戦隊となることを覚悟し、軽機関銃や小銃を積み込んで海戦に臨んだという。
1944年4月27日、パラオ諸島での輸送任務の帰りにアメリカ潜水艦「ブルーギル」が発射した魚雷6本のうち1本が機関室に命中し、航行不能となった。
排水作業を行いつつ五月雨が曳航しようとするが、重さの差で曳航作業は難航。翌28日には浸水区画が広がり沈没し始めたため、生存者は夕月(未実装)に移乗。
最期は艦首から沈没していった。
- さて、1923年7月31日に竣工した夕張だが、さっそく未曾有の国難が襲う。同年9月1日、横須賀に停泊していた夕張は関東大震災に遭遇。帝都や横浜方面が壊滅し、横須賀も少なくない被害をこうむった。夕張はまず、大破した横浜港へと回航された。夕張の初任務は、倒壊した横須賀刑務所の囚人400名を名古屋まで護送する事だった。地震により収容されていた囚人1134名中53名が圧死。残った施設も飛び火による火災で焼失し、収容する場所を失った。一時的な措置として椎名刑務所長は24時間だけ囚人を解放。約束どおり翌2日に戻ってきたのは約700名だった。彼らを次なる収容所である名古屋に護送するため、夕張が輸送船に選ばれた。根岸湾へと回航され、待機。囚人をボートに乗せ、ピストン輸送された。9月4日、第一陣295名を乗せて横浜を出発。駆逐艦葵とともに厳重な監視体制の下で航行し、囚人を名古屋刑務所に移送した。9月8日、第二陣の135名を運ぶ。移送後、すぐに横浜方面へ戻り、建物の下敷きとなって逝去された山階宮佐紀子女王殿下の遺骸を東京まで運んだ。
- 9月10日からは横須賀方面を訪問する摂政宮の乗艦となり、仮病院や軍施設等を視察して回った。厳戒司令部が置かれた横須賀鎮守府より、横浜市の警察署救援と朝鮮人・中国人の保護を命じられ、その後も杉浦艦長ともども奔走している。
- 1924年4月4日、高速航続力試験のため佐世保で出港準備中、右舷高圧タービン翼が破損する事故が起きている。夏、煙突を2m延伸する工事を受ける。これにより排煙が逆流してくる問題を解決した。9月下旬から10月中旬にかけて海軍大演習が実施された。演習費用500万円を計上し、廃艦安芸と薩摩を使用。西は台湾の馬公から、東は青森に至る一帯の太平洋上を舞台に、艦隊は青軍(攻撃側)と赤軍(防御側)に分かれた。夕張は戦艦長門率いる青軍に所属。摂政宮が扶桑を御召艦にして演習を観閲した。費用の大半は燃料代に使用され、演習期間は12日間に及んだ。
- 1925年4月6日、横須賀を出港。南洋警備艦となり、隠密行動を以ってハワイ方面で演習中の米艦隊の動向を調査する。アメリカは対日戦を想定したアロハ演習を行っていたのだ。遠征隊3000人を投入し、南洋諸島の占領を研究していた。ハワイ沖で演習する米艦隊を観測する夕張。接近しすぎて米艦艇から追跡を受けるが、機関排煙を煙幕代わりに使って逃げ切っている。任務中、佐世保の地方紙に「新鋭艦夕張、消息不明」と記載された事があった。調査を終えた後、特務艦神威と合流。ヤルート島まで回航し、4月26日に横付けした神威から重油645トンを補給。6月23日、佐世保に帰投。8月4日には馬公に派遣されている。1926年2月4日、佐世保工廠で錨鎖庫の改造を受ける。
- 1927年8月24日夜、美保関で行われた連合艦隊の演習に参加。その時に神通と蕨が衝突事故を起こし、蕨が沈没する事故が発生した。主力艦艇が生存者の捜索を行う中、夕張は駆逐艦を率いて予定通りに25日午前に舞鶴へ入港した。殉職者の中には元夕張乗員だった者もいた。9月5日、佐世保工廠で諸室を改装。10月30日、横浜沖で挙行された大演習観艦式に参加。第四列に連なり、25隻の駆逐艦を率いた。12月21日、山東方面の状況変化に伴い、巡洋艦長良が陸戦隊を乗せて青島へ急行する事になった。夕張や海兵団等から兵力が抽出され、臨時の陸戦隊200名を編成。佐世保軍港は、さながら戦時の如き混雑となった。1928年7月16日、佐世保工廠で羅鍼艦橋遮風装置の改造を受ける。同月24日、官房第216番電報により運送艦佐多へ内火艇1隻を貸与。9月25日、煙突に雨水排除装置が施された。
- 1929年2月18日、海軍生活体験のため熊本県第二師範学校の教員及び生徒百余名が来訪。宿泊先として夕張が選ばれた。1930年2月20日、横須賀軍港に停泊。午前6時30分に総員起こしの号令が下り、30分後に上陸していた乗員が帰艦した。午前8時5分、総員集合。二日後の22日、横須賀を出港。知床に入港した。10月7日午後12時24分、伊勢湾に停泊していた夕張は運送船襟裳に横付けされ、燃料補給を受ける。222トンの重油が供給され、14時45分に完了した。10月16日16時48分、同じく伊勢湾にて襟裳から給油を受ける。宵闇が包みつつあったため、探照灯を照射しながらの作業になった。20時13分、作業完了。10月26日、神戸沖で挙行された特別大演習観艦式に参加。第三列に連なり、23隻の駆逐艦と掃海艇を率いた。
- 10月14日より大阪朝日新聞で「大観艦式に因む軍艦物語」というコラムが連載される。このコラムで夕張が少し触れられ、那智(妙高)級の生み親と書かれた。同時に’’居住性を無視’’(ド直球)とも書かれている。
- 1931年7月24日、第三回対抗演習に参加。夜戦と対空戦闘の訓練を行った。
