艦砲リスト > 戦艦主砲 > 試製410mm三連装砲
基本情報 †
名前 | 装備種 | 特性 | 所属陣営 | 照準 範囲 | 照準 角度 | 砲補正 |
試製410mm三連装砲 | 戦艦主砲 | 投射 | 重桜 | 50-200 | 50 | 105 |
T | アイコン | ★ | ダメージ | 基本速度 | 火力 | 弾薬 | 弾薬 速度 | 対甲倍率 | 破壊 範囲 | 投射 範囲 | 設計図 |
初期 | 最大 | 初期 | 最大 | 軽 | 中 | 重 |
T0 |  | 5 | 58x3 | 154x3 | 30.13s/回 | 24.14s/回 | 45 | 徹甲弾 | 12 | 45 | 130 | 110 | 15 | 19 | 科学研究室/兵装開発 |
射撃イメージ |
[添付] |
入手方法 |
科学研究室(1期)で入手可能な設計図25枚で製作・プロトショップ・兵装開発 |
兵装開発 †
特徴・運用法 †
三連装の徹甲弾主砲。
ネタ元のWowsでは出雲の主砲でこちらに同時に実装されたこともあり「出雲砲」とも呼ばれる。
- 基礎ダメージ、装填、投射範囲は406mm三連装砲MK6が近い。
Mk6は入手しやすい優秀装備なので、なんとなく使い心地を想像できる人も多いのではないだろうか。
- 最大の特徴は弾種が徹甲弾であること。
- 弾薬速度が早くなり、中・重装甲に強くなる。
- また、重装甲の敵に命中時に、確率で「破甲効果」を付与することができる。
効果は6秒間投射攻撃による被ダメージ8%アップ(効果を受ける側は、榴弾でも良い)。
破甲効果を積極的に活かす場合は、徹甲弾主砲装備の艦船が最初に砲撃するように調整しよう。
- 代わりに、榴弾の特徴である炎上はなくなる。
- 簡単のため、前述の通り弾種以外の基礎スペックが似ているMk6と比較してみる。
- 装甲補正により、軽装甲はMk6が、中、重装甲は本装備が単発ダメージでは勝る。
ただし、どの装甲に対してもある程度通用する榴弾と異なり、徹甲弾は軽装甲に極端に弱い。
- また、炎上ダメージも計算すると、MK6より総ダメージは劣る。
- 炎上ダメージの仕様をよく理解することで、それぞれの長所を引き出せる。
- 炎上中の敵に対し、さらに榴弾を当てても、炎上ダメージは重複しない。
つまり中、重装甲の敵に対して戦艦編成で挑む場合、MK6三門よりも、MK6一門と本装備二門のほうが総ダメージは高い。
- 炎上はスリップダメージである関係上、ダメージが入り切るまで時間がかかるという欠点がある。
炎上がない代わりに砲撃本体の威力が高いこの砲の方がテンポよく敵を倒せる場合もある。
- 炎上ダメージにはクリティカル補正やヘレナなどのスキル補正が乗らないという仕様がある。
- セイレーン作戦実装によりセイレーンと戦う機会が増えたが、彼女たちは炎上耐性を持っている。
セイレーンには中・重装甲も多く、彼女たちが相手の場合は徹甲弾が有利。
22/08現在の入手先は以下の三ヶ所。
- 科学研究室1期
- プロトショップの1期設計図
- 兵装開発
- 入手手段は増えたため、SSR徹甲弾三連装砲の中では一番入手しやすい。
ただし、より使い勝手の良い装備が入手できることも多いので、この装備を目的にプレイすることは現状おすすめしない。
- 科学研究室1期は強化ユニット入手の緩和などによって、現在指定してまで研究を行う意義が薄い。
- プロトショップでの入手は、ほぼ上位互換の徹甲弾が2種類あるのでおすすめしない。
- 兵装開発は、電子部品と報告書IIという需要の多い素材を要求するのがネック。
- ただし競合装備よりは安くすむので、セイレーン作戦などで徹甲弾主砲が足りない場合は何基か作るのもあり。
- スペック上はやや微妙な立場に置かれてしまっている本砲だが、重桜産の砲を装備すると弾幕が強化される武蔵と相性が良い。
歴史 †
史実では数度プランとして挙げられたものの、構想や試作に留まりついぞ完成することのなかった41cm連装砲の三連装砲塔。
- 最初にこの三連装砲塔の話が出たと思われるのは、「八八艦隊」の構成案の中であるとされる。
のちに大和型に搭載されることになる46cm三連装砲までの繋ぎとして、41cm連装砲搭載艦を整備して使用するというプランが挙げられていた。
- しかし「八八艦隊」の建造計画のうちほとんどが「ワシントン海軍軍縮条約」により頓挫。長門型も連装砲塔のままとなり三連装砲塔が実現することは無かった。
もっともこの段階では八八艦隊完成までに三連装砲塔は間に合わないとされてしまっていたのだが。
- 次に現れたのは老朽化が危惧されていた金剛型の後継となる高速戦艦「金剛代艦型」の建造計画と同時期となる1927年のこと。
- 当初開発を行っていたのは呉工廠で、「41cm52.5口径三連装砲塔」として砲身の完成度4割ほどまでは製造が進んでいた。
52.5口径もの砲身からの長大な射程、長門型に搭載された41cm連装砲をも上回る装甲を備えた砲塔となる予定であった。
- ところが1930年に締結された「ロンドン海軍軍縮条約」により、この三連装砲はまた試作のまま金剛代艦型ともども開発中止となってしまった。
金剛代艦型に搭載する主砲が完全に決まる前に全て白紙に戻ったのは、開発者的には幸か不幸か……
とにかく軍縮条約に邪魔されることに定評のある砲塔である。
- 夕張の設計などで有名な帝国海軍の鬼才、平賀譲技師はこの三連装砲と通常の連装砲の混載を妙なほどに推していたという話が残っている。
扶桑型の改装計画に連装と三連装を2門ずつ、計10門搭載した違法増築特盛案を計画した他、陸奥の改造案や上記の金剛代艦型案でも同様の混載案を提出している。
- 混載は建造の際に規格を統一出来ないことから建造期間の延長と建造費の増加、射撃指揮の難化などが難点として挙げられ却下され続けることになった。
その後も大和型建造の際にも懲りずに混載案を提出している。
そんなんだから平賀譲らずとか言われるんだぞ。
- なお、戦艦主砲の連装数増加は35.6cm連装砲を主軸としていた頃は同時発射時の命中率などが懸念され、日本ではヴィッカーズ社から打診があった際にも行われなかった。
他国では多連装化による集中で艦型をコンパクトにする目的で四連装にまで連装数を上げた物が作られたりもしたのだが、ダメコンの都合*1などから最終的に各国多くても三連装程度に収まった。
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