艦種別リスト > 三日月
基本情報 †
プロフィール |
| 名前 | 三日月 IJN Mikazuki |
レアリティ | N |
艦種 | 駆逐 |
陣営 | 重桜 |
CV | MAKO |
イラスト | 月見 |
耐久 | D | 火力 | D |
雷装 | A | 回避 | A |
対空 | D | 航空 | E |
速力 | 45 | 運 | 40 |
装甲 | 軽装甲 |
SD | |
自己紹介 |
三日月は三日月だよ。おねえちゃん、いもうと、いっぱいいるの。みんななかよしなの。 「ごえいにんむ」と……「ゆそうにんむ」がとくいなの!あと、たいやきがすきなの!しきかんも、いるの? |
入手方法 |
ドロップ | 10-1、10-2、10-3、10-4 |
ステータス |
LV | 好感度 | 耐久 | 火力 | 雷装 | 航空 | 対空 | 対潜 | 装填 | 回避 | 命中 | 消費 |
125 | 200 | 1610 | 63 | 457 | 0 | 149 | 196 | 210 | 264 | 211 | 7 |
100 | 1523 | 60 | 433 | 0 | 141 | 185 | 199 | 250 | 200 |
120 | 200 | 1571 | 62 | 452 | 0 | 146 | 193 | 208 | 257 | 206 |
100 | 1487 | 59 | 427 | 0 | 138 | 182 | 197 | 243 | 195 |
100 | 100 | 1342 | 56 | 406 | 0 | 126 | 171 | 186 | 215 | 173 |
1 | 50 | 240 | 11 | 82 | 0 | 26 | 45 | 72 | 72 | 65 | 1 |
艦船技術 |
艦級 | T3 睦月型 |
解放条件 | 効果 | 技術Pt |
入手 | 【駆逐】耐久+1 | +2Pt | +9Pt |
突破MAX | - | +4Pt |
Lv.120 | 【駆逐】耐久+1 | +3Pt |
スキル名 | 効果 |
| 快速装填 | 20秒毎30.0%(最大レベルで60.0%)で発動。10秒間自身の装填が20.0%(最大レベルで40.0%)アップ |
| 全弾発射-睦月型I/II | 自身の主砲で15回(10回)攻撃する度に、全弾発射-睦月型I(II)を行う |
上限突破 |
初段 | 全弾発射スキル習得/魚雷補正+5% |
二段 | 魚雷装填数+1/開始時魚雷+1/魚雷補正+10% |
三段 | 全弾発射弾幕強化/武器補正+5%/魚雷兵装の散布角縮小(集中化) |
全弾発射スキル | 特殊弾幕スキル |
| - |
大陸wikiのページ:https://wiki.biligame.com/blhx/
着せ替え †
+
タイヤキョンシー |
| |
ショップにてダイヤ780で購入可 (期間限定:2019年10月23日メンテ後 から 2019年11月6日 23:59まで) |
ボイス †
+
入手時 | あーーうん?うん?しゅ…き…かん?わたしは三日月よ。たいやき、いる?はんぶんあげるよ? |
ログイン | しきかん?おーかーえーりーあむ!おいしい! |
詳細確認 | しきかん、たいやき、いっぱいあるから、だいじょうぶ |
メイン1 | おなかいっぱい…ねむい……しきかん、だっこしてー |
メイン2 | 三日月は、しっぽにもあんこがはいっているたいやきがすき |
メイン3 | たいやきはさかな……うみ!うん……ちきゅう!うちゅう!あむーーおいしい! |