- 1932年1月21日、第一次上海事変が発生。同日夜、危急を受け、佐世保に停泊していた夕張や各駆逐隊に24時間待機命令が下る。異常な緊張が支配する中、軍需品の積み込み作業が急がれた。やがて第一艦隊第一水雷戦隊の旗艦として上海に派遣される。当初は現地の陸軍だけが活動し、排日拠点を潰していたが海軍も自衛権を行使して介入。国民党軍と交戦する。上陸する味方部隊の支援や、上海方面に砲撃を加える。1月31日正午、上海近海を警備。2月20日、佐世保工廠で電気暖房機器を増設。工事が終わると前線に舞い戻った。3月3日、呉淞(ウースン)要塞近海を航行中、突如砲撃を受けたため夕張と随伴の駆逐隊は交戦を開始。要塞へ砲撃を行っている。この様子は後に絵葉書となって後世に残された。夕張の砲撃で炎上したが蒋介石率いる国民党軍の戦意は高く、呉淞要塞の砲台は激しく抵抗してきた。砲弾が飛び交う中、先に膝を屈したのは呉淞要塞だった。同日中に何とか呉淞要塞の無力化に成功。支那派遣艦隊司令は、国際航路上にかのような要塞を放置するのは脅威として、占領を命令。翌4日、空と海からの攻撃で大打撃を与えるも、約3,000名の敵兵は砲台周辺や黄浦口岸一帯に陣を張って抵抗。この攻撃で夕張は勇名を轟かせる。やがて横須賀特別陸戦隊が上陸し、敵の残党を陣地外へ追い出し、要塞を完全に占領。軍艦旗がひるがえった。国民党軍が支配する上海や南京では「夕張撃沈」を始めとする虚偽の戦果を大々的に掲載して、人民の戦意を囃し立てた。この電報は広東方面や漢口方面にも伝わり、排日活動が激化。在留邦人は引き上げを余儀なくされ、代わりに陸軍が投入された。その後、夕張は楊子江方面で遊弋し、停戦条約が結ばれた後の3月20日に帰投した。
- 3月下旬、佐世保工廠に入渠。7.6cm高角砲を撤去し、魚雷発射装置に防盾を追加する工事を受けた。同時に艦内の設備も拡充され、5月23日には電気冷蔵庫を、6月3日に舷窓遮光風取器を新設。10月8日には魚雷指揮用伝声管を、19日には電気湯沸器を設置している。12月1日、九州や四国の港を巡航。見学者を乗せて検閲点呼や訓練を行った。工事は翌年1月に完了。
- 1933年3月15日、魚雷指揮用伝声管を新設。5月10日、三.五米測巨儀測的所間伝声管を新設。8月12日、運送船鳴戸より重油142トンの補給を受ける。8月25日、横浜沖で昭和八年度特別大演習が行われ夕張も参加。第三列に連なった。11月24日に舷窓を増設。1934年10月12日、演習に参加していた夕張は午後8時28分に僚艦由良と衝突事故を起こす。艦首が変形し、浸水する被害を受けた。幸い、衝突寸前に全速後進を行ったため大事故には至らなかった。11月15日、佐世保から横須賀鎮守府に転籍。17日に横須賀工廠で損傷箇所の修理が行われる。予算は1万6200円(当時)。12月26日、防雷具装置の改正を受ける。
- 同年、ロンドンで行われた国際水槽会議(6月7日〜11月9日)にて平賀博士は論文を発表。夕張の曳航実験により帝國海軍は貴重な成果を得たと記した。聴衆は深い感動に包まれ、平賀博士の報告が終わると、会場は拍手喝采となった。
- 1935年5月15日、長野県知事の依頼で職員13名に海軍生活を体験させる。夕張に乗艦した彼らに寝床と生活の場を提供。17日に退艦した。6月19日、予算4,000円で甲板兵員室の舷窓が撤去された。9月26日、機密図書格納棚を増設。10月7日には横須賀工廠で兵員病室及び治療室舷側日覆を新設、翌日には前部運用科倉庫艦底防水装置を新設している。同時に防雷具揚収用「フエヤーリード」も改正。11月15日、第五水雷戦隊を編成。夕張は細萱戌子郎少将座乗の旗艦に指定された。翌16日、前部機械室内電話室を拡張。1936年5月、夕張はクチンを訪問。原住民はワニを捕らえ、その肉をカレーにして乗組員に振る舞ったという。6月10日、夕張に搭載されていた内火艇の廃棄処分が認許された。検査で船体に大破損が認められたためである。9月19日、漢口の日本領事館を警備していた警察官巡査が何者かに射殺される事件が発生。これに伴って第三艦隊から急派された夕張は22日午後に現場へ到着。先発していた第五水雷戦隊を指揮して厳重な警備を行った。9月27日、荻洲参謀長は細萱第五水戦司令官と会談すべく艦載水雷艇で夕張に移乗した。
- 10月1日、観艦式を前に大阪朝日新聞では軍艦の紹介を行った。「貧乏力が造った血涙の夕張」の見出しで、夕張が解説されている。「我が海軍の至宝造船中将平賀譲博士が脳漿(のうしょう)を絞って作った巡洋艦夕張」「この艦が出来てから、世界のあらゆる大きな艦艇が、狸の泥船みたいに間が抜けて見えた」と評されている。
- 1937年4月、上海に停泊しているところをアメリカ海軍に撮影されている。この年に第二、第三砲塔の波除けの形状を改正、方位測定儀用空中線の改良を行っている。
