艦種別リスト > 長良
基本情報 †
プロフィール |
 | 名前 | 長良 IJN Nagara |
レアリティ | N |
艦種 | 軽巡 |
陣営 | 重桜 |
CV | 鬼頭明里 |
イラスト | 大月紅葉 |
耐久 | C | 火力 | C |
雷装 | B | 回避 | B |
対空 | B | 航空 | E |
速力 | 36 | 運 | 36 |
装甲 | 軽装甲 |
SD |  |
自己紹介 |
重桜長良型軽巡の一番艦、長良よ。 ソロモンと、南太平洋などの海戦に参加して、 ミッドウェイ海戦では沈んだ赤城さんの代わりに旗艦を勤め、 みんなの撤退を指示したよ。最後は潜水艦に沈められちゃったけど……えへへ… |
ステータス |
LV | 好感度 | 耐久 | 火力 | 雷装 | 航空 | 対空 | 対潜 | 装填 | 回避 | 命中 | 消費 |
125 | 200 | 31256 | 150 | 298 | 0 | 300 | 90 | 185 | 139 | 157 | 8 |
100 | 2959 | 142 | 282 | 0 | 284 | 85 | 175 | 132 | 149 |
120 | 200 | 3055 | 148 | 294 | 0 | 294 | 89 | 183 | 135 | 153 |
100 | 1891 | 140 | 279 | 0 | 278 | 84 | 173 | 128 | 145 |
100 | 100 | 2621 | 133 | 264 | 0 | 254 | 79 | 164 | 112 | 129 |
1 | 50 | 493 | 26 | 52 | 0 | 52 | 20 | 64 | 31 | 50 | 2 |
艦船技術 |
艦級 | T3 長良型 |
解放条件 | 効果 | 技術Pt |
入手 | 【軽巡】耐久+1 | +3Pt | +15Pt |
突破MAX | - | +7Pt |
Lv.120 | 【軽巡】耐久+1 | +5Pt |
スキル名 | 効果 |
 | 火力全開 | 20秒毎30.0%(最大レベルで60.0%)で発動。10秒間自身の火力が20.0%(最大レベルで40.0%)アップ |
 (要専用特殊装備Lv10) | 火力全開・長良 | 20秒間に一度に30.0%(MAX 60.0%)で発動し、10秒間自身の火力が20.0%(MAX 40.0%)アップ; この効果が発動した場合、味方前衛艦隊の耐久で耐久上限を占める割合が一番低い艦船の耐久を、 上限の1.5%回復する; 回復対象が重桜艦隊である場合、更にその艦船と長良の対空が5秒間、 1.0%(MAX10.0%)アップ(長良自身の場合、対空アップ効果は1回のみ加算する) |
 | 全弾発射-長良型I/II | 自身の主砲で12回(8回)攻撃する度に、全弾発射-長良型I(II)を行う |
上限突破 |
初段 | 全弾発射スキル習得/対空補正+5% |
二段 | 魚雷装填数+1/開始時魚雷+1/魚雷補正+10% |
三段 | 全弾発射弾幕強化/魚雷補正+15% |
全弾発射スキル | 特殊弾幕スキル |
 | - |
大陸wikiのページ:https://wiki.biligame.com/blhx/
着せ替え後(春日ゆらり)ボイス †
+
入手時 | こんばんは、指揮官。この部屋…?あー、これは明石のお店で売ってた、簡易東煌(とうこう)風インテリアセットだよ。綺麗だし、「旧正月セール価格」だから、つい買っちゃった。えへへ |
ログイン | 指揮官、このお茶でもいかが? |
詳細確認 | 指揮官、旧正月休みはどう過ごしたいの?あては…うん、部屋でのんびりとお茶したり読書したり、ゴロゴロしたいかな〜えへへ |
メイン1 | 指揮官、鬼怒ちゃん見なかった?耳かきしてあげようと思ったのに逃げちゃって…もう、妹に耳かきするの、別に普通なのにぃ… |
メイン2 | 指揮官、あのね、阿武隈ちゃんがね、一緒にお茶を飲んで耳かきさせてくれるようになったの!えへへ、嬉しい! |