タッチ | しきかん、これいる?あげるよ |
タッチ2 | あ、たいやき、おちた |
任務 | しきかん、にんむ! |
任務完了 | しきかん、ボーナスに、たいやき、あるの? |
メール | しきかん、このつつみはなに?たいやきをつつんでもいい? |
母港帰還 | あーーしきかん、これいる?あげるよ |
委託完了 | しきかん、三日月はいたくにでたみんなにあいにいくよ!たいやきかってくれるってやくそくした! |
強化成功 | たいやき……たべすぎた…おなかいっぱい… |
戦闘開始 | てきだ……たべれる? |
勝利 | そろそろおやつのじかんなの? |
失敗 | おなかへった…… |
スキル | たいやき、あげないもん! |
▼好感度系 |
失望 | あ〜〜むぐ(三日月はあなたに気づいていないようだ) |
知り合い | しきかん、たいやき、いっしょにたべる? |
友好 | ふく、めんどう…ふく、きるのきらい……三日月はたいやきあればいいの…… |
好き | ふくをちゃんときてって…しきかんはママみたいでうるさい……でも三日月、たいやきとおなじぐらい、しきかんがすき……じゃあ、しきかん、三日月にふくをきせてよ |
ラブ | 「ふくをきさせるのはいちばんしたしいひとじゃないとダメ」?しきかんはダメ?三日月、しきかんが大好きだよ?しきかんは三日月、すきじゃないの? |
ケッコン | ケッコン……?これでしきかんは三日月にふくをきせるの?よくわかんない……やっぱりじぶんできてって?しきかん、変だよ…三日月はしきかんならダイジョウブっていったのに… |
ゲームにおいて †
第十章限定ドロップ艦として、水無月とともに2018年1月19日に実装された重桜ノーマル駆逐。最後に実装されたノーマル艦になる (2018年冬時点)。
性能等は同型艦のノーマル艦 (睦月、如月、卯月、水無月) と、改造の有無を除いてまったくの同一。性能、お勧め装備、編成等は別記事を参照 (特に如月が詳しい)。
性能 †
姉妹艦の如月と改造を除き同じ性能。そのためお勧め装備なども如月と同じ。
キャラクター †
- 好きなものはたい焼きで、戦闘でも持参している。尻尾にもあんこが入っているぐらいの甘めの方がお好みの様子。
元ネタ †
三日月(みかづき)は日本海軍の駆逐艦。一等駆逐艦睦月型(卯月型)の10番艦である。艦名は陰暦3日の月のこと。艦名は初代神風型駆逐艦の「三日月」に続いて2代目。
大正12年度計画艦。1925年8月21日に佐世保海軍工廠で起工し、1927年5月7日に「第三十二号駆逐艦」として竣工。一等駆逐艦に類別され、佐世保鎮守府に籍を置くと同時に第23駆逐隊に編入された。1928年8月1日、「三日月」と改名。
1935年9月26日、北海道南東沖で演習中、荒天によって艦橋が破壊される事故に見舞われる。ただちに入渠し、修理を受けた。
1937年7月7日、日中戦争が勃発。この危急に12月15日、支那方面艦隊に編入されて第5水雷戦隊の一員となる。そして中支、南支方面に進出する。作戦終了後、佐世保に帰投し予備艦となる。
1940年1月8日、大阪鉄工場因島工場で特定箇所の修理を受ける。
1941年12月8日、大東亜戦争が勃発。峯風型駆逐艦「夕風」とのコンビで第一艦隊第三航空戦隊所属し「鳳翔」「瑞鳳」の護衛を担当した。そして瑞鳳等とともに柱島を出撃し、母島南方まで進出。11日に機動部隊の無事を確認したため柱島へ引き返した。その後は内地にて待機。
1942年6月には第二艦隊第四水雷戦隊第九駆逐隊の一員として、ミッドウェー海戦に睦月型で唯一参加。しかし結果は知っての通り惨敗。14日に柱島へと帰投する。佐世保での入渠整備後は第1海上護衛隊に編入され、門司-台湾間の船団護衛任務に従事する。
