艦種別リスト > U-410
基本情報 †
プロフィール |
 | 名前 | U-410 KMS U-410 |
レアリティ | SR |
艦種 | 潜水艦 |
陣営 | 鉄血 |
CV | 藤本彩花 |
イラスト | Alic |
耐久 | D | 火力 | D |
雷装 | A | 回避 | D |
対空 | E | 航空 | E |
速力 | 14 | 運 | 50 |
装甲 | 軽装甲 | 弾薬量 | 2 |
SD |  |
自己紹介 |
鉄血の「狼」としても、私はあまりそこまで誇れる戦果はなかったわね。 救援任務にパトロール、それぐらい…願わくば、港ではなく海で沈みたかったわ |
ステータス |
LV | 好感度 | 耐久 | 火力 | 雷装 | 航空 | 対空 | 装填 | 回避 | 命中 | 潜航力 | 消費 |
125 | 200 | 1365 | 46 | 538 | 0 | 0 | 90 | 41 | 187 | 188 | 6 |
100 | 1292 | 44 | 509 | 0 | 0 | 85 | 38 | 177 |
120 | 200 | 1333 | 46 | 532 | 0 | 0 | 89 | 39 | 182 |
100 | 1261 | 43 | 503 | 0 | 0 | 84 | 37 | 172 |
100 | 100 | 1139 | 41 | 478 | 0 | 0 | 79 | 32 | 153 |
1 | 50 | 203 | 8 | 97 | 0 | 0 | 31 | 7 | 59 | 2 |
艦船技術 |
艦級 | T7 V II C型 |
解放条件 | 効果 | 技術Pt |
入手 | 【潜水】【潜母】回避+2 | +8Pt | +36Pt |
突破MAX | - | +16Pt |
Lv.120 | 【潜水】【潜母】雷装+1 | +12Pt |
スキル名 | 効果 |
 | ミステリアスハンター | 自身が軽巡に与えるダメージが5.0(15.0)%アップ;戦闘中、自身が浮上した場合、魚雷弾幕Lv1(10)を展開する(威力はスキルレベルによる) |
 | ウルフパック | 出撃時、艦隊に鉄血潜水艦が一隻につき、自身の雷装・命中・装填が1.5%(MAX6.0%)アップ |
 | 全弾発射-Type VIIC型I/II | 戦闘開始時、全弾発射-Type VIIC型I(II)を発動する |
上限突破 |
初段 | 全弾発射スキル習得/魚雷補正+5% |
二段 | 魚雷装填数+1/支援範囲拡大 |
三段 | 全弾発射弾幕強化/魚雷補正+10% |
大陸wikiのページ:https://wiki.biligame.com/blhx/
着せ替え後(春節の「仕掛け」)ボイス †
+
入手時 | あけましておめでとう。春節(しゅんせつ)の「仕掛け」、全部できた?…ふふふ、つまりお年玉と張り紙のこと――わたしも知識を『仕込んで』おいたわ |
ログイン | 山積みの書類はないけど、まだやるべきことがいっぱいね |
詳細確認 | プレゼントに悩んでる?ふーん、直筆の「色紙」でもどう?真心を伝えられると思うわ |
メイン1 | 鬼ごっこね…雪だるまに隠れるなんて、U-81の「発想」、とんでもないわ |
メイン2 | ペネロピ、何をやらされてるのかしら…ちょっと気になるわ |
メイン3 | これを飾り付けるのはちょっとむずかしいわね。指揮官、肩車、してちょうだい |
タッチ | 「お年玉」とはこれのこと? |
タッチ2 | あら、祭りの熱気で抑えられなくなっちゃった? |
任務 | |
母港帰還 | ゆっくりと、楽に。だって休日だもの |
失敗 | |
▼好感度系 |
ラブ | |
着せ替え後(リージャリイ・プラクティス)ボイス †
+
入手時 | 「締め」の動きは…こんなところかしら?ふふ、指揮官の目にはどう映っているかな♪ |
ログイン | おかえり指揮官。練習に付き合う準備はできていて? |
詳細確認 | |
メイン1 | チアダンスでも何でも、誰かが「応援」してくれるってわかってれば…ええ、きっといつも以上の力が出せるわね |
メイン2 | 頑張れ!頑張れ!指・揮・官~!ふふ、どう?少しは応援されてるって感じてもらえたかしら?目のやり場に困るって?あら、それは悪かったわね♡ |
メイン3 | 元気いっぱいチアコールしてほしい?それは…ちょっと、ねえ… |
タッチ | あら、わたしの応援で「気が散っちゃった」、というわけ? |
タッチ3 | 指揮官からの応援、受け取ったわ |
勝利 | 応援する側なのに、少し目立ちすぎちゃったかな?ふふ |