- 1937年7月7日、第二次上海事変を契機に支那事変が勃発。夕張も前線に投入され、支那海軍と交戦する。また中国沿岸の封鎖作戦にも参加した。広東方面への侵攻を企図する日本軍は、虎門要塞を突破すべく2隻の駆逐艦を送り込んだ。要塞を砲撃するが、要塞と水上艦の連携により損害を恐れて退却。急遽増援として夕張が派遣される事になり、現場へ急行。9月13日、香港西方に進出。第二九駆逐隊の追風と疾風が合流した。陸軍の総攻撃に合わせ、珠江河口へ向かう事になった。9月14日朝、駆逐艦追風・疾風を率いて河口を遡行。上流の虎門要塞を攻撃すべく進撃していた。すると前方より中国海軍の艦艇が接近。1912年12月1日に竣工した旧式巡洋艦「肇和(シャオホー)」と砲艦「海周」だった。どちらも艦齢25歳前後の老朽艦である。川の中で海戦が始まった。小型な「海周」を先に撃沈し、「肇和」を包囲する作戦を立てた日本側は2隻の駆逐艦を海周に向かわせた。相手の意図を察知した中国艦は突如として後退し、包囲を防ぐ。戦いは追撃戦に移行した。40分間に及ぶ砲撃戦の末、夕張は「肇和」と一騎打ちとなり互いに砲撃を行う。「肇和」からの砲弾が煙突に直撃するが、不発。この砲弾がもし爆発していれば、艦長以下艦橋要員が死傷し海戦の結果は変わったであろう、と後世の中国歴史家は分析している。すかさず反撃を加え、「肇和」に多くの命中弾を浴びせた。船体が引き裂かれ、甲板上の水兵が死傷。1名の水兵が爆風で陸まで吹っ飛ばされた。「肇和」の水兵は退役軍人で構成されており、艦の性能でも乗員の錬度でも夕張に劣っていた。放たれた砲弾が装甲を貫き、傾斜と浸水が始まる。劣勢を覆せないと悟った「肇和」は反転し離脱を図る。しかし「肇和」の速力は20ノット、夕張は34ノット。逃げ切れるはずがなかった。そのうえ浸水が酷く、錨地まで帰れそうになかった。そこで「肇和」はわざと座礁し、沈没を防ぐ。動けなくなった「肇和」にトドメを刺すべく接近する夕張だったが、援護に現れた敵機の急降下爆撃を受けて小破。命中した爆弾が小さかったため致命傷にはならなかった。乗員5名が死亡し、夕張は退却した。同時に上陸していた陸兵も爆撃を受け、モーターボートに乗って撤退している。辛くも助かった「肇和」だったが、離礁する事は叶わず、9月25日の日本軍機の空襲を受けて大破・放棄された。10月20日、新設された支那方面艦隊に編入され、杭州上陸作戦を支援。帝國陸軍が杭州に上陸した事で、上海で頑強に抵抗していた国民党軍は退却。前線は中国の沿岸から奥へ移動した。
- 12月21日、馬公に停泊していた夕張の第五水雷戦隊参謀は海軍省軍務局長に書簡を送った。翌年4月頃、南洋方面を航行するにあたってフィリピン国大統領に対する礼式を実施するが、掲げる国旗は星条旗とフィリピン国旗のどちらが良いか、また礼砲はどうするかを伺った。他にも留意する点があれば通達して欲しいと申し添えた。
- 1938年2月1日、横須賀警備戦隊に編入。1939年3月4日、大湊要港部所属となる。6月1日に一旦予備艦となるが、7月16日に復帰。四日後に大湊を出港し、樺太方面で活動。10月4日、帰投。1940年11月15日、第四艦隊第六水雷戦隊に編入。夕張には司令官阿部弘毅少将が座乗し、旗艦となった。
- 1941年2月2日、高知沖を出発。サイパンやパラオ、トラック等で訓練に従事。4月14日、横須賀に帰投。その後もマーシャル諸島方面で訓練を実施。10月25日、トラックへ入港。迫りつつある開戦に向けて、戦備を整える。11月21日、夕張はウェーキ島攻略部隊所属となる。西太平洋に食い込むアメリカ領の島・ウェーキ島が攻略目標になるが、日本側は詳しい資料を持ち合わせていなかった。11月29日、出港。ルオット島へ回航される。
1941年
- 1941年12月8日、大東亜戦争が勃発。夕張率いる第六水雷戦隊はウェーキ島の攻略作戦に参加すべく、午後1時45分から3時15分にかけて順次クェゼリンを出発した。開戦日のうちに攻略部隊が放った水上偵察機16機がウェーキ島を攻撃。小型掃海艇「ペンギン」を撃沈したが、現地在住の邦人が全員逮捕された。
- 同日未明、ルオット島の陸攻34機が爆撃。地上施設に損害を与えた他、爆弾が病院に落ちて死者59名を数えた。洋上を進む攻略部隊は、「爆撃により敵航空兵力及び砲台は殆ど壊滅。敵戦力、恐るるに足らず」との報告を受けた。攻略部隊は再び水偵を発進させ、二度目の攻撃を敢行。
- 12月10日夜、攻略部隊が到着し現地の米軍と交戦を始める。付近に敵潜水艦トライトンが潜んでおり、魚雷4本を発射してきたが全て外れている。第三十駆逐隊に上陸命令を下し、陸戦隊の揚陸作業を行う。しかし波のうねりが高く、予想以上に揚陸が進まないため上陸予定時間を繰り下げ、先に艦砲射撃を実施する事にした。12月11日午前2時15分、砲撃の命令が下る。夕張はウェーキ本島に占位し、10分後に砲撃を開始する。陸攻の爆撃に曝されてもなお、ウェーキ島には多くの砲台が生き残っていた。今まで沈黙を守っていた砲台群が一斉に反撃してきた。また米軍機も飛来し、攻略部隊の上空から銃撃や爆撃を加える。午前3時58分、島の燃料タンクに命中弾を与えて爆発が生じる。しかし至近距離での砲撃に対応していない艦隊側は、なかなか戦果を挙げられない。一方、米軍の砲台は最大限の威力を発揮する事が出来た。午前4時3分、駆逐艦疾風が命中弾を浴びて撃沈。陸と空からの攻撃は激しさを増し、午前4時11分、ついに反転退避の命令が下された。夕張は煙幕を張って退却、周りの駆逐艦もそれに倣うかのように撤退を始めた。が、午前5時37分に如月が爆撃を受けて5分後に撃沈する。また午前6時35分には仮装巡洋艦金剛丸が機銃掃射を受け、ガソリンに引火して炎上。支援隊の天龍と龍田にも被害が及んだ。戦況は既に不利だった。対空砲火で、難敵F4Fを2機撃墜するも覆らない。攻略部隊は上陸を断念し、大発を回収して退却。12月13日午前5時30分にミルー水道へ入り、ルオット島へ帰還した。開戦劈頭に行われた一連の攻略作戦で、唯一ウェーキ島攻略だけが失敗してしまった。