1943年1月9日、佐世保で修理を受ける。29日、門司出港の輸送船団を護衛して台湾の高雄に寄港。現地で陸軍輸送船団を護衛した。帰り道も船団を護衛し、3月25日に門司へ戻った。翌日、佐世保工廠で兵装の半分と第4缶を撤去し、代わりに機銃を増設。輸送艦の役目も果たせるように改造された。同時に煙突を短くする改良も施された。31日、姉妹艦の卯月、望月が所属する第30駆逐隊に転入。激戦区の南方方面へ送られる事となった。
6月11日、佐世保を出港。ラバウル寄港後、ショートランドに進出し、いわゆる鼠輸送任務に参加。7月5日のクラ湾夜戦、7月12日のコロンバンガラ島沖海戦に参戦した。クラ湾夜戦では姉の「長月」を失い、コロンバンガラ島沖海戦では「神通」の犠牲のもと大勝利を収め、兵員1200名と物資35トンの輸送にも成功している。15日、ショートランド停泊中に米軍機の空襲を受け、至近弾により損傷。
1943年7月27日、僚艦の有明とともにショートランドを出撃。兵員500名と物資50トンをツルブに輸送しようとしたが、グロースター岬沖にてサンゴ礁の存在に気付かず、26ノットの高速で有明ともども突っ込んで座礁してしまう。この時、三日月はスクリューが全損し、身動きが取れなくなる。有明はどうにか脱出したものの、三日月は航行不能で離岸もままならなかった。そこで物資を有明に託し、任務を続行してもらう事にした。翌日、ツルブへの輸送作戦を終わらせた有明が戻り、曳航しようとしたが運悪くアメリカ陸軍のB-25が襲来。爆撃を受けて有明は沈没。三日月も船体が激しく傷つき、放棄が決定。乗員は秋月に救助された。
10月15日、除籍。
+
- 大日本帝國海軍が建造した睦月型駆逐艦10番艦。艦名の三日月は旧暦3日の月から取られている。1925年8月21日、佐世保工廠にて起工。
1926年7月12日に進水し、1927年5月7日に竣工した。当時は第32号駆逐艦という艦名で呼称。竣工後、佐世保鎮守府第23駆逐隊に編入された。
1928年8月1日、睦月型駆逐艦三日月に改名。
- 1928年8月19日午前7時35分、主計兵2名と艇員3名、川口中尉が内火艇に乗って三日月から離れた。食糧品を受け取りに行くのである。天候は晴れ、
微風が吹いていたが海上は平穏そのものだった。無事入港したところまでは良かったが、突然左側から10メートルもの大波に襲われ、浸水と同時に
機械停止。艇員たちは排水に務めたが、第二第三の波浪が襲い掛かり、右舷に傾いて沈没してしまった。艇長と他1名は水先人の小船に救助されたが、
残りは行方不明となる。さっそく捜索が行われ、母艦の三日月も午前10時45分に報告を受け、機関を始動。司令部への取り次ぎも行われた。比叡と
金剛からランチを借用し、石巻方面の捜索を依頼。懸命な捜索が行われたが発見できず、翌20日午前8時に打ち切られた。8月21日13時、水死体が
発見され、艦に収容された。
- 1930年10月7日午前9時18分、夕月とともに補給艦襟裳に横付け。燃料補給を受ける。午前11時58分、完了し横付けを離す。10月12日午前10時1分、
再び襟裳から送油を受ける。午前10時51分、送油完了。
- 1932年7月19日午前3時3分、舷機減速歯車装置修理のため横須賀に回航。12ノットで航行していた。当時は霧が出ており、霧中信号を出していた。
すると左約40度、距離500mに線灯を確認。艦長自ら操舵して回避しようとしたものの、福徳丸側も回避しようとして不運にも衝突コースに乗った。