母港帰還 | 出撃する前の「応援」、効果はちゃんと出たかしら? |
失敗 | |
▼好感度系 |
ラブ | |
ボイス †
+
入手時 | ここにいるのはVIIC型潜水艦のU-410だけど、呼び方は好きにしていいよ?そう、指揮官の「好きな」呼び方で、ふふふ |
ログイン | あら、おかえり。山積みの書類にする準備ができた? |
詳細確認 | 潜水艦として、「ミステリアス」な感じにしたほうがいいのではなくて?指揮官。 |
メイン1 | クラウドジュースで疲労回復…試してみればいいよ |
メイン2 | ペネロピ?ああ、ここにいるわよ。面倒を見てあげたら? |
メイン3 | レポートにわからないこと?どれどれ‥…少し近すぎた?ふーん、すまなかったわ |
タッチ | サボリたい時は「合図」、してちょうだい。ふふふ |
タッチ2 | この格好のせいで「気が散っちゃった」、というわけ? |
任務 | 期限に追われる「スリル」を味わいたくてたまらないの? |
任務完了 | 任務をこなす過程そのものが重要だったりするけど…報酬があるのは嬉しいことよ |
メール | 手紙を貯めてから認識する―― 一気にやるのは確かに気持ちいいけど、あまり意味がないわよ? |
母港帰還 | 急がば回るわ。ここはゆっくりと、楽に、ね |
委託完了 | 委託から無事に戻ってきたわね。よかったじゃない? |
強化成功 | 戦闘能力が高いことに越したことはないわ |
戦闘開始 | 躊躇わず、楽にね |
勝利 | 水上艦にはもっと頑張ってもらわないと |
失敗 | 戦況の逆転は無理…撤退したほうがいいわね |
スキル | 「注意」しなさいな |
▼好感度系 |
失望 | 人との付き合い方がわからない指揮官はどうするのかなー |
知り合い | 潜水艦は「掴みところがない」ことがミソよ。そう、「暗闇に潜む未知なる恐怖」みたいな…ふふふ |
友好 | 「我慢」は潜水艦が一番得意なことよ。指揮官は大事な子のためにどこまで「我慢」できる?ふふふ |
好き | かかったわね、「獲物」。ん?どういう意味かって?まだ教えられないわよ。それも含めての「我慢」じゃない |
ラブ | 指揮官、デートでもしない?あら、潜水艦らしくこんなに我慢してやったのに、「狩り」をさせてもらえないわけ?ふふふ、観念しなさい♡ |
ケッコン | ふーん、指揮官もずいぶん長いこと「準備」してたんだ…で?どうするの?ずっと一緒にいる心の準備はできた?…ならよろしい♪ |
▼特定編成時台詞 |
ペネロピと出撃 | そうそこ、敵を引きつけちゃって〜 |
U-81、U-47、U-557、U-556、U-73、U-101、U-522、U-110、U-96、U-37のうち2隻と出撃 | 狼からは逃げられないわよ |
ゲームにおいて †
性能 †
Uボートの基本であるウルフパックに加え、珍しい軽巡特攻を持つ潜水艦。
標的となるボスやレイド戦が来れば採用候補になるが、普段の海域でも軽巡は多いため問題なく使える。
強力な鉄血潜水艦のお供として編成するのが良いだろう。
性能変更 †
2023/09/21のメンテナンス以降、支援範囲が変更された。
以前の範囲では、システムの仕様上到達できないエリアが存在した。→公式告知
キャラクター †
鉄血所属の?C型潜水艦の一隻。
「真意も居場所も悟られない」ことを己の「準則」・「流儀」としている。
カンレキのことからマイペースのペネロピには気をかけている。
ミステリアスさを纏った掴みどころが無いお姉さん。何かと幼女が多いUボートシリーズでは初のお姉さんである。あざとく誘惑してきたり、
面倒見が良かったりと大人の色香を感じさせる。誇れる戦果は無いと言っているが、ペーネロペー撃沈は地中海方面の数少ない成功例として
挙げられる程の大戦果である。救援任務は、沈没したU-254と封鎖突破船ラコティスから生存者を救助した事を指している。港内で死亡した事が
きっかけで乗組員全員が助かっているが、それには不満げな様子。
2021年2月4日より開催された「春節母港2021」にて、累計勝利数報酬の最後に据えられた目玉キャラ。U-410を獲得するには200勝が必要で、
かなりの時間と燃料を必要とする。また報酬の段階は1日おきに開放されていく都合、どれだけ早くても2月10日まで掛かる。ただ勝利数には
何の制約も無いため、早いうちに200勝を収めておけば後は2月10日を待つだけで済む。
元ネタ †
ドイツ海軍が建造したVIIC型Uボート。1941年1月9日起工、10月14日進水、1942年2月23日竣工。当初は大西洋を狩り場に活動していたが、
ことごとく悪天候に阻まれて思うように戦果が挙げられなかった。やがて地中海方面への移動を命じられ、ジブラルタル海峡を無事突破。