- 人員的にも艦艇的にも損害を出した帝國海軍は、敗因を爆撃の不十分さと認識。すぐに二回目の攻略作戦を企図した。12月16日、「ウ」攻略部隊命令作第11号が発信され、戦力の再編成が完了。翌17日、夕張はエニビン島に見張り所を設置。泊地停泊中は見張りや対潜哨戒に注力した。第六戦隊と第二航空戦隊の応援を受け、より強大な戦力となった攻略部隊は今度こそ陥落させるべく12月21日早朝に出港。午前4時、乗艦していた陸戦隊本部を第三三号哨戒艇に移動させる。
- 作戦前に第二航空戦隊とルオット島の千歳空が徹底的にウェーキ島を爆撃。施設や米軍機を破壊し、機能を低下させる。度重なる空襲に陥落を予期した米軍側は、15日に重要書類を焼却。18日、非戦闘員の間で下痢患者が続出し、士気の低下で食糧庫や酒保が荒らされるようになった。
- 12月22日夜、第二次ウェーキ島攻略作戦が開始された。22時接岸の予定だったが、この日も波が高く部隊の揚陸に手間取った。翌23日0時41分、ようやく着岸。陸戦隊が上陸し、浜辺を駆ける。対する米軍側も激しく抵抗し、機銃と砲台で陸戦隊を浜辺から前進させなかった。戦況は膠着するも、日本側の決死隊により好転。ピーコック島の指揮官カニンガム中佐を捕縛し、彼に投降を呼びかけさせた事でウェーキ島は陥落。ようやく雪辱を果たす事に成功した。作戦後の12月24日、「ウ」攻略部隊信令第61号により戦死者の遺骨を収容する箱を52個作成。午前中に陸戦隊本部に提出された。翌25日、夕張の主計兵2名を陸上に派遣。陸戦隊指揮官の指揮下に入った。また乾湿寒暖計、測風計、空盒晴雨計、雨量計を守備隊長に貸与。新たに遺骨箱6つを作製し、陸戦隊本部に提供。戦死者の遺骨は箱に入れられ、12月26日に夕張へ乗せられたが、命令取り消しにより天洋丸が一手に引き受けた。
- 12月27日、第六戦隊はウェーキ島を離れる事になった。午前11時、泊地を出港。島をぐるりと一周し、ピーコック岬で黙祷。同時に半旗を掲げて弔意を示した。その後、ルオット島へ帰投した。ウェーク島攻略作戦の戦訓から、夕張の防空能力強化が検討されたという。
1942年
- 1942年1月3日、第二九駆逐隊とともにトラック諸島へ入港。ビスマルク諸島攻略作戦ことR作戦に参加するため、13日に出港。メレヨン島東方でラバウル攻略部隊と合流。機動部隊とともにR作戦に臨む。1月15日午前8時55分、第二号海城丸から燃料補給を受ける。午前10時10分、完了。
- メレヨン島東方で夕張の到着を待つラバウル攻略部隊は、水平線に帆柱を発見した。当初は夕張かと思われたが、軍艦ではなく帆船であった。フィリピンからオーストラリアに遁走するマッカーサーが乗っている公算大と見た攻略部隊は追跡を開始。帆船側は増速して逃げようとするので、これを捕縛する。その正体は何と日本のカツオ漁船だった。「米艦隊だと思って逃げました」と言う。お詫びとして万歳三唱しながらカツオを3、4トンを贈呈してくれたとか。戦時中とは思えない微笑ましいエピソードである。
- 1月20日、赤道を南下。「陸軍部隊としては神武天皇以来だ」と、攻略部隊の士気が向上する。夕刻、夕張はムッソウ島偵察のため艦隊から離脱。本隊と別行動を取った。1月23日午後1時50分、第二号海城丸から燃料補給を受ける。2時間後、作業完了。同月27日午後3時50分にも重油の供給を受け、午後5時30分に完了。
- 2月1日、スルミ岬攻略作戦の旗艦に選ばれる。航空偵察の結果、スルミは連合軍の中継基地として使用されている事が判明。第六水雷戦隊と第二九駆逐隊が投入され、上陸部隊の支援を行う。2月3日午後1時、夕張にて作戦会議が行われる。翌4日午前9時、運送船石廊より重油を補給する。また夕張の信号長と水兵4名が高瑞丸に派遣され、通信要務と運輸の協力を行った。2月5日午前5時、上陸船団と第二九駆逐隊を率いてラバウルを出撃。翌6日、スルミ近海に到着。さっそく攻略作戦を開始する。しかしそこへオーストラリア軍機が襲来。低空からの水平爆撃を受け、高瑞丸が70kg爆弾5発を喰らうも1発は不発弾だったため辛くも助かった。2月9日、上陸部隊によって村は占領、少数の敵兵は駆逐された。スルミの攻略は完了し、オランダ軍の退路は断たれた。すぐに飛行場の建設が始まり、零戦隊が進出。のちの珊瑚海海戦で陸攻隊を掩護している。2月11日、金龍丸に主計兵2名を派遣。
- SR方面(ラエ、サラモア)攻略作戦打ち合わせのため、2月21日午前8時より夕張にて指揮官が参集した。2月23日、給油船東邦丸から燃料補給を受ける。3月5日午前7時22分、特務艦神威より燃料補給を受ける。午前11時50分、完了。3月8日、ラエへの上陸作戦が行われた。連合軍は既に退却しており、占領は順調に進んだ。同日午前7時、後詰めとして駆けつけ、ラエの沖合いに到着。そこへ米軍機が飛来し、停泊中の船舶に攻撃を加えてきた。17時30分、被弾した陸軍徴用船横濱丸支援のためサラモアに回航。船体修理の目的で工作隊を派遣した。