メイン3 | 雰囲気がいつもと違って大人っぽい?んー、あては長良型の一番艦だから普段でも全然大人っぽいと思うけど… |
タッチ | 指揮官も耳かき、してほしいの?いいよ、はい、どうぞ〜 (ポンポン |
タッチ2 | もう、指揮官、耳かき中に動いたら怪我しちゃうよ? |
母港帰還 | 指揮官、ほら、茶柱が立ったよ。今日はきっと、いいことが起きるな〜 |
▼好感度系 |
ラブ | (小声)指揮官に耳かきしながらおしゃべりするの、なんだかカップルっぽいね〜ううん、なんでもないの。はい、これで耳かきおしまい。このまま横になっても大丈夫よ?ツンツン♪ |
ボイス †
+
入手時 | えへへーあては長良っていうの。指揮官、あてのこと、期待してた? |
ログイン | つんつん、つんつん〜指揮官、ぼーっとしてるの? |
詳細確認 | 指揮官はどんな子がタイプなの?――えへへーそぉ? |
メイン1 | 雨に濡れたら服を着替えたほうがいいよ?……えっと、あての服を貸そうか? |
メイン2 | 阿武隈ちゃん、お友達ができて本当によかった〜はい、その子はね… |
メイン3 | つんつん〜指揮官の顔、すごく可愛い〜 |
タッチ | 指揮官、面倒事に巻き込まれたの? |
タッチ2 | うーん、時々指揮官が何をしようとしているのか、ちょっとわからないよね…えへへー |
任務 | たまには少しズル休みして、サボっちゃってもいいよね?えへへー |
任務完了 | わぁ、完了したの?指揮官、すごーい! |
メール | えへへー指揮官、新しい手紙だよ? |
母港帰還 | 指揮官が無事に帰った…よかったあ… |
委託完了 | 軍事委託?そういえばこれもあてのお仕事ね |
強化成功 | 酸素魚雷……すごくほしいなぁ…… |
戦闘開始 | 今度の敵はなぁに? |
勝利 | 次の戦闘も、今日のようにうまく行けばいいなぁー |
失敗 | あわわ、指揮官、早く撤退しよう! |
スキル | えへへー準備はいい? |
▼好感度系 |
失望 | 指揮官、元気出して…… |
知り合い | うーん、今日の夕食は妹たちに何を作ろうかな… |
友好 | 指揮官〜、うん?別に何もないよ?ちょっと挨拶したくなっちゃって、えへへー |
好き | 随伴護衛?こういうのはあての十八番よ。こんどはどの子なの?えーー指揮官と一緒に寮舎に潜入するの!? |
ラブ | 昨日はみんなの知らない一面を一杯見れちゃったね……指揮官はあての知らない一面を知りたいの?うーん……どうしよう… かな? |
ケッコン | ……えへへ〜指揮官、準備はいい?うん、じゃあ、目を閉じるね…… |
▼特定編成時台詞 |
初春と出撃 | 初春ちゃん、今度は気をつけるね〜えへへー |
ゲームにおいて †
性能 †
- 本体
- 重桜のN軽巡で、全体的に見てレアリティ相応のステータスを持つ。
重桜の水雷艦としては砲撃適正が高く、スキル「火力全開」が発動すれば頼れる砲戦ダメージを叩き出してくれる。
雷撃値も流石は重桜所属で無改造のN軽巡最高値となっている。高レアや改造軽巡達には一歩譲るがちゃんとメイン武装として使っていける。
回避も他陣営の高レア軽巡を押し退けるほど高く、見ゆの回避にも一役買う。
対空値は軽巡としては並だが、装備補正率が高い。装備補正率100%のロイヤル軽巡達より一回り上の防空力を見せてくれるだろう。
- 総評
- 総じて、最低レア度としては攻防ともに高い域でバランスが取れている。
N軽巡の燃費の軽さを活かして、周回用に育成しておくと低燃費で活躍してくれる。
最大の難点は『ドロップせず、建造でしか入手出来ない』と言う点に尽きる。
オススメ装備/編成 †
主砲 †
魚雷 †
対空砲 †
設備 †
編成 †
レアリティの壁は如何ともし難いので、さっさとレベルを上げて補正でゴリ押すのが無難な運用法となる。
しかし嫁固定枠を作り必ず編成する愛に溢れる指揮官もいるはずなので、以下の2つのリストに分ける。
※低コスト運用向けにいる艦船達は本気運用でも十分通用する。
キャラクター †
好きなもの・こと:同型艦の家族たち、(誰かに)耳かきをすること
苦手なもの・こと:特にない?強いて言えば耳かきをさせてくれないヒト・・・?