この時、Uボートの天敵であるロッキードハドソンと一騎打ちして生き残っている。突破後はフランス南部を拠点に通商破壊を行う。
地中海の戦況は非常に厳しかったが、皮肉にも大西洋にいた頃と比べて着実に戦果を積み重ねた。死ぬまでに10隻を撃沈しているが、
このうち8隻は地中海での戦果である。ナポリ近海で戦車揚陸艇LST-348と敵巡洋艦ペネロピを撃沈。特にペネロピ撃沈はまさに神業で、
26ノットで高速航行中のところに魚雷を当てている。これは成功した潜水艦の攻撃の中で、最も速い速力である。他にも8隻の輸送船を
撃沈する活躍をした。
1944年3月11日のトゥーロン空襲で致命傷を負い、放棄された。入港中だったためか乗組員は全員無事であり、別のUボートに転属。就役から
放棄まで、誰一人として死傷者を出さなかった乗員想いの艦である。スコアは10隻撃沈(5万7861トン)、1隻撃破(7134トン)。
+
- ドイツ海軍が建造したVIIC型Uボート。1939年10月30日にヤード番号111の仮称を与えられ、発注。1941年1月9日にダンツィヒで起工し、10月14日に進水。1942年1月1日より第7軍艦建造訓練部から建造指導を受ける。同時に乗艦予定の要員がダンツィヒに集められ、各部署ごとに建造工事を手伝った。そして2月23日に竣工。初代艦長としてクルト・シュツルム大尉が着任。まず第5潜水群に編入され、慣熟訓練に従事。4月18日までダンツィヒで試験を行い、翌日にゴーテンハーフェンへ回航。5月17日から20日にかけてダンツィヒで修理を行い、2日後に出港。ヘラ半島沖で訓練を行う。6月7日から19日までピラウで第26潜水群と合同訓練を行い、魚雷の試射を実施。それが終わると一旦ダンツィヒに戻って戦術演習に参加。6月24日にピラウへ戻り、再び第26潜水群の手ほどきを受けた。7月1日、ゴーテンハーフェンで第27潜水群と訓練。7月4日にU-464と給油演習を従事した。7月11日から7日間はダンツィヒで、7月18日から8月15日まではキールで残りの工事を行い、全て完遂させた。8月17日より2日間、ヘラ半島沖で海上訓練。乗組員の錬度向上を図った。この訓練を以って慣熟訓練は完了。8月20日にキールへと入港し、26日まで出撃のための戦備を整える。司令塔には次の転属先である第7潜水群の記章であるスカパフローの雄牛が描かれた。
- VIIC型は1936年から1945年にかけて628隻生産された、Uボートの決定版である。ブロック建造及び部品の共通化、徹底した品質管理により大量生産を実現。船体の巨大化に伴って燃料タンクも巨大化、VIIB型より航続距離が増している。しかし機関はB型から変わっていないため水中速力が低くなっている。艦首下部にGHG集合聴音機、艦首甲板上にKDB回転式聴音機を搭載。B型よりも新式を装備している。要目は排水量769トン、全長67.13m、全幅6.17m、全高4.57m、最大速力17.7ノット(水上)/7.6ノット(水中)、燃料搭載量114トン、安全潜航深度200m、乗組員44名。武装は魚雷発射管5門、53.3cm魚雷14本、8.8cm単装砲1門、37mm単装機関銃1基、20mm連装機関銃1基。
- 1942年8月27日、最初のパトロールを行うべく、U-254やUD-3(デンマーク海軍から鹵獲した潜水艦)とともにキールを出発。道中で第7潜水群に転属した。最初に向かったのは前進拠点となっているノルウェーのクリスチャンサンで、翌日入港。燃料補給を受けた。8月30日に出発し、敵の警備が厳しいデンマーク海峡を突破して大西洋に進出。北大西洋及びニューファンドランドの東方を狩り場に定めた。まずウルフパック「ローゼ」に加わり、南北アメリカからやってくる敵船団の撃滅を目指した。ウルフパック全体で8隻を葬ったが、U-410は獲物を発見出来なかった。9月20日、U-380がRB-1船団を発見したと通報。直ちにウルフパック「ブリッツ」が形成され、U-410も加わった。7隻の撃沈に成功したが、U-410は敵船と出会えず。9月26日に解散となり、再び手ぶらで終わってしまった。続く「ティーゲル」、「レッツテリッター」にも加わっているが、U-410の前に獲物が現れる事は無かった。実は、9月中頃から狩り場の大西洋が猛烈な嵐に見舞われていた。作戦行動中の20隻のUボートは波風に翻弄され、狩りどころではなくなった。敵の船団や護衛艦艇も同様で、互いに相手の事など構っていられない。獲物と出会えないのは天候的な問題があったからだった。一方でこの危険の多い航海は、新米艦長のクルト大尉に貴重な経験を与えた。
