魚雷リスト > 潜水艦用Mark14魚雷
基本情報 †
名前 | 装備種 | 特性 | 所属陣営 | 照準 範囲 | 照準 角度 | 弾薬 射程 | 拡散 角度 |
潜水艦用Mark14魚雷 | 魚雷 | 雷撃 | ユニオン | 50 | 80 | 70-110 | 0 |
T | アイコン | ★ | ダメージ | 基本速度 | 雷装 | 弾薬 | 魚雷 速度 | 対甲倍率 | 破壊 範囲 | 設計図 |
初期 | 最大 | 初期 | 最大 | 軽 | 中 | 重 |
T1 |  | 2 | 42x2 | 60x3 | 33.92s/回 | 32.32s/回 | 5 | 通常弾 | 3 | 70 | 100 | 120 | 3 | なし |
T2 |  | 3 | 47x3 | 88x3 | 32.92s/回 | 29.93s/回 | 12 | 通常弾 | 3 | 70 | 100 | 120 | 3 | 救助信号 通商破壊 闇靄払う銀翼(A3) |
T3 |  | 4 | 52x3 | 131x3 | 31.92s/回 | 25.94s/回 | 25 | 通常弾 | 3 | 70 | 100 | 120 | 3 | 救助信号 通商破壊 闇靄払う銀翼(A3,C3) |
射撃イメージ |
[添付] |
入手方法 |
初級潜水艦隊装備補給箱(T1/T2) 救助信号、通商破壊(T2/T3設計図) イベント / 闇靄払う銀翼 A3海域(T2/T3設計図)、C3海域(T3設計図) |
兵装開発 †
特徴・運用法 †
Mark16と同じく3発連射タイプで威力は高いが発射速度が極めて遅く、育ちきっても2回目を撃てるキャラは少ない。
育成中、他の魚雷でも1度しか撃てないようであればこちらかMark16を選んだ方が有効ではある。
色々と曰く付きの潜水艦魚雷ではあるが、ゲーム中ではきちんと攻撃出来るし、Uターンして来たりもしないので安心して使おう。
歴史 †
- モデルはアメリカ海軍が使用していたMk.14魚雷。アメリカ海軍の戦時中の主力魚雷だが、色々逸話が多い事で知られる。
+
なら見せてやるよ!
- 貫禄の不発魚雷。米軍のMk.14魚雷を語るのにこれ程ふさわしい仇名は無く、トラブルや欠陥が非常に多い魚雷であった。
太平洋戦争前期の米軍潜水艦部隊の戦歴は、この魚雷の欠陥を改善する日々に彩られていたと言っても過言ではないだろう。
- 戦間期の1931年から配備が開始、1941年の開戦と共に初めての実戦に投入される・・・・・が、実戦前に行われた発射試験は1回だけだった。この為、Mk.14に秘められた数多くの欠陥には全く気づけなかったのだ。
- 発射試験が1回だけに留まったのは、戦間期に海軍の予算が削減されていたのが大きな要因であった。と言うのも「魚雷1本で家が1軒購入出来る」と言われるくらい魚雷は高価な兵器*1であり、実弾発射試験に標的艦の提供に難色を示すなど、豊富な資金を持つアメリカ海軍と言えど、平時で尚且つ時は大恐慌の後。おいそれと試験が出来なかったのだ。(日本とドイツでは、バンバン試験していたが・・・・兵器開発の予算配分・優先順位の問題なのか)
- なお日本は炸薬の代わりに弾頭に水を充填し、テストが終わるとその水を自動排出することで浮いてくるようにすることで回収可能とし、高価な魚雷でもテストを繰り返すことを可能としていた。、
- 最初に明らかになったのは、深度調節機の不具合であった。設定された深度より深く航走して目標の船舶の船底を通過してしまうトラブルが多発したのだ。しかし、海軍兵器局の対応は非常に杜撰で、魚雷の欠陥を全く認めなかった。