一人称 :あて
趣味 :お掃除、料理
特技 :特にないかな・・・?
(「びそくぜんしんっ!」)より
公式ツイッターの説明によると「長良型軽巡洋艦の長女。優しくて親しみやすく、良妻賢母な性格。どんな相手にも好意的に接してしまうため、
時々ふわ〜としすぎて緊張感が足りず、無防備に見える一面も。家事は大の得意で、同型艦の妹たちの食事を用意するのは日課になっている」との事。
一人称は「あて」。妹である五十鈴と鬼怒と阿武隈も同じ一人称を使う。
現在はあまり使われないが、近畿地方で使われる言葉で「わて」がさらに砕けた一人称である。
ケモノ耳が多数派となる重桜では少数派の鬼っ子に属している。妹二人は耳が尖っているが、彼女も同様なのかは不明。
髪に隠れているにしても、耳の大きさからすれば見えているような気もするが……?
性格は正に清純派女子高生。セリフのあちこちに指揮官を気にかける内容が多い。
旗艦任務を多く務めた事からか、上述公式ツイッターの「良妻賢母」の文字通りに母性を感じさせる性格となっている。
失望ボイスも指揮官に対して失望というより、失敗を重ねすぎた指揮官を心配して励まそうとするシチュエーションになっている。
要するに長良はどんな事があろうと指揮官を一切否定しない……普通未満が存在しないことになる。天使か?
※指揮官を一切否定しない艦船は他だと伊19(SSR)とニューカッスル(R)と鳥海(SSR)くらいしか存在しないと言えば、どれだけ貴重な存在かお分かりいただけるであろう。
見た目も一見清純派に見えるが、軽巡でありながら戦艦クラスの胸部装甲の持ち主な上、スカートも凄いスリットの入り方をしている。
レアリティに見合わないクオリティのイラストから、改造や着せ替えを期待する声が絶えなかったが2020年2月にログインスタンプとして待望の着せ替え「春日ゆらり」が実装された。
ちなみに、妹達にも同じことが言えるのだが絵師によって角の付け根の描き方が異なっている。
本家の大月紅葉氏はちゃんと髪を退けて生えているような描き方で、他絵師は髪の毛の上に角をポン付けといった感じ。
「酸素魚雷……すごくほしいなぁ……」と呟くのは、長良は史実で酸素魚雷未対応かつ次発装填装置もない八年式二連装魚雷発射管のままだったというのが定説の為と思われる。
酸素魚雷を撃てるように改造していたという説や、酸素魚雷用の酸素圧縮機を搭載していたという説もあるが、真偽は定かではない。
ちなみに妹の五十鈴と阿武隈は酸素魚雷に対応しており、次発装填装置付きの九二式四連装魚雷発射管に換装している。
長良を語る上で欠かせないのは人気投票イベント。
2017年11月16日〜20日までに行われた第1回目の人気投票イベントでは、長良はグループBにエントリーされた。
同グループはイラストリアス、プリンツ・オイゲン、加賀(空母)、フッドなどキャラ人気と実用性を兼ね備える強豪揃い。
飛び抜けた性能を持たない上、当時はまだボイスも改造も未実装なN艦の長良の入賞は困難かと思われていたが……結果はなんとBグループ9位入賞を果たした。
なおこの入賞に際し、本人から「えへへ、10位以内に入っちゃった…あてに投票してくれてありがと♪あとで何か作ってあげよっか?」のコメントが寄せられた。可愛い
続く第2回目となるアズールレーン人気投票2019では、ボイス以外ほぼ変わらぬ条件下で決勝復活戦進出までの大健闘を見せ付ける。
長良以外にも決勝復活戦まで駒を進めたN艦は存在するが、長良以外は予選復活組という事実はどれだけ長良の人気が高いかが伺える。
正にレアリティと性能が全てではないという、アズールレーンの本質を体現した艦の一人と言えるだろう。