- 10月4日、航洋型機雷敷設用UボートであるU-118と合流。燃料、2週間分の食糧、予備品、消耗品の補給を受ける。U-118は他にも補給任務を携えており、すぐに離れていった。翌5日、今度はウルフパック「ヴォータン」に参加。ようやく嵐は過ぎ去り、この頃から次第に天候が回復し始めた。中部大西洋でニューヨーク発リヴァプール行きのONS-136船団をU-615、U-706、U-621とともに襲撃する。既に狩りは始まっており、船団は散り散りになって逃げ惑っていた。10月15日午前9時58分、船団から落伍していたイギリス商船ニュートンパイン(4212トン)を発見。急速潜航し、獲物の追跡を開始する。午前10時25分、後方から雷撃したが命中しなかった。4分後に今度は2本の魚雷を発射。敵船は雷撃された事に気付かず、1本が船尾に直撃。ケープフェアウェルの南東で急速に沈没し、記念すべき初戦果を挙げた。撃沈の様子は僚艦のU-618に目撃されている。U-410は救命ボートで脱出する乗組員を発見し、ラコニア指令*2が出ていたにも関わらず救助しようと捜索。だが、見つからなかった。ニュートンパイン以外の獲物には恵まれず、10月28日にサンナゼール港へ入港した。最初の戦闘航海は62日に及んだ。
- 12月3日、サンナゼール港を出港して2回目のパトロールに就く。今回はより敵国に近い北大西洋とアイルランドの西方を哨戒する事になった。航行中、U-410は漂流者を発見。相手の正体は、12月8日にフェアウェル岬沖でU-221と衝突事故を起こして沈没したU-254の生存者であり、救助した。12月11日からウルフパック「ラウフボールド」に参加。僚艦10隻とともに広大な網を張った。引っかかったONI-153船団は海の狼たちによって食い破られたが、肝心のU-410は全く会敵する事が出来なかった。というのも、12月中旬から大西洋を強力なハリケーンが襲い、作戦を一時中止しなければならなかった。12月27日にようやく船団攻撃が可能になるレベルにまで天候が回復するも、戦果を挙げる事は出来なかった。そんな中、U-410に特別な任務が与えられる。日本勢力圏下のバタビアからフランスのボルドーに向かっている封鎖突破船ラコティスとアゾレス諸島北西で合流・護衛するよう命じられたのである。U-407とU-409も同様の命令を受け、ラコティスを迎えに行くべく行動を開始する。3隻は無事にラコティスと合流し、U-410はラコティスの前方40マイルを警護。敵影が確認されなかったため、Uボートは一旦護衛任務から離れた。
- 1943年1月2日早朝、再びラコティスに合流しようと移動を開始。ところがパリのBdU(Uボート戦隊司令部)からラコティスの沈没を知らされる。U-410は急行し、沈没から16時間後に現場へ到着。そこには2隻の救命ボートが漂流していた。前日、封鎖突破船ラコティスはフィニステレ岬北西で撃沈され、乗組員は4隻の救命ボートに分乗して脱出していたのだ。生存者の話によるとまだ2隻の救命ボートがあるはずなのだが、周辺を捜索しても見つけられなかった。U-407とU-409が捜索活動を行ったが、やはり発見できない。やむなく生存者79名を救助して帰路についた。定員以上の人間が乗艦したため短時間の潜航しか出来ず、潜水艦としては大変脆弱な状態だった。道中でウェリントン爆撃機に2回襲撃され、4発の爆雷を投下されている。何とか敵機を振り切り、1月3日に帰港。次の哨戒任務に向けて整備、乗組員の休養、補給等が行われた。ラコティスが救助していた捕虜、アンガス・マクドナルド補給官は尋問のため連行されていった。ちなみに残りの1隻はスペインのトロール船に救助され、もう1隻は自力でスペインに到達している。
- 2月5日、25歳のホルスト・アルノ・フェンスキー中尉が二代目艦長に就任。2月9日、3回目の哨戒に出発。ウルフパック「ロブ」に加わって狩りを行う。今回の狩り場はアゾレス諸島北方と中部大西洋沿岸となった。出撃から間もなく2700トン級の敵商船2隻を発見するも、高速で航行していたうえ視界も悪かった事から攻撃できなかった。3月3日、デーニッツ提督は「レーダー波を探知したら急速潜航し、30分間は浮上してはならない」という命令を全Uボートに下した。敵軍は波長10cmの新型遠距離レーダーを投入してきており、実際ビスケー湾でU-519が逆探知するより先に敵機に気付かれ、撃沈される事件が起きていた。つまり、これは新型レーダーに対抗するための苦肉の策だった。ポルトガル北西を哨戒中の3月6日14時30分、ジブラルタル海峡に向かっているKMS-10船団を発見。強力な護衛がついていた上、ジブラルタル近海のため、いつ敵機がすっ飛んできてもおかしくない状況だった。