ただちに取り舵一杯にし、機械を停止したが間に合わなかった。福徳丸の船首が三日月の左舷に接触し、亀裂と歪みが生じた。
- 1933年8月12日、ウルシー泊地にて運送船鳴戸から56トンの送油を受ける。
- 1934年7月10日、運送船鳴戸より戦闘補給を受ける。141トンの送油がなされた。8月3日、同じく鳴戸より125トンの送油を受ける。
- 1936年8月12日正午、三日月は第三水雷戦隊二番艦として佐伯出港。豊後水道で戦隊各種訓練に参加。22時55分、名取を敵に見立てた襲撃訓練を終えて
照射訓練を開始。その途中の23時11分、沖島灯台沖で三番艦夕月の右舷側に突っ込んでしまう。両艦は後進全速と急速停止の措置を行ったが、間に合わず
接触事故を起こす。三日月の艦長や航海長が顛末書を書いている他、夕月や一番艦の菊月からも証言を聞いている。9月15日、館山にて運送船鳴戸より
202トンの重油供給を受ける。10月6日、宿毛湾にて257トンの給油を受ける。
- 1937年8月13日、第二次上海事変が勃発。ドイツ製最新鋭武器で身を固めた中国・国民党軍3万が国際法を破って、4000名の日本軍守備隊に襲い掛かった。
守備隊と在留邦人を救うため陸軍は増援を送り、海軍がそれを援護した。上海へ向かう第三師団の一部が三日月と望月に移乗し、8月22日13時45分に
泗礁山泊地を出発。18時50分に上海へ到着し、雲陽丸へ移乗させた。
- 8月23日午前0時30分、近藤上陸援護部隊指揮官は発進を下令。三日月が所属する第23駆逐隊、第21水雷戦隊、雲陽丸、富陽丸、信陽丸が旗艦北上に
率いられて黄浦江西付近から上流へ遡行を始めた。午前2時15分、先頭艦の菊月が上陸地点付近に達し、砲撃開始。後続艦の三日月と夕月もこれに
倣った。輸送船3隻も機関銃を掃射して陸上の敵を排除。午前3時に上陸準備が整い、敵前上陸が行われた。約3時間で担当区域の支那兵を駆逐し、上々の
滑り出しを見せた。この戦闘で29名が戦死、重傷者35名を出した。地上には遺棄された支那兵の死体が約300体あった。続けて上陸地点の側面に対し
援護射撃を加えた。
- 12月1日、第23駆逐隊は長良を旗艦として第5水雷戦隊を編制。支那方面艦隊第5艦隊の指揮下に入った。
- 1939年2月3日、海南島攻略作戦のため萬山泊地に回航。2月8日18時、上陸部隊を乗せた輸送船団を護衛して出発。翌9日22時に海南島に到着、陸軍部隊の
上陸を見守った。若干の抵抗はあったものの10日の午前中に目的の海口占領に成功。海南島は無事攻略され、東南アジアへの重要な足がかりとして機能した。
- 1941年8月11日、駆逐艦夕月とともに第1艦隊第3航空戦隊に編入。
- 1941年12月8日、大東亜戦争開戦を柱島で迎えた。真珠湾攻撃に向かった機動部隊の帰投を援護するため、山本五十六大将率いる
主力艦隊とともに午前8時30分に出港。瑞鳳の護衛に付いた。
- 1942年4月1日、第3航空戦隊の解隊により第1艦隊所属となる。5月8日、ミッドウェー作戦への参加が決定。同月20日、近藤中将率いる
第二艦隊に編入され、攻略部隊に部署。柱島へ回航され、訓練に従事した。しかし訓練期間は極めて短く、部隊訓練は不十分のままだった。
- 5月29日午前5時、瀬戸内海西部を出港。瑞鳳の護衛を担当した。予定航路を辿りながら作戦海域を目指し、航行中に戦闘訓練と2回の補給を
行った。6月4日、前方を行く輸送船団が敵機に発見される。
- 6月5日、ミッドウェー海戦に参加。後方の主力艦隊に所属していたため、会敵する事は無かった。しかし先鋒を務めた南雲機動部隊の