元ネタ †
- 大日本帝国海軍が建造した5,500t形軽巡洋艦・長良型のネームシップ。球磨型(未実装)に続く5,500t型軽巡洋艦の第二弾である。
1920年9月9日、佐世保海軍工廠で起工。1921年4月25日進水。1922年4月22日に就役する。艦名の由来は、岐阜県西部から三重県北西部にかけて流れる長良川より。オマハ級と並んで、現在実装されている軽巡洋艦ではもっとも旧式の部類に入り、純粋な水上戦闘が当たり前だった、第一次世界大戦の影響が強く残っている艦である。
- 球磨型の発展型として建造されており、雷撃力は球磨型を凌駕する。航空兵装は木曽を踏襲し、偵察用・索敵用の一〇式艦上戦闘機1機を搭載。出力9万2,670馬力、速力34ノット、排水量は5,580tに及ぶ。司令塔と後部艦橋を廃止し、前部艦橋を拡大。艦首はスプーン型を採用している。乗員440名、速力36ノット。帝国海軍は5,500t型以降重巡洋艦ばかり建造した為、太平洋戦争開戦時には旧式化しつつも、5,500t型は全艦が現役であった。最新鋭の阿賀野型が就役するまで旗艦任務を全う、時には最前線で砲火を交える事もあった。特に長良は旗艦任務を多く務めていた。1934年に近代化改修を受け、旧式の射出機を撤去。代わりに新式の射出機を装備、対空機銃を装備した。艦内神社は、岐阜県岐阜市の伊奈波神社から分祀を受けている。日本の軍艦らしく、やはり艦内の訓練は厳しかった。体力的にも精神的にも厳しく、病人を出した事すらあったとか。
+
- さて、1922年4月22日に竣工した長良であったが、いきなり未曾有の国難に遭遇する。1923年9月1日、関東大震災が発生。関東一帯が壊滅してしまう。
災害発生時、連合艦隊は裏長山列島にあった。帝都壊滅の報を受け、9月2日午後5時頃、主力に先立って出動。被災した東京へと急行した。
10月8日午前8時、三浦を出港。震災善後会の徳川会長以下19名を乗せ、関東大震災で壊滅した地域を二日かけて視察した。
- 1924年9月下旬から10月中旬にかけて行われた海軍大演習に参加。連合艦隊は青軍と赤軍に分かれ、長良は攻撃側の青軍に加わった。
- 1927年5月11日、佐世保工廠で補給水管が新設される。7月23日、長良に新聞記者が便乗。12月21日、山東方面の状況変化により青島在留の邦人を
保護する必要が出てきた。そこで佐世保に停泊している長良に約200名の陸戦隊を乗せ、現地に派遣する事にした。急ぎ軍需品や兵員を積載し、
同月夜に出港。
- 1937年8月13日、第二次上海事変の勃発により上海市は破壊と悲鳴の坩堝と化した。苦戦する現地の守備隊と邦人を救うべく、翌14日に出撃。
川内、神通とともに基幹をなし、渦中の上海へ向かった。10月23日、電気冷蔵庫が装備される。12月1日、支那方面艦隊に編入。
12月8日に高雄を出港し華南方面で活動。
- 1938年5月10日、塩谷長官に率いられてアモイの攻略作戦に参加。2000名以上の兵力を載せた輸送船団を護衛し、支那の第75師団を攻撃。
敵は2日後に撤退し、無事アモイの攻略に成功した。
- 1939年2月10日、第四水雷戦隊旗艦として海南島攻略作戦に参加。12月1日、舞鶴鎮守府に転籍。
- 1940年4月1日に予備艦となり、10月15日から舞鶴海軍工廠で修理を受ける。その間に第二遣支艦隊第十五戦隊に編入される。
- 1941年1月30日、修理完了。舞鶴を出港し、南部仏印進駐を支援する。3月23日、敵の陣地を偵察し北海市街地を撮影。同月28日に長良の