- 3月10日、我が帝國陸海軍は最初の受難に遭う。午前7時50分、オーエンスタンレー山脈からレキシントン及びヨークタウン艦載機が襲来。零戦隊の進出が遅れており、エアカバーは無いに等しい状態だった。103機もの艦載機が上陸船団に襲い掛かった。夕張は真っ先に狙われ、爆撃や雷撃を浴びる。幸いなことに雷撃は稚拙で命中せず、爆弾も当たらなかった。しかし機銃掃射により小破。応急弾薬庫や魚雷格納庫で火災が発生し、電信機も故障。この攻撃で、支援していた横濱丸が撃沈。夕張もまた田中副長以下13名が死亡した。開戦以来最大の被害をこうむったが、南方作戦の戦果に隠れて問題視されなかった。翌11日夕刻、SR方面攻略部隊電令作第15号により、サラモアへ転用する陸軍部隊や物資を乗せる。3月12日16時40分、サラモアに向けて出港。その日のうちに揚陸を済ませ、13日にサラモアを出港。第三〇駆逐隊とともに船団を護衛してラバウルに入港した。3月15日午前5時30分、横付けした運送船石廊から1364トンの重油が補給される。午前9時10分、補給完了。3月22日夜、東邦丸から100トンの重油補給を受ける。
- その後、修理のためトラックへ回航。3月25日に到着し、修理を受けた。4月10日、修理完了。同日、横須賀海兵団を卒業した三等水兵たちが配属されてきた。艦内では毎日厳しい訓練と清掃が待っていた。5月2日午後5時、宝洋丸から燃料補給を受ける。
- 5月4日、夕張はラバウルで出港準備に追われていた。16時、ポートモレスビー攻略戦に投入される陸軍輸送船12隻を護衛してラバウルを出港。激戦が予想されたためか、食糧品を少なくして弾薬が多く積載された。同日21時40分、セントジョージ岬で船団を狙う敵潜水艦を発見。護衛の駆逐艦追風に対潜を一任。22時20分より爆雷攻撃を開始。5月5日午前、第二五航空戦隊が援護に現れ、対潜対空警戒。午後からは祥鳳の艦攻と艦戦が警戒を引き継いだ。5月6日17時、敵機動部隊出現の報を聞き、夕張と第二九駆逐隊が船団から離れる。5月7日午前0時45分、宝洋丸から燃料補給を受ける。午前2時20分、作業完了。午前4時53分、戻ってきた夕張は船団護衛に復帰。午後12時40分、夜戦に備えるため夕張らは第六戦隊の下へ向かって分離。海戦後の5月9日、船団を退避させショートランドで燃料補給。翌10日に機動部隊と合流してソロモン東方に向かったが作戦中止。21時40分に艦隊と分離し、ショートランドに帰還。MO作戦中止に伴い内地へ帰投する事になり、5月23日18時に横須賀へと入港。入渠して整備を受ける。このためミッドウェー海戦には不参加だった。
- 余談だが、5月25日深夜に工作艦朝日が米潜水艦サーモンの雷撃で撃沈されているが、サーモンは夕張だと認識して雷撃したという。
- 6月19日に出渠。ソロモン諸島・ニューギニア東部航空基地確保設営を行うSN作戦に参加する。これに伴ってガダルカナル島の飛行場建設が決定。6月23日15時、トラック諸島へ入港。6日後、設営隊を乗せた輸送船団を護衛して出港。6月29日午後12時3分、第一警戒航行隊形を発令。順調にガダルカナル島へ向かっていたが7月4日、南洋部隊電令作第239号によりショートランド方面に一時避退。7月5日午後1時45分、ショートランドを出港し、再びガダルカナル島を目指す。翌6日午前9時47分、夕張は敵の潜望鏡を発見し、攻撃運動に入る。これに伴って船団は右へ45度の緊急回頭を行っている。午前10時26分、船団を離れていた夕張が護衛に復帰。7月6日13時30分、ガダルカナル島に到着。14時から揚陸を開始し、後の地獄と化す緑の砂漠に設営隊を降ろした。19時、夕張はキエタに向かって航行開始。翌7日午後3時30分、宝洋丸が横付けし燃料補給を開始。午後7時、完了。8日午前6時、横付けしていた宝洋丸が離れていった。7月10日、第六水雷戦隊が解隊となり、夕張は第四艦隊第二海上護衛隊に編入。トラックを根拠地とする第四根拠地隊司令の指揮下に入り、最前線のラバウルへと進出した。旧式艦であるが故に二線級で活動する夕張だったが、またとない機会が巡ってこようとしていた。
- 8月7日未明、アメリカ軍はガダルカナル島とツラギ島に上陸。完成寸前の飛行場は奪取され、ツラギは陥落した。予想よりも早い反攻を受けて、帝國海軍は急遽迎撃に追われる事になった。一式陸攻27機と零戦18機が飛び立ち、三川軍一中将も付近を航行していた5隻の重巡に迎撃を命じる。そこへ、ラバウル停泊中の夕張と天龍が作戦参加を申し入れてきた。この時、トラックやラバウルに存在していた艦艇は比較的旧式のものが多く、空母や戦艦の類は存在しなかった。南方海域を担当する第八艦隊は出来る限りの大戦力で迎撃したかったが、旧式艦である夕張と天龍と夕凪の参加には強い疑念があった。この3隻は第八艦隊に転属してきたばかりで、訓練経験が乏しかった。故に錬度不足を懸念されたのである。一時はこの3隻を外して出撃する事を考えたが、各艦の切望を受けて参加させる事に決定。午前5時30分、ツラギからの緊急通信を受けた鳥海は、隷下の全艦艇に対して手旗信号で「スミヤカニ出撃準備ヲ完了セヨ」と命令を通達。3時間後には作戦の概要が通達された。