- これに憤慨した西太平洋潜水艦部隊の司令官チャールズ・A・ロックウッドは、独自に調査を開始。漁師から網を購入し、信管を外した魚雷を網に撃ちこんで深度がどれだけズレているかを確かめるという地道なテストを繰り返した。
- 最終的に魚雷は設定された深度より約3mも深く潜ってしまう事が確認され、この報告を受けて兵器開発局もようやく重い腰を上げ、魚雷の設計そのものに欠陥がある事を認めたのだ。
- この欠陥は攻撃時には3mほど高い位置に深度を調整する事で対応したし、不具合な深度調節機は後に改良された。
- 次に明らかになったのは磁気信管のトラブルだった。命中する前に爆発する早爆や命中しても爆発しない不発がそこら中の戦場で発生した。同様のトラブルはドイツのG7魚雷でも発生しているが、
原因もほぼ同じで、開発を行った場所と実際の戦場の地磁気の差を考慮に入れなかったのだ。
- この磁気信管を巡っては、ドイツでは艦長の判断で使用する信管を選べたのに対し、アメリカでは艦長に磁気信管の使用を強要されて不満を示せば、不利益を与えるというトンでもない事になっていた。
当然だが現場と上層部の間でいざこざになり、一触即発の事態になりかけた。
- 最終的に磁気信管は取り外されて接触信管のみになるが、この接触信管も曲者で命中しても不発しまくったのだ。
- 1943年7月24日、真珠湾から出撃した潜水艦「ティノサ」は、トラック諸島の東部で日本水産が所有する排水量19200トンの大型タンカー「第三図南丸」と遭遇、攻撃を開始した。
しかし、15本撃ち込んだ魚雷の内、爆発したのはたったの2本だけで、残りは外すか命中しても爆発しなかったのだ。
- 結局、「ティノサ」は「第三図南丸」を取り逃がしてしまい、這う這うの体で真珠湾に帰還する羽目になった。なお、トラックに入港した「第三図南丸」の船体には不発になった魚雷が何本も突き刺さっており、
その姿が花魁のカンザシに似ていた事から「花魁船」と呼ばれた。
- 帰還した「ティノサ」の艦長ローレンス・R・ダスピットは激怒しながら魚雷の欠陥を報告、更に太平洋艦隊司令官チェスター・ニミッツに直訴し、太平洋艦隊全体で大規模な調査が実施される事となった。
- ちなみに上記の攻撃で発射された魚雷は実に15本中12本が命中するという(図南丸が正常に動作した2発の魚雷によって航行不能になっていたことを考慮しても)驚異といえる命中率をたたき出している。…その12本のうち2本しか起爆しなかったのだからそりゃあ激怒する。
- 似たような例として、米潜水艦グランパスが伊25に3本の魚雷を発射。1本目と2本目は回避されたが、3本目が直撃。……したが、不発。伊25の艦体に魚雷が突き刺さったまま、逃げられている(資料によっては全て回避したとも)。
- そこで明らかになったのは、接触信管が旧式の為、目標と衝突時に起爆装置が作動する前に信管が破損していたという恐ろしく初歩的なミスであった。信管の設計自体に問題は無かったのだが、
旧式のMk.10魚雷と同じタイプを使用していた為に、雷速が向上していたMk.14の衝撃に信管が耐えられなかったのだ。
- この不具合は大した変更を加える事なく、信管の撃針の改良で解決出来た。また、炸薬をTNTから破壊力の大きいトーペックスに変更する事で威力も増す事に成功する。
- なお、トーペックスへの変更により破壊力においては酸素魚雷に比肩するものになっている。 ただし、日本側の炸薬開発が劣っていたというわけではなく、
日本側も八九式爆薬というトーペックスに匹敵する威力を持った炸薬をトーペックスより先に開発している。
しかし、この炸薬は酸素魚雷には採用せず、後に開発した九七式爆薬を採用している。こちらは水中破壊力ではトーペックスより劣っていたが、搭載する炸薬を多くする事で同等の威力を発揮していた。