内火艇が銃撃を受けている。4月8日、作戦を終えて舞鶴に帰港。6月10日、佐世保を出港して上海や華南方面で活動。
9月9日、舞鶴に帰港し入渠。整備を受ける。同月29日、完了。戦争の足音が迫る11月26日、比島部隊第四急襲隊の旗艦となり寺島水道を出港。
12月1日、パラオ着。同月6日午前11時15分、総員集合の号令が下る。壇上に乗った艦長から米英蘭豪と戦う事になった旨を伝えられた。
燃料を満載し、全武装の整備が完了。
- 1941年12月8日、太平洋戦争が生起。午前5時30分、第十六戦隊第一根拠地隊の旗艦としてパラオを出撃し、輸送船団の指揮を執った。
駆逐艦雪風と時津風が前面の対潜掃討を行い、後ろから輸送船団が通過する。フィリピン東岸を目指して航行中、偵察に出ていた艦載機が
着艦。銃撃を受けたようで、パイロットの山田一等飛行兵曹が息絶えていた。遺体は軍艦旗に包まれ、上甲板から水葬された。
- 翌9日午前5時30分には随伴の第三十四号哨戒艇から敵潜水艦発見の報が届き、一気に緊張が走る。幸いな事に襲撃は無かった。
午前8時30分、突如として警笛信号が響き、配置に就くよう命じられる。敵艦発見、と思いきやそれは味方の駆逐艦山風だった。警戒を解き、
哨戒配置に戻る。緊張と猛烈な暑さが、乗組員から体力を奪う。この頃から続々と情報が寄せられ、東南アジア方面の状況が流動的に
なっている事を示した。午後3時45分、イギリス海軍のプリンス・オブ・ウェールズとレパルスが撃沈された報が届き、艦橋は沸き上がった。
- 12月11日、攻略目標のルソン島レガスピに接近。輸送船団の左側に占位し、護衛任務を全うする。駆逐艦や掃海艇から度々敵潜水艦出現の
報告が飛び込み、爆雷が投下される。日没を迎えると発光信号の使用が制限され、泊地に侵入するため陣形を整えた。緊張のあまり誰も言葉を
発さなかった。輸送船団の上陸は順調に進んだ。敵の抵抗は無く、12日午前1時30分には第二陣の船団が到着。午前7時40分、上陸部隊の援護と
警戒の意味で艦載機を発進。約4時間後に戻ってきたが、波が高く着水が不可能だったため基地に収容された。その後、米戦闘機の機銃掃射を
受けて乗組員1名が死亡。レガスビの攻略は完了し、長良は駆逐隊との合流地点である奄美大島に向かった。道中、トビウオの群れやイルカが
乗組員の目を楽しませた。12月12日19時30分、「総員配置に就け」の号令が下る。敵艦と思われる影に探照灯を照射すると、それは味方の
水上機母艦瑞穂であった。その後は何事もなく奄美大島に入港。港内は24隻の輸送船が停泊しており、どの船にも陸兵が沢山乗っていた。
すれ違う時に陸兵がハンカチを振って歓迎してくれた。
- 12月24日にはラモン湾の上陸支援を実施。無事攻略に成功し、そのまま入港した。12月30日にラモン湾を出発。
- 年が変わって1942年1月2日、ダバオのマララグ湾に入港。1月9日、神通とともに10隻の輸送船を護衛してダバオを出港。
セレベス島メナドへの上陸支援に従事する。1月16日、バンカ泊地へ入港。1月24日、ケンダリーの攻略を支援するが翌25日、右舷中央部に
駆逐艦初春が衝突し乗員2名が負傷。旗艦を初霜に譲渡し、翌26日に駆逐艦雷に護衛されて離脱。ダバオで応急修理を行った。この事故で
アンボン攻略作戦を危険視する声が上がったが、問題なく攻略に成功した。戦線に復帰すると再び旗艦となった。2月6日、マカッサル攻略を
支援。続いて23日、バリ島の攻略を支援している。4月1日、クリスマス島の攻略を支援。
- 1942年4月10日、新設された第一航空戦隊(赤城を旗艦とする所謂「南雲機動部隊」)の護衛部隊、第十戦隊の旗艦になる。