- 8月7日14時30分、旗艦鳥海を先頭にラバウルを出撃した。第八艦隊の弱点として防空能力の低さがあった。もし艦載機に襲われれば壊滅も有り得た。敵空母の位置も不明である。また対潜能力も低く、米潜水艦に襲われたらひとたまりも無い。薄氷を踏みながら進撃を続ける第八艦隊であった。偵察機からの報告によると、敵は駆逐艦10隻以上とされた。対する第八艦隊は巡洋艦7隻と駆逐艦1隻。数の上でも不利を強いられる。敵空母を警戒した第八艦隊は8月8日の夜明けを待って、水上偵察機を発艦。第十一航空艦隊も索敵を行ったが、いずれも敵空母を発見できず。この情報を受け、付近に空母が居ないと踏んだ司令部はガダルカナル島突入を決意する。錬度と対潜能力の低さを考慮し、一撃離脱の戦法を取る事にした。午前8時、オーストラリア軍の哨戒機が現れ、第八艦隊を発見。敵に存在を知られる事になったが、ガダルカナル島の米軍に伝わったのは何故か夕方16時過ぎとかなり遅れていた。さらに米軍は第八艦隊の目的をレカタ島への水上機補充と考え、特に警戒しなかった。
- 17時20分、全艦第二戦闘配備。甲板上の可燃物を投棄し、26ノットに増速。戦闘準備を整える。21時、鳥海から偵察の水上機が発進。敵巡洋艦3隻がサボ島の南西海域を警備中との情報が入り、これを回避して突き進んだ。30分後、「戦闘用意」下令。22時に「突入隊形作れ」が発令、速力を28ノットに上げる。22時43分、敵の哨戒である米駆逐艦ブルーを発見。交戦を避けるべく左約20度に転舵。続いて駆逐艦ラルフ・タルボットを発見し、これも回避。23時30分、いよいよ「全軍突撃せよ」の命令が下った。第一次ソロモン海戦の幕開けである。第八艦隊はサボ島南方よりガダルカナル島へ突入した。連合国軍は輸送船団のいる泊地につながる南西・北西・東方の三つの水道に分かれて哨戒を行っていた。第八艦隊はこのうち南西方向から突入した形になる。8月8日23時38分、まず旗艦鳥海が発砲。月齢は下弦を過ぎており、まだ月は出ていなかった。最初の目標となった連合国の南西部隊は本来護衛部隊の指揮官であるクラッチレー英海軍少将が率いていたが、作戦会議のため場を離れており、シカゴのボーデ艦長が臨時に指揮を取っていた。一方で連絡の不備により北西部隊と東方部隊はこれを知らされていなかった。実は連合軍は日本軍のガダルカナル飛行場建設を受けて作戦開始を繰り上げており、もともと別方面で活動していた南西・北西両部隊は寄せ集めも同然の状態で連絡態勢も整っていなかったのだ。
- 奇襲を受けながらも、南西部隊の先頭を航行中だった豪重巡キャンベラは輸送船団への行く手を阻むべくただちに転舵、応射の体勢を整えた。しかし発砲命令が出される寸前に第八艦隊の砲弾が艦橋に命中、砲術長が戦死し艦長も致命傷を負うなどの大被害を受けた。さらに先の転舵によりアメリカ駆逐艦が放っていた魚雷の進路上に躍り出てしまっており、これが機関部に命中。航行・戦闘不能に陥ってしまった。一方のシカゴは反撃を試みるも不運が重なりうまくいかず、日本艦隊の攻撃で大破。さらなる警告も発さないまま、輸送船団を後に残して戦域を離脱していった。一方鳥海は攻撃開始直前に連合軍の北西部隊を発見していた。第八艦隊は泊地突入前に後顧の憂いを絶つべくそちらに向かった。この時古鷹では何らかの事情で転舵が乱れ*4、後続の天龍・夕張がこれに従った結果第八艦隊は二手に別れる形となった。夕張らは鳥海以下の部隊が北西部隊と戦っているところに突入し、北西部隊から見て鳥海らと反対舷方向から攻撃を仕掛けた。夕張は砲撃戦を始めると同時に魚雷を4本発射したとされるが、明確な資料が無く、仔細は不明である。北西部隊は当初南西部隊との同士討ちとなることを恐れて反撃を手控えていたが、やがて応射を開始した。しかし両舷から猛攻を浴びてはひとたまりもなく、北西部隊に属する3隻の重巡は全て失われたのだった。この時夕張が発射した魚雷のうち1本が、北西部隊の嚮導艦だった重巡ヴィンセンスに命中、鳥海から2本の魚雷を受けていた同艦へのとどめの一撃となった。また夕張の61cm酸素魚雷と天龍の53cm魚雷がクインシーに直撃し、沈没へ追いやっている。連合軍の戦死者は1270名に上った。第八艦隊の損害は鳥海・青葉・衣笠小破のみ。鳥海と青葉はあわや大惨事という状況ではあったが、完勝だった。
- 8月9日午前0時12分、旗艦鳥海は戦闘に区切りがついたと判断し、全艦に集合を呼びかけた。合流後陣形を整えたが、このまま泊地へ突入すると帰途空襲の恐れがあることから再攻撃を断念し、ラバウルへ向けて帰路についた*5。追撃や空襲もなく、静かな航海が続いていたが、入港寸前に米潜水艦S-44に雷撃され加古が撃沈されてしまった。これを以って第一次ソロモン海戦は終結した。しかし作戦の目標だった輸送船団の壊滅は叶わず、海兵第一師団1万9000名が上陸している。
- 大本営は軍艦マーチとともに戦果を喧伝。「巡洋艦5隻、駆逐艦10隻、輸送船10隻撃沈。被害、飛行機自爆42機、巡洋艦2隻小破」と伝えた。だが肝心な輸送船団の殲滅には失敗していたため、山本五十六司令長官は激怒。「こんなものに勲章なんてやれるか!」と声を荒らげたが、ミッドウェーの敗戦で消沈していた将兵の士気を盛り上げた事で、山本長官の声はかき消されていった。