2日前には追跡していたU-87が撃沈されていて、迂闊に手を出せばU-410も後を追いかねない。だが勇敢にも追跡を開始。15時20分、ジブラルタル西方で4隻の敵船に対し、4本の魚雷を発射。雷跡を見られたらしく、すぐに敵の駆逐艦セントクロアとシェディアックが向かってきた。U-410は潜航するも、爆雷攻撃を受けた。このため雷撃の結果を観察できず、「2隻に損傷を与え、そのうちの1隻が別の船と衝突した可能性がある」と報告した。実際はイギリス船フォートバトルリバー(7133トン)を撃沈し、フォートパスコヤックに損傷を与えていた。フォートバトルリバーは3000トンの軍需品を抱えて海の底へと沈み、フォートパスコヤックは損傷が原因で同行出来なくなり、ジブラルタルで足止めとなった。U-410は応援要請を発したが、KMS-10船団が海峡内に逃げ込んでしまったため追跡を断念。だが、その先の地中海に応援のU-596が待ち伏せており、更に2隻を沈めた。ジブラルタルの哨戒圏内に入っていたにも関わらず僚艦を呼び寄せた立派な行動は、第7潜水群の司令官からも称賛されている。帰路のビスケー湾で別の輸送船団を発見したが、8隻の敵艦から接触を受けたため潜航を強いられた。3月27日、ロリアンへ帰投。船体を明るい灰色と暗い灰色の縞模様に塗り替えた。
- 4月26日、ロリアンを出港。今回の任務は敵の牙城であるジブラルタルを突破して地中海に進出、窮地に追いやられているドイツアフリカ軍団の支援を行うという極めて難易度が高いものだった。困難な任務だったが、U-410は恐るべき度胸を発揮。出港後は潜航しながら航行し、5月5日夜にモロッコ沖で浮上。翌6日の夜明けにジブラルタル沖で再度潜航し、50〜60mの深度を保って突入した。イタリアの潜水艦隊から「追跡を受けた時以外、敵との接触は極力避ける」「午前0時から午前4時33分までは水上艦が哨戒機を放って陸上基地の代役を務めるため、敵機の位置が予測できる」「時として水上航行も手段の一つである」等の情報提供を受けており、突破の一助となった。5月6日の朝を、ジブラルタルの真っ只中で迎えた。大胆にも水上航行で海峡を渡っていたが、そこへ敵のロッキードハドソンが太陽を背にして飛来。3発の爆弾を投下し、5〜10mの至近距離で炸裂。更に銃撃を加えてきた。甲板上では混乱した水兵や士官が矛盾した命令を発したが、フェンスキー艦長の潜航命令で一斉に艦内へと退避。司令塔のハッチを閉めて急速潜航しようとしたが、逃げ遅れた3名が甲板に取り残されている事に気づき、艦長が中止を指示。既に腕が浸かるところまで潜航していた。急いで艦を浮上させ、フェンスキー艦長と数名の乗組員が3名を救助。それと同時に銃座へ人員を配置した。その隙を突いて敵機が急速に迫ってきたが、僅かな差で先に対空機銃が火を噴いた。反撃を受けた敵機は爆弾の投下を中止し、U-410の頭上を航過。機銃を警戒してか、一定の距離を保って上空を旋回する。ここから一騎打ちが始まった。激しく撃ち合うが、互いに決定打は出ない。何とか隙を見て潜航を試みるU-410、それを防ごうと目を光らせるロッキードハドソン。両者の一騎打ちは長く続いた。45分後、先に音を上げたのはロッキードハドソンだった。燃料の不足からこれ以上の攻撃が不可能になり悔し紛れに3発を投弾するが、200m離れた所に落ちてダメージにはならなかった。敵機は海域を去り、U-410は潜航した。
- 戦闘は終わったが、艦首の耐圧殻に切れ目が入って浸水を引き起こしていた。浸水自体は大した被害ではなかったが、前部魚雷発射管が全て損傷。航行には影響ないものの大損害を負っていた。ともあれ難所ジブラルタル海峡の突破には成功し、地中海への進入を果たした。余談だが、翌7日にU-447もジブラルタルの突破を試みたが、ロッキードハドソンの攻撃で沈没している。いかに突破が難しいかを物語っている。5月8日午前7時16分、U-410は位置特定を妨害する装置を使用。敵機の襲撃で使用するのが遅れてしまったが、効果は十二分に発揮された。放たれたノイズは敵軍も受信していたものの、有効な手を打てなかった。苦難の果てに5月13日、同盟国イタリアのラ・スペツィア港へ到着した。すぐにドックへ入渠し、8月初旬まで修理が行われた。
- 無事地中海に進出出来たものの、ラ・スペツィアに到着した日にチュニジアのドイツアフリカ軍団が降伏。北アフリカ戦線が消滅し、イタリアは膨大な数の敵軍に包囲されつつあった。また北アフリカ北西にも敵軍が上陸し、地中海全域の制空権を奪取。輸送船だけでなく敵の戦闘艦もうようよしてUボートにとっての地獄と化していた。