- 南方作戦が一段落した4月11日、舞鶴へ入港。整備を受け、次なるミッドウェー作戦に備える。5月3日、整備完了し艦隊の集結地点である
柱島へ回航。同月27日、出撃。海は平穏、空は快晴だった。第十戦隊は機動部隊の前を単縦陣で航行、長良には指揮下の駆逐艦12隻が追随した。
沖島東側の水道から外洋に出ると、散開して対潜掃討を実施。それが終わると主力空母4隻を取り囲む輪形陣に加わり、長良はその先頭に立った。
敵の潜水艦が潜んでいるであろう危険な海域を突破し、ひとまず安堵した。
- 空母を守りながら戦う長良であったが、敵機の攻撃は空母に集中。旧式艦の長良には目もくれず、次々に上空を航過していく。
蒼龍、加賀(空母)が沈み、旗艦赤城も大破炎上。総員退艦となり、周囲の駆逐艦ともども救助活動を開始する。
長良からカッターが派遣され、赤城の艦首に追い詰められている生存者の収容に当たった。まず便乗者の新聞記者が乗せられた。
次に南雲中将や幕僚がロープを伝って、カッターに移乗。燃え盛る赤城から全力で生存者を救出する。午前7時46分、長良に
中将旗を掲げ、機動部隊の臨時旗艦となる。
- 乗り移った南雲司令は、長良による赤城曳航を第十戦隊司令木村少将に命じているが無理な話だった。長良の甲板には大勢の水兵が
集まり、物珍しそうに収容された生存者を見つめていた。淵田中佐は甲板上に引き上げられると、すぐに病室へ運び込まれた。艦内では
長良の水兵と赤城の生存者が交流。「古い艦だから敵機にも狙われず、戦争見物している」と自虐気味に長良を紹介した。士官室は
参謀事務室に早変わりし、戦闘配食として握り飯、たくあん、梅干、サケの缶詰が振る舞われた。当初、長良による雷撃が
検討されていたがすぐ却下された。
- 長良は全速力で航行し、最後に生き残った飛龍の下へ駆けつけた。ちょうど航空機を発進させている所だった。これを見た乗員は
飛龍を応援した。「かたきを取ってくれ!」「飛龍!頼むぞ!」と力の限り叫んだ。この声援は飛龍にも届き、発光信号で
返礼してくれた。「我、今より単独、敵空母を攻撃す。攻撃兵力、艦爆18機、戦闘機6機」と長良に伝えてきた。飛龍最後の反撃を
見届けた後、米軍機が襲来し対空戦闘。この攻撃で飛龍は被弾し、炎上。ついに命運が尽きた。この瞬間、帝国海軍から空母と
航空機が消滅した。そしてアメリカ軍はこぞって航空攻撃を仕掛けてきた。対空戦闘のラッパが鳴り響き、老体に鞭打って弾幕を張る。
B-17の編隊が、生き残った水上艦に爆撃を加える。長良の古い対空砲火では敵機に届かない。取るに足らないと判断したのか、B-17は
長良を無視して大型艦の榛名や霧島、新鋭の利根型を狙った。幸い被害は出なかった。夕方、1機の零戦がふらふらしながら飛んできた。
長良に接近しており、救助用のカッターが準備された。やがて不時着水し、機体は逆立ち状態になった。だが搭乗員は無事で、海を
泳いでカッターに引き上げられた。この者は白根大尉……赤城戦闘機隊の生き残りであった。続いてまた1機が着水。あざやかな
手並みだった。カッターが救助に向かったが、まごまごしているうちに搭乗員は長良まで泳ぎきった。彼は大森飛行兵曹であった。
- 6月13日、柱島に帰港。7月14日、ミッドウェーで敗戦後、第一航空戦隊は第三艦隊へと再編成されたが、長良は引き続き第十戦隊旗艦を
務める。8月7日、ガダルカナル島に米軍が襲来し、ソロモン戦線が構成される。7月16日、迎撃に向かう機動部隊の護衛として柱島を出撃。
トラックへ向かうが、敵の機動部隊がソロモン北方海域に出現したとの報告を受け、急遽入港を取りやめて南下。8月24日に第二次ソロモン海戦が