- 米従軍記者リチャード・ニューカム氏は著書で「日本帝国海軍伝統の夜戦はものの見事に成功し、そこには理知と勇気と鋭意があった」と評価している。大敗を喫した連合国軍では海戦後まもなく調査が行われ、様々な状況から、奇襲を許したのは止むを得ないと結論付けられた。ただしこの時南西部隊を率いていたシカゴのボーデ艦長の行動は批判の対象となっており、これを知った彼は、翌年、異動先のパナマ運河基地で拳銃自殺を遂げた。ヴィンセンスの艦長として北西部隊をも指揮していたリーフコール大佐には特にお咎めはなく、間もなく少将になっている。リーフコール少将がその後実戦部隊を率いることはなかったが、これは決して珍しい人事ではない。
- 8月26日、ナウルオーシャン攻略作戦に参加。*6しかし前日のうちに駆逐艦有明がナウルを砲撃し、乗組員から編成した上陸部隊で島は占領されていた。後からやってきた夕張や夕凪、第三一駆潜隊等は残敵掃討に従事。26日中にナウル島は制圧され、オーシャン島も駆逐艦夕暮の陸戦隊が制圧した。こうして、カビエンから東へ1,600km以上も離れた絶海の孤島は日本の手に収まった。ちなみに両島はガダルカナルよりも遠い島である。両島からは豊富なリン鉱石が採取され、終戦まで日本が保持した。9月2日、トラックに帰港。その後は第二海上護衛隊に復帰し、内南洋で船団護衛に従事する。9月4日、ルンガ岬沖で小規模な米艦隊と交戦。米駆逐艦グレゴリー、リトルと高速輸送艦ブルーを撃沈する戦果を挙げた(片桐大自氏著書「聯合艦隊軍艦銘銘伝」出典)。9月25日から29日にかけてトラック・パラオ間の船団護衛を実施した。10月からはパラオに拠点を移し、タラワ・サイパン間の船団を護衛。
- 11月9日、横須賀に帰投。入渠し、12月に高角砲の換装と整備を受けた。
1943年
- 1943年3月22日、出渠。4月1日に第八艦隊第三水雷戦隊に転属。ラバウルを中心に船団護衛を行う。6月30日、レンドヴァ島に米軍が上陸し、わずかな守備隊を一蹴。橋頭堡を築かれる事態が発生した。これを受けて、夕張は同日中にラバウルを出港。7月1日にブインへ寄港した後、レンドヴァ島突入部隊の陽動を行うべく駆逐艦夕凪、三日月を率いてショートランド南方を遊弋。7月2日、レンドヴァ島の敵陣地に砲撃を加える。夕張の奮闘むなしく、本隊は米艦隊と交戦し退却。輸送作戦は失敗に終わった。
- 7月5日夜、駆逐艦9隻を率いてブインへ入港するが、その時に左舷後方で爆発。犯人はアベンジャー雷撃機42機が敷設したMk12磁気機雷だった。触雷の影響で推進器1本が破損し、乗員25名が死亡する。速力こそ22ノットを発揮できたが中破させられた。司令官の秋山少将を駆逐艦新月に移乗させた後、ラバウルに回航。特設工作艦山彦丸から応急修理を受ける。トラックとサイパンを経由して、7月30日に横須賀へ到着。本格的な修理を受けた。夕張の後退により、コロンバンガラ方面への輸送作戦から急遽外される事になった。代艦として赴いたのが新月であった。
- 9月12日、修理完了。11月3日にラバウルへ入港する。その直後にトラックから向かっていたT4号輸送船団が空襲を受けて、カビエンに避難したとの情報が入った。駆逐艦2隻を率いてすぐにラバウルを出港し、船団から落伍して五十鈴に曳航されていた特設運送船清澄丸の救援に駆けつけた。運送船から兵員196名と連隊砲4門を引き受けると、カビエンを目指して航行。入港前に五十鈴と磯風が触雷するトラブルがあったが、11月5日にカビエンへ無事入港。物資を揚陸した。そしてT4号輸送船団が運んでいた陸軍部隊を乗せて、ラバウル経由でブーゲンビル島ブカへ寄港。第17師団兵員700名と物資25トンが揚陸された。作戦後、ラバウルに帰投。
- 異説では、11月5日の夕張はラバウルに寄港しており、敵空母2隻から発進してきた米軍機の空襲を受けた事になっている。機銃掃射を受け、2名の負傷者を出した。
- 11月8日、先のブーゲンビル島沖夜戦で沈没した川内に代わり、第三水雷戦隊の旗艦になる。駆逐艦天霧から将旗を移した。11月11日、第38及び第50任務部隊による第二次ラバウル空襲に巻き込まれる。夕張は機銃掃射を受けて損傷。三日後にはニューブリテン島北方で空襲を受け小破。続く11月18日、ラバウルを出港。ニューブリテン島ガロベに部隊を輸送していたが、B24やカタリナ飛行艇に爆撃され作戦中止。24日にラバウルへ戻り応急修理。12月上旬からは月明期のため、夜間輸送が難しくなる時期だった。故にトラック泊地に後退させる事になった。12月3日、第二二駆逐隊に護衛されて出港。艦首を失った長波を曳航しながらトラックへと向かっていった。連合軍の攻撃は次第に激しくなってきており、航行中の夕張は三度連合軍機に遭遇している。8日にトラック着。その後、長波は長良によって呉まで曳航されている。12月14日にトラックを出港し、19日に横須賀に帰投した。さっそくドックに入渠し、改修工事を受ける。1・4番砲を撤去して12cm高角砲と25mm機銃を8基搭載。新たに22号電探と爆雷投射装置を装備した。工事中の状態で新たな年を迎えた。