- 6月1日、地中海方面を担当する第29潜水群に転属。修理と同時に改装も行われ、司令塔を改造。U-333がサンダーランド飛行艇を対空砲で返り討ちにした戦訓から対空兵装の強化も行われ、20mm単装機銃を撤去。より高性能なブレダ15mm機関銃を2基装備した。転属に伴って司令塔に描かれていた雄牛は消され、代わりに剣と盾を象った記章が描かれた。
- 8月7日、ラ・スペツィアを出撃。敵軍の主要補給路となっている地中海西部へと向かった。道中で接近する航空機を発見したが、すぐに雲の中へと消えていった。乗組員は味方のドイツ空軍機と判断した(敵軍の記録にも該当海域を飛んでいる機は無かった)。8月23日、2200トン級の敵船に向けて魚雷4本を発射。命中を報告したが、該当船は存在せず。8月26日20時、アルジェリア沖でUGS-14船団を捕捉。22時16分、4つに重なる敵船に向けて3本の魚雷を発射。U-410は3回の爆発音と船が沈没する音を聴いた。アメリカ船ジョン・ベル(7242トン)の右舷側に1本の魚雷が命中し、積み荷の航空用ガソリンに引火。25フィートもの火柱が立ち、あっと言う間に火だるまと化す。乗組員は5隻の救命ボートに分乗して脱出。アメリカ船リチャード・ヘンダーソン(7194トン)も被雷し、舵を破壊。破孔から浸入した海水によって機関室が水没、航行不能に陥った。乗組員は6隻の救命ボートで脱出し、船体は放棄された。翌27日午前2時5分に再び爆発音を聴音。午前2時36分に浮上してみると、炎上している敵船が確認できた。午前4時18分、リチャード・ヘンダーソンは船尾から沈没。午前6時1分にU-410は現場を去ったが、ジョン・ベルの方は未だ燃え盛っていた。2隻同時撃沈の戦果を挙げ、U-410は帰投。第29潜水群の新たな根拠地となったフランス南部のトゥーロンに向かった。8月30日、トゥーロンへ入港。トゥーロンの港は、前年11月27日に一斉自沈したフランス艦艇から流れ出た重油で真っ黒に染まっており、海水浴すら出来ない状況だった。U-410の奮戦むなしく、9月9日にイタリアは降伏。北中部はドイツ軍が迅速に占領したが、南部は敵軍に占領された。もはやイタリアの港は使えない。敵軍の航空兵力と護衛部隊は日に日に増加し、対潜用の新戦術「沼」まで編み出していた。対するUボート側も対駆逐艦用に追跡能力を備えたG7es魚雷を装備したが、戦力差を埋めるには至らなかった。
- 9月12日にトゥーロンを出撃、サレルノ方面に向かった。そこで敵の巡洋艦と1万トン級の敵船を発見するも適切な攻撃位置につけず、何とか4本の魚雷を発射したが命中せず。その後、サレルノに入港する敵船を虎視眈々と監視していたが、敵機に発見されて攻撃を受ける。更に敵の駆逐艦にも気付かれ、爆雷まで投射された。幸い被害は無かった。それから3、4日が経過した頃、第29潜水群司令部から北アフリカ沿岸の航路を攻撃するよう命じられ移動。9月26日18時、アルジェリアのアンバナ沖でUGS-17船団を発見。追跡のすえ、19時20分に潜望鏡深度で2本の魚雷を発射。このうちの1本がノルウェー船クリスチャン・ミシェルセン(7176トン)に命中。この船は3000トンの石油、7000トンの弾薬、3000トンの航空爆弾を積載していてまさに火薬庫状態だった。ゆえに大爆発が引き起こされ、瞬く間に光る炎の塊と成り果てた。爆発の衝撃で船体が水面から浮かび上がるほどだった。すぐに中央から真っ二つに裂け、1分以内に轟沈した。生存者は僅か3名のみで、しかも船長は以前にもU-458に乗船を沈められた不幸な人でもあった。9月30日20時40分、スキッダ沖で西航中のMKS-26船団を発見して接近。10月1日午前0時、4本の魚雷を発射した。30分後に1本の魚雷を発射。フェンスキー艦長はリバティ船1隻を撃沈したと思っていたが、実際はイギリス船エンパイア・コマース(3722トン)とフォートハウ(7133トン)の2隻を仕留めていた。リバティ船だと思われていたのはフォートハウだった。フォートハウはそのまま沈没、エンパイア・コマースは炎上しながら漂流。アルジェリアのフィリップビル東方に漂着したが、既に廃船同然の状態となっていた。
- 10月3日にトゥーロンへ帰投。しかし外港付近で味方の巡視船と衝突事故を起こし、互いに大破。前部魚雷発射管が大きく破損する重傷を負った。不幸中の幸いだったのは、前部に装填された魚雷が誘爆しなかった事だった。3日後に造船所に入渠して修理を受けた。巡視船の方は魚雷で処分されている。この大怪我で約4ヶ月の修理が必要になり、船体を大規模に改修。このためU-410の見た目は同型艦と比べて変化していた。同時に20mm連装機銃2基を追加装備し、対空能力を強化した。その間に乗組員は2回の休暇を取り、ゆっくりと羽を伸ばした。11月24日、100機のB-17がトゥーロンを初空襲。U-73、U-371、U-380、U-450、U-593が軒並み損傷を受けたが、U-410とU-642のみ難を逃れた。トゥーロンは1943年1月20日に基地化されたばかりで、空襲からUボートを守るブンカーが無かった。これが影を落とした。