生起する。作戦後の9月5日、トラックに入港。
- 10月26日、南太平洋海戦に参加。その後、空母部隊が修理や航空部隊再編の為一旦後方に下がることになり、第十戦隊は空母護衛の任を解かれ、
ヘンダーソン基地砲撃を命じられた挺身隊(金剛型戦艦「比叡」・「霧島」)の護衛として、11月12日の第三次ソロモン海戦に参加する事になる。
第一夜戦、第二夜戦共に参加、支離滅裂としか形容のしようのないこの海戦をなんとか軽微な損傷で乗り越える。暁が身を挺して照射した
探照灯に照らし出された防空巡洋艦アトランタに砲弾を浴びせる。戦艦比叡と協同でアトランタを滅多打ちにし、暁の最後の魚雷攻撃も
相まって自沈へと追いやった。
(ちなみにアトランタにとっては味方であるはずの重巡サンフランシスコの誤射もあった)
また米戦艦を護衛する駆逐隊と交戦し、比叡の首を狙ったプレストンを返り討ちにして仕留めている。米艦隊にも大きな損害を与えたが、
護衛対象であった比叡・霧島は戦没。麾下の駆逐艦暁を喪う、苦い戦いであった。
- 11月20日、第十戦隊の旗艦を新鋭駆逐艦照月に継承。厳しい連戦を終え、12月20日にトラックを出港。途上で空母冲鷹と合流し、
舞鶴に入港した。その後長良は新鋭軽巡阿賀野型「阿賀野」に第十戦隊を継承し、自らは第四水雷戦隊旗艦の任に就く。
しかし、ソロモンでの戦いで消耗した第二水雷戦隊を補うため四水戦は解体。阿賀野型「能代」に引き継ぐまで二水戦旗艦を務めた。
- 1943年1月13日、舞鶴海軍工廠に入渠。1月21日、徳山を出港してトラックに向かうが三日後、マリアナ諸島アナハタン島沖で
爆発事故を起こし、損傷。幸い航行に支障は無く、翌25日にトラックへ入港した。そしてガダルカナル島撤退作戦の支援を実施。
奇跡的に敵に見つかる事なく撤退を完了させ、2月9日にトラックに帰投した。その後、しばらく訓練に従事。5月31日、幌筵海峡で
サモン丸から給油中に触礁する。6月23日、横須賀第二特別陸戦隊の輸送任務のためトラックを出港。ナウルオーシャンに兵員を揚陸させた。
- 7月11日、ルオット島に停泊し進出していた隼鷹派遣隊を収容。次にカビエンへと向かった。7月15日14時48分、港内で補給物資を揚陸中に
右舷後部で磁気機雷が爆発し小破。同月21日、トラックを出港して横須賀に到着。8月1日、戦艦武蔵を中核とした主力隊と合流し、
トラックまで護送。入港直前に雲鷹が被雷するも、9日に入港した。若干停泊した後、9月14日に呉へ帰港。ドックに入渠し整備を受ける。
海兵団を卒業したばかりの新兵を迎え、乗艦祝いに鯛の料理が出された。出渠後、柱島で訓練。偵察機を飛ばして、水平線の向こうにいる
敵艦役を砲撃した。その後舞鶴で整備を行い、10月18日に柱島を出港。再びトラックへと向かい、23日着。
- 10月26日、ラバウルへ回航。入港を前にして、米潜水艦の雷撃を受ける。「魚雷戦用意」の号令が下り、回避運動を行う。2本目までは
回避に成功したが、3本目は避けようが無かった。誰もが被雷を覚悟したが、深度が深く設定されていたため魚雷は艦底を通過。幸運にも
命中せず。無事に入港を果たした。
- 11月6日、被雷し航行不能になった特設給油船宝洋丸を曳航し、トラックまで連れて帰った。同月12日、ラバウル空襲で損傷しトラックに
回航中の軽巡阿賀野の護衛に参加。能代が曳航していたが、途中で曳綱が切れてしまったため長良が曳航を担当。無事にトラックに
送り届けた。阿賀野の戦死者を弔う水葬に、長良からの儀仗隊が列席。弔砲を放った。