1944年
- 1944年2月20日、最後の艦長である奈良孝雄大佐が夕張に着任。前職は伊勢の副長だった。3月9日、修理完了。3月22日10時、横須賀を出港。マリアナ諸島への緊急増援である東松3号船団を護送。8ノットの速力でサイパンに向かった。アメリカ潜水艦の脅威は日本近海にまで忍び寄っており、3月25日に第54号駆潜艇がポラックに雷撃されて沈んでいる。船団は之字運動で敵潜水艦を警戒しながら航行。撃沈された時に備えて、浮き輪代わりになる孟宗竹が詰め込まれていた。輸送自体は成功し、3月30日朝にサイパン着。翌31日、運送船鶴見より重油の補給を受ける。夕張の奈良艦長に輸送計画の立案が任された。4月23日午前6時30分、サイパンを出港。夕月や鬼怒とともに航行し、道中で鬼怒が分離。次なる目的地であるパラオを目指して航行。二日後にパラオへ到着し、兵員365名を揚陸。代わりにパラオまで輸送船で進出していた陸軍第二九二九部隊と物資を搭載する。南方海域は危険度が高いので、脆弱な輸送船から護衛の付いた巡洋艦に乗り換えたのだ。そして出港。駆逐艦五月雨と夕月に護衛されて、危険な航海を始めた。
- 便乗した陸兵は、「軍艦だけあってスピード感があり、快適に思う」と述懐している。出港してから数時間後、艦内放送で次に呼ばれる者は途中の島へ上陸するよう命じられる。配備先は告げられず、どんな島に着任するのか想像を膨らませた。一晩明けて昼頃、暇を持て余す陸兵たちは輪投げをして時間を潰した。この日、週番兵長が樫の棒を持って艦内を巡回していた。航海中は酒保を開けられないとしながら、上陸が迫った夕方には別れの意味でタバコや果物の缶詰め、海軍の被服を陸兵に融通してくれた。島に上陸したら使って欲しいという事で、頂いた陸兵は感謝の意を述べた。
- 夕張はパラオ諸島南のソンソル島に到着。横山大尉率いる第一大隊950名を揚陸させた。トコベイ島、メルリー島にも分散配備されている。兵の上陸が済むと、今度は兵糧の米の運搬作業が始まった。その作業を深海から見つめる眼があった。アメリカ潜水艦ブルーギルである。ブルーギルは最初夕月に狙いを定めていたが、より大きな獲物である夕張に照準を変えた。
- 4月27日午前9時42分に出港し、パラオ本島へ引き返した。パラオ本島に向かっていた夕張にブルーギルが雷撃。距離2,400mの地点から6本の魚雷が伸びてきて、1本が右舷中央部に直撃。第一缶室が破壊され、士官1名と兵員16名が死亡。前後区画に浸水して機関が停止する。突然の爆発音は、揚陸した陸兵にも聞こえた。間もなく大隊長から夕張被雷の報が届いた。夕月は付近にいた五月雨に発光信号を送った。「夕張、雷撃を受くる……」。五月雨が駆けつけると、夕張は前のめりになって今にも沈みそうだった。夕張は五月雨に対し曳航するよう命令、夕月を周辺警戒に当たらせた。五月雨が爆雷を投下するが、ブルーギルに損傷を与えられない。貪欲に獲物を求め、次は夕月に雷撃を仕掛けたが命中せず。やがて夕月からも爆雷攻撃を受けたため、ブルーギルは退散した。10時30分、第一缶室と第二缶室が水没。14時14分、自力航行の見込み無し。15時52分、五月雨が左舷に横付け。重傷者及び重要書類の移乗が始まる。16時50分、随伴艦の五月雨が曳航する事になり、鋼索では無理だったため錨鎖を使用したが重すぎて作業が難航。ここに来て重武装が仇となった。17時20分には第一四九号特設輸送艦黒潮丸が合流するも、もはや手の打ちようが無かった。浸水が激しくなってきたのを機に曳航を打ち切られ、生存者は夕月に移乗した。沈没までに約1日の長い猶予があったため、被雷の際に死亡した者を除いて全員が脱出する事が出来た。周辺海域にはサメが多いため、もしすぐに沈んでいれば多くの死傷者が出たであろう。
- 時に1944年4月28日10時15分。浸水により艦首から沈没していった。14時5分、溺者2名が黒潮丸に救助された。6月10日、除籍。試作実験艦として生まれ、旧式故に二線級の扱いを受けていた夕張だったが、重巡ヴィンセンス及びクインシー撃沈の誉れを得たり、護衛や輸送、攻略支援等の任務を多数こなした。その功績は実に輝かしいものである。アメリカ側は夕張の撃沈を確認できなかったようで、1944年9月18日に米潜水艦スラッシャー(SS-200)が夕張型軽巡洋艦と思われる艦を発見したと報告。またレイテ沖海戦で駆逐艦初月と交戦した際、交戦相手の候補に夕張型が挙げられていた。ただ、秋月型を見て「夕張型を量産している」という現場の報告を受けていたせいもある。秋月型は夕張同様誘導煙突を採用しており、駆逐艦にしては巨躯を持っていたため見間違えるのも無理は無い。最後の艦長だった奈良大佐は責任を取らされたのか陸上勤務に回され、大井海軍航空隊の司令に着任している。
- 余談だが、夕張の名前は海上自衛隊の護衛艦「ゆうばり」に引き継がれた。前級いしかり型を拡大発展させたものだが、先代の血が濃いのか、また’’余裕のない設計’’になってしまっている。一応、二番艦ゆうべつまで造られたので姉妹艦はいる。2隻とも退役済み。
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