- 1944年1月11日、敵の大部隊がアンツィオへの上陸を開始。これを妨害するため、2月3日19時にトゥーロンを出撃。敵機の哨戒が厳しい事からコルシカ島とイタリア沿岸の間は通らないよう指示されたため、南進してサルデーニャと北アフリカ沿岸の間を通過。ネットゥーノ沖に到着した。先発したU-230とともにナポリ近海を支配する敵攻撃部隊に挑む。敵は上陸地点ネットゥーノを中心に多数のコルベット、小型艦、哨戒機、飛行艇を展開。沿岸には警備隊が常駐していて潜水艦を探知するレーダー波を出し続けている。まさに鉄壁の防御であり、接近は容易ではなかった。だが、近海に沈む敵駆逐艦の残骸がU-410の隠れ蓑として効果を発揮。また陸上での自動車やトラックの往来がレーダー波を妨げ、付け入る隙を作ってくれていた。ポンツァ、イスキア、カプリのビーコンは常に付けっぱなしであり、これが道しるべとなってU-410を導いた。幸運に助けられ、U-410はナポリ近海に到達。航路に少しズレがあったのか、狩り場のやや南に出た。カプリ島西方に来たU-410。日中は潜航して過ごし、夜間にだけ浮上してバッテリーの充電を行った。フェンスキー艦長はアンツィオの南方に移動し、ネットゥーノの停泊地を封鎖しようと3回攻撃を試みた。ところが敵の泊地から煙幕が展開され、また悪天候にも阻まれて良好な攻撃位置につく事が出来なかった。封鎖を諦めたU-410は南に舳先を向け、沿岸を沿いながらサレルノ沖に移動。2月15日に到着し、潜望鏡を上げてみると港から1隻のリバティ船が出てくるのを確認。格好の獲物だった。
- 2月15日15時3分、カプリ島の東でサレルノ上陸作戦を支援していたイギリス船フォート・セントニコラス(7154トン)を発見。15時22分に艦首からT5音響魚雷2本を発射し、直撃させた。続いて港から出てきた1万6000トン級の敵船を発見するも、前方でフォート・セントニコラスが炎上しているのを見て引き返していった。深度80〜90mを維持したまま、U-410は海域を離脱した。潜航中の17時13分、船の沈む音が聴音された。フォート・セントニコラスは4000トンの軍需品とともに沈んでいった。その4分後、突如ソナー音が響く。敵の駆逐艦がU-410を探している。そして10回に及ぶ爆雷制圧を仕掛けてきたため、更に潜航。衝撃波で制御室に僅かながら浸水が認められ、トリムが使用不能になる。何とか深度180mに到達したが、浸水で船体が非常に重くなってしまったため幾つのかのタンクを爆破する必要が出てきた。だが、爆破すれば敵駆逐艦に位置を喧伝する事になる。絶体絶命の窮地に立たされるU-410だったが、幸い敵は攻撃をやめて引き上げていった。その隙に急速浮上し、離脱。トリムの応急修理を行った。2月16日朝、ナポリ沖のイスキア島近海で駆逐艦に護衛された戦車揚陸艇を発見。魚雷2本の発射準備を整えたが、発射できたのは1本のみだった。6〜8分が経過した頃、凄まじい爆発音を聴音した。ところが敵軍側の記録によると該当船は無く、島を敵船と見間違えたものと推測される。
- 2月18日午前6時53分、ガエータ湾を潜望鏡深度で潜航中にネットゥーノへ向かう巡洋艦を発見。その正体は、ナポリからアンツィオに向かって単独航行中の敵巡洋艦ペーネロペー(5270トン)だった。潜水艦を警戒し、26ノット(28ノット説もある)でジグザグ航行しているという非常にやりづらい相手だったが、フェンスキー艦長は襲撃を決意。午前6時58分、キルケ岬沖でT5音響魚雷を発射。新型の魚雷であるT5音響魚雷は、内蔵のソナーによってペーネロペーが放つ音へと引き寄せられていった。35秒後に1本の魚雷が後部機関室を直撃。雷のような爆発音が鳴り響き、一瞬艦尾が浮き上がった。ペーネロペーの速力は2ノットにまで低下し、殆ど進めなくなった。雷撃を受けたため緊急信号を打とうとしたが、打ち終える前に電力を喪失。船体は右舷に9度傾斜し、推進軸を破壊されて右方向にしか移動できなくなった。電力が無いため機関の再起動が出来ず、やむなく艦長は手旗信号でLST-165とLST-430に救援を求めた。16分後、U-410はトドメの雷撃を行い、2本目を直撃させてボイラー室を破壊。後方煙突から黒煙が噴き上がった。船体がV字に折れ、午前7時16分に敵艦は轟沈。沈没まで時間が短かった事から艦長や便乗の海兵隊員を含む415名が戦死した。ちなみにU-410は26ノット(48km/h)で高速航行中の敵艦に魚雷を当てているが、これは潜水艦史上最速の雷撃目標だった。そして敵イギリス海軍が地中海で失った最後の巡洋艦でもあった。ペーネロペーを仕留めた日の夜、魚雷発射管に新型のFaT(G7a魚雷の改良型)を装填し、ジャイロテストを行った。翌19日夜、ネットゥーノ沖で敵駆逐艦を雷撃して撃沈(ただし敵側の記録に該当艦無し)。