- 11月26日、クェゼリンに進出。12月5日午前5時頃、港外にいたところを米空母レキシントン(?)の艦載機に襲われ、損傷。48名が
死亡し115名が負傷した。さらに投棄できなかった発射管の魚雷が爆発し、長良の船体が一瞬海中に沈んだ。生じた破孔からは重油が
垂れ流しとなり、五十鈴から給油してもらった。この攻撃で艦内は血染めとなった。腕や足を欠損した者が多く、運用科の要員がサラシを
持って手当てに奔走。とある対空機銃の班は、1人を残して全滅したという。長良を守り続けていた熟練の乗員に犠牲者が出た事で
対空兵装の強化が必要となった。
- 12月30日、艦内餅つき大会が始まった。乗員600名に対し数個の臼では全く足りなかったので、駆逐艦から借りてきたとか。つき終わった
餅は美味しく頂かれた。五十鈴から重油を貰いながら、体をひきずってトラックに向かった。
- 1944年1月15日、トラックに後退し応急修理。本土でなければ修理が出来ないとして、内地への帰還が決まった。艦尾を切断した
長波を曳航しながら徳山を目指して出港する。敵襲を受けた時は曳綱を切断する用意があったが、何事も無かった。24日、到着。長波と
別れた後、舞鶴に回航され、本格的な修理を受ける。同時に対空兵装の強化が施され、5番と7番砲塔を撤去。代わりに12.7cm連装高角砲を
装備した。3月4日、中部太平洋方面艦隊に転属。4月10日に出渠し、柱島に回航されて訓練を始める。5月15日、戦没した龍田の代役として
第十一水雷戦隊に編入され、旗艦となる。
- 6月19日、横須賀に入港。父島への輸送を試みる伊号輸送の実行戦力に選ばれる。29日、第一輸送隊を率いて出撃。翌30日に父島・二見に
到達し、物資を揚陸した。7月1日午前0時、長良は駆逐艦松を伴って出港した。
- 次は沖縄への輸送を試みる呂号作戦に参加。7月14日、第二十八師団を乗せて門司を出港。沖縄に送り届け、任務を完了させる。続いて
沖縄からの疎開者を避難させるべく8月2日に鹿児島を出港。疎開船団とともに沖縄へと向かった。第十一水雷戦隊の旗艦は一時的に
駆逐艦桑に預ける事とした。三日後に那覇へ寄港し、避難民数百名を乗せて本土を目指す。甲板上にはむしろが敷かれ、寝られないほど
大勢の人が乗っていた。明け方、中原艦長が現れて避難民に告げた。「これから戦闘態勢に入ります。もし魚雷が当たって船が傾斜した場合は、
すぐに高い所へ移って下さい。まず浮く物を海に、次に子供を、最後に親が海に飛び込んで、出来るだけ船から遠く離れて浮かんで
待っていて下さい。すぐに救助船が来ます」。これを聞いた避難民は静まり返ったという。荒れた海が不安を掻き立てたが、幸い何事もなかった。
8月6日、鹿児島に到着。避難民を降ろした後、駆潜艇1隻と航空機2機に護衛されて佐世保へ回航の途上、21ノットで航行中の長良は、
不運にも米潜水艦クローカーに発見される。
- 1944年8月7日。天草諸島沖、熊本県天草市牛深町の沖合10km付近にて米潜水艦クローカーから雷撃され、2本が命中。間もなく戦没。
中原艦長以下348名が戦死し、237名が救助された。右舷に傾き、艦尾が沈んでいく姿がクローカーの潜望鏡越しに撮影されている。
10月10日、除籍。
牛深町の「鎮魂の丘」に慰霊碑が建っている。また、同地には軍艦長良記念館も開設されている。
この慰霊碑を建てた一人の女性にまつわるエピソードがあるので、気になる人は「天草灘に響け鎮魂の譜」で検索してみよう。
(書籍自体は絶版)
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