なぜ、わざわざ威力が劣る炸薬を開発して採用したのか?それは、安全性を重視した為である。
この九七式爆薬、信管を付けない限りはちょっとやそっとの衝撃や火災で爆発しないようになっており、三笠の爆沈事故などで散々な目に逢ってきた教訓から単純な威力より安全性を優先させた。
一方、トーペックスは熱で反応して暴発しやすい欠点があり、後に安定性などが改良されたHBXが作られ、戦後はもっと安全性の高い炸薬に置き換えられていった。
- こうして1943年10月に大半のトラブルは解決され、以後、アメリカの潜水艦部隊は猛威を振るうようになり、日本の通商航路は壊滅する事となる。
- 1944年3月26日と10月24日に、撃った魚雷が不幸にも舵の故障により円を描くように航行、そのまま発射した潜水艦にぶち当たってしまうトンでもない事故が発生する。
3月の事故では「タリビー」が沈んで1人しか生還せず、10月の事故ではトップエースの1人であるリチャード・オカーン指揮の「タング」が沈没した。
- 数多くの戦果と欠陥とトラブルを抱えたMk.14は1980年まで配備され、発足直後の海上自衛隊でも運用された。
+
- 魚雷に欠陥が多かったのは上記の通りだが、実のところ潜水艦の運用そのものにも初期の米軍は問題を抱えていた。
- 開戦当初、米軍は潜水艦部隊をハワイの真珠湾とオーストラリアのフリーマントルの2か所に配備していた。
- ところが、両者の間には連絡網が全く無く、互いに連携する事が出来なかったのだ。
- しかも、フリーマントルの潜水艦部隊を指揮していたのは、何と陸軍司令官のダグラス・マッカーサーだったりする。
完全に畑違いであり、潜水艦の運用を理解していたかどうか疑問だらけの人選であろう。
- 当然だが方針も真珠湾とは異なっており、フリーマントルは戦闘艦への攻撃やゲリラ戦の支援を優先させて、商船への攻撃はほとんど行わなかったのだ。
- 両者は担当する作戦領域を南北に分けており、その境界線がちょうど台湾とフィリピンとの間の海上にあるのだが
ここは東南アジアから日本へ物資を運ぶ輸送船が通るホットスポットであり狩場である。しかし真珠湾、フリーマントル側の情報共有が無かった為、同士討ちを恐れて襲撃を行えなかった。
- また1942年頃は魚雷の生産数自体少なく、多くても月産50本程度であり、前線では魚雷不足に陥る事が多かった。
- ちなみにフリーマントルの魚雷の月間消費量は80本程度だが、酷いときは月間18本しか補充されなかった。これは真珠湾と魚雷の奪い合いが発生した為。
- これ以外にも理由がある。 開戦当初日本軍がフィリピンを攻撃した際にカヴィデ海軍基地が空襲を受け、偶然にも爆弾が魚雷保管庫を直撃、200本以上あった魚雷がすべて爆散してしまった。
- フリーマントルの潜水艦戦隊は磁気信管の使用を強要されていた。これはフリーマントルの司令官にいたMk14魚雷と磁気信管の元開発者であるクリスティ少将が責任を認めず使わせていたせいだった。
- 運用はバラバラ、作戦や方針もバラバラ、魚雷は欠陥だらけで数も少ない。これで戦果を挙げろというのだから無茶苦茶である。
- しまいには前線からは「魚雷なんかいらん!敵艦に体当たりする衝角(ラム)を寄越せ!!」という声まで挙がりだした。
- 最終的にフリーマントルの基地は廃止され、真珠湾で統一した運用が行われる事になる。指揮系統の合理化と魚雷の改善が相俟って日本軍の輸送ルートは壊滅することになる。
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