- 2月20日午前1時57分、イタリアのガエータ南西でシングル作戦を支援中の戦車揚陸艇LST-348(1625トン)を左舷側から雷撃。昨日装填したばかりのFaTが使用された。この時、LST-348の砲座には誰もついておらず、加えて限られた見張りしかいない油断し切った状態だった。命中した1本の魚雷が隔壁を破壊し、エレベータハッチ後方の甲板を引き裂いた。すかさずダメージコントロール班が動き、残った隔壁を降ろす。艦橋ではUボートらしき物体が視認され、3インチ砲を旋回させて反撃を試みる。午前2時21分に1発を撃ちかけたが、それと同時に2本目の魚雷が直撃。爆発で前部ハッチが破損。更に積み荷の重油が船体にぶちまけられ、引火。激しい火災が発生する。甲板にいた乗組員は大小の火傷を負い、中には海に飛び込む者もいた。やがて船体の放棄命令が出され、残っていた3つのイカダに乗って退避していった。総員退去が済んだ後、LST-348は真っ二つに裂けて前部が沈没。残っていた後部も午前6時30分に沈没した。敵にとって戦車揚陸艇は希少で、見た目以上のダメージを与える事に成功。のちに艇長のスティーブンソン・ジェニングス中尉は油断していたとして叱責を受けている。U-230も2隻の戦車揚陸艇を仕留めて生還。戦果を挙げたU-410は悠々と2月28日にトゥーロンへと戻った。
- 第29潜水群の新たな司令官にヴェルナー・ハルトマン(元U-37艦長)が着任。12万300トンを撃沈した殊勲のエースであり、彼の着任を祝って3日間の祝賀会が行われた。停泊中のUボートも着飾って新司令官を祝った。
- 1944年3月6日、出撃拠点のトゥーロンが爆撃を受ける。この空襲では駆逐艦用の港とラセンヌが爆撃されたため、被害を受けなかった。しかし3月11日の空襲ではUボートの修理ドックと市街地が狙われ、街は大規模火災に見舞われた。ミシシードックに入渠していたU-410のもとにも2発の爆弾が落下。右舷の上部甲板と制御バンカーを貫通して艦内で炸裂、火災が発生する。火勢は強く、艦首から艦長室までが炎に覆われた。消火は不可能であり、やむなくドック内に注水して水没させるという強引な方法で鎮火した。調査の結果、運用不能と判断されて3月22日に廃棄。上陸中だったため乗組員53名は全員無事であった。-3月25日にU-371がトゥーロンに帰投。艦長が騎士鉄十字章授与のため艦を離れる事になり、4月5日にU-410の元乗組員が転属した。Uボートにしては珍しく、誰一人として死傷者を出さなかった幸運な艦だった。U-410の骸は放置され、8月に侵攻してきた自由フランスが捕獲している。1946年に解体された。撃沈スコアは10隻撃沈(2隻の軍艦を含む)で5万7861トン、1隻撃破(7134トン)。戦闘航海は233日に及んだ。これまでの功績を称え、フェンスキー艦長には騎士十字章が授与されている。U-410が挙げたペーネロペー撃沈は、空母アークロイヤル(U-81)、イーグル(U-73)、戦艦バラム(U-331)、巡洋艦ガラデア(U-557)撃沈と並ぶ地中海での成功に数えられている。
- U-371に転属したU-410元乗員には過酷な未来が待ち受けていた。1944年5月3日に敵軍の対潜戦術「沼」に引っかかり、5隻から滅多打ちにされる。潜航不能になる損傷を受けて浮上するが、そこへ敵の砲撃を受けて満身創痍となる。音響魚雷によって敵駆逐艦ゼネラルを損傷させて一矢報いたものの、圧倒的劣勢を覆せず艦の放棄が決定。フェンスキー艦長、機関長、技術士官、下士官の4名が自沈処理を行い、翌4日午前4時に沈んでいった。あまりにも沈没が早かったため艦長以外は脱出できずに溺死した。フェンスキー艦長は敵国の捕虜になり、北アフリカ沿岸で尋問を受ける。続いて本格的な尋問のためアメリカへと移送された。U-371の行動記録は、前艦長が転属した時にドイツ本国へ持ち帰られており、フェンスキー艦長も2回しかU-371で哨戒していなかった事から尋問で得られた情報の大半はU-410時代のものだった。この記録は現在でもネット上で閲覧可能である。
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