空母4隻が大破炎上し、状況が一変。余裕が出来た敵軍は北方方面から攻めて来るだろうと近藤中将は判断し、翌6日20時20分に攻略部隊から
戦力を抽出。燃料補給が終わった9日午後より北上を開始。第二機動部隊へ編入された。
- 6月20日、南西方面艦隊第1海上護衛隊第二番隊に編入。北京丸とタッグを汲んだ。6月26日、門司港外の六連島を出発し、馬公行きの第129船団を護衛。
6月及び7月中に敵潜水艦と11回遭遇し、1隻が撃沈。2隻の輸送船が被害を受けた。8月には護衛隊全体で65船団(のべ312隻)を護衛し、
被害ゼロの快挙だった。9月は60船団(のべ383隻)を護送したが、米潜水艦の襲撃が1回あり、1隻が沈められている。10月は66船団(270隻)を護衛し、
3隻を喪失。11月は68船団(270隻)を護衛し、1隻損傷と1隻沈没の被害が出た。
12月は75船団(240隻)を護送し、米潜水艦の襲撃が1回あったものの喪失・損傷ともにゼロであった。
- 1943年1月9日、佐世保工廠第1船渠に入渠して修理。1月27日、佐世保を出港し翌28日に門司港へ回航。1月29日、第123船団を護衛して出港。
2月2日に高雄へ入港した。そこで呉竹から護衛を引き継ぐ形で陸軍輸送船を護衛。3月25日、門司に寄港。翌26日に佐世保工廠へ回航され、
第4缶の撤去や第2煙突の縮小といった改造工事を受ける。3月31日、第8艦隊第3水雷戦隊へ転属となり、ソロモン方面に配備された。
- 6月11日、佐世保を出港。同月28日、水無月や長月とともにラバウルを出港。ショートランド経由でコロンバンガラ島に兵員を輸送した。
ところが6月30日、敵の大軍がレンドヴァ島に上陸。群れる敵軍への砲撃を企図したが、天候悪化により中止。7月2日、夕張に率いられ、
レンドヴァ島突入部隊の陽動としてショートランド南方を遊弋。7月4日、増援部隊を乗せた輸送本隊がレンドヴァ島へ突入しようとしたが、
待ち伏せていた敵艦隊との交戦を強いられる。敵駆逐艦1隻を撃沈したものの輸送そのものは失敗してしまった。さらに敵はライス湾にも上陸。
敵の反攻作戦に備え、コロンバンガラ島の増強が急務となる。
- 南西方面艦隊司令の草鹿中将は、コロンバンガラ島へ全力で増援を輸送するよう第3水雷戦隊司令の秋山輝男少将に下令。秋山少将は駆逐艦10隻を
抽出し、輸送任務に充てた。支援隊に新月、谷風、涼風、第一次輸送隊に望月、三日月、浜風、第二次輸送隊に天霧、初雪、長月、皐月を
編入した。旗艦には新月が指定され、秋山少将が乗艦した。輸送隊には陸兵2400名と物件180トンが分乗した。
- 7月5日17時30分、ショートランドを出撃。チョイセル島寄り進撃してから南下し、クラ湾に突入。22時、コロンバンガラ島北方で第一次輸送隊が分離。
揚陸地点に向けて別行動を取った。このためクラ湾海戦には不参加だったが、増援の揚陸には成功した。7月9日、松風、皐月、夕凪とともに
コロンバンガラ島ヴィラに兵員1200名と物資85トンを揚陸。
- 7月12日、コロンバンガラ島輸送の警戒のため神通に率いられてラバウルを出撃。翌13日、コロンバンガラ島沖海戦に参加。
7月17日、ショートランドを空襲した米軍機の爆撃を受け、至近弾により損傷。7月19日、コロンバンガラ島輸送に従事。
- 1943年7月27日23時5分、有明とともにグロスター岬沖で座礁。翌28日、B-25爆撃機の攻撃を受けて大破し、航海長以下8名が死亡。
18時、山崎艦長ら乗員170名は救助に来た駆逐艦秋風に収容され、船体は放棄された。10月15日、除籍。
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