艦種別リスト > 水無月
基本情報 †

プロフィール |
 | 名前 | 水無月 IJN Minazuki |
レアリティ | N |
艦種 | 駆逐 |
陣営 | 重桜 |
CV | MAKO |
イラスト | 月見 |
耐久 | D | 火力 | D |
雷装 | A | 回避 | A |
対空 | D | 航空 | E |
速力 | 45 | 運 | 45 |
装甲 | 軽装甲 |
SD |  |
自己紹介 |
睦月型の水無月だよ!みんなといっしょに「ゆそうにんむ」とか、「ごえいにんむ」とかやったの! イタズラがすき!あ、でもにんむはちゃんとするよ? |
入手方法 |
ドロップ | 10-1、10-2、10-3、10-4、14-1、14-2、14-3、14-4 |
ステータス |
LV | 好感度 | 耐久 | 火力 | 雷装 | 航空 | 対空 | 対潜 | 装填 | 回避 | 命中 | 消費 |
125 | 200 | 1610 | 63 | 457 | 0 | 149 | 181 | 210 | 264 | 211 | 7 |
100 | 1523 | 60 | 433 | 0 | 141 | 171 | 199 | 250 | 200 |
120 | 200 | 1571 | 62 | 452 | 0 | 146 | 178 | 208 | 257 | 206 |
100 | 1487 | 59 | 427 | 0 | 138 | 168 | 197 | 243 | 195 |
100 | 100 | 1342 | 56 | 406 | 0 | 126 | 158 | 186 | 215 | 173 |
1 | 50 | 240 | 11 | 82 | 0 | 26 | 41 | 72 | 72 | 65 | 1 |
艦船技術 |
艦級 | T3 睦月型 |
解放条件 | 効果 | 技術Pt |
入手 | 【駆逐】耐久+1 | +2Pt | +9Pt |
突破MAX | - | +4Pt |
Lv.120 | 【駆逐】耐久+1 | +3Pt |
スキル名 | 効果 |
 | 快速装填 | 20秒毎30.0%(最大レベルで60.0%)で発動。10秒間自身の装填が20.0%(最大レベルで40.0%)アップ |
 | 全弾発射-睦月型I/II | 自身の主砲で15回(10回)攻撃する度に、全弾発射-睦月型I(II)を行う |
上限突破 |
初段 | 全弾発射スキル習得/魚雷補正+5% |
二段 | 魚雷装填数+1/開始時魚雷+1/魚雷補正+10% |
三段 | 全弾発射弾幕強化/武器補正+5%/魚雷兵装の散布角縮小(集中化) |
全弾発射スキル | 特殊弾幕スキル |
 | - |
大陸版wikiのページ:https://wiki.biligame.com/blhx/
ボイス †

入手時 | しゅぎがっ……にゃ?したかんじゃった〜わたしは水無月!よろしく! |
ログイン | しきかんみなかったんだー?さっきほかのこにイタズラしてたの! |
詳細確認 | しきかん、まだイタズラしてないよ? |
メイン1 | しきかん〜にゃ♪わたしをさわさわすると「きんうん」もよくなるよ〜わたし、ねこじゃないけど〜 |
メイン2 | しきか〜ん、コーラにぃ「くろす」をいれたの!きづいた? |
メイン3 | みんなどこいったんだろ……あいたい…イタズラしたい! |
タッチ | イタズラがばれた?えへへ〜 |
タッチ2 | しきかん、ゆびつっこんだのは〜ここにかくされた「てっぱん」だよ〜♪えへへ、どんなかんじ? |
任務 | しきかん、どれがあたらしいにんむ……あててみて? |
任務完了 | しきかん、たからくじの「いっとうしょう」をあたったって!ーーなーんちゃって〜 |
メール | しきかん、ラブレター! |
母港帰還 | しきかん、おかしたべちゃった〜いまのうそ……あわわあたまぐりぐりしないってばー! |
委託完了 | しきかんたいへん!ぼーとしてみんなをむかえにいかなかったら、こうかんどが「しつぼう」になっちゃったーーなんちゃって〜 |
強化成功 | うぅ……ひらめいた! |
戦闘開始 | うんうん、てきにどうイタズラしちゃおうかな♪ |
勝利 | しきかん、ばつゲーム!ばつゲーム! |
失敗 | うぅ……いたいよぉ…… |
スキル | みて!「ねんりょう」がとんでるよ! |
▼好感度系 |
失望 | 水無月、にんむをちゃんとやるよ!だいじょうぶ! |
知り合い | こそこそこそこそ……わわ!ばれたぁ! |
友好 | どうがたかんのみんなはばかでイタズラしやすいよーこんどしきかんにみせてあげる♪でもほかのひとがいじめたらわたしだっておこるよ |
好き | わたし、ばかじゃないから、イタズラするならおこらないひとにするもん!どうがたかんのみんなとか、あとしきかんとか〜♪ |
ラブ | しきかん、わたしが大きくなったらね、きっと……もっともっとしきかんにイタズラしちゃうの!えへへ〜ほかのことかんがえちゃった?ねえねえ♪ |
ケッコン | しきかんはしってる?イタズラはおこらないひとと、すきなひとにするものなの!それと…イタズラすると、はずかしいはなしをどんどんできちゃうの!えへへ、わたし、いまどんなはなししてるのかなー? |
ゲームにおいて †

第十章限定ドロップ艦として、三日月とともに2018年1月19日に実装された重桜ノーマル駆逐。最後に実装されたノーマル艦になる (2018年冬時点)。
10章全域に渡ってドロップし、道中でもドロップする。ただ10章自体かなり深奥の海域になるため、そこへ辿り着くまでが大変。
Nレアのくせに妙にドロップ率が低く、場合によっては長い周回を強いられる。
性能等は同型艦のノーマル艦 (睦月、如月、卯月、三日月) と、改造の有無を除いてまったくの同一。性能、お勧め装備、編成等は別記事を参照 (特に如月が詳しい)。
キャラクター †

- いたずらが好きな幼女。その凄まじさたるや、指揮官を振り回す。頭から生えているのは、おそらくウサ耳。
武蔵は幕の裏に座っている少女―とその手に持っている宝器に振り返る。
- 『須臾望月抄』にて、『大和』として武蔵の報告を受け次なる指示を出す衝撃的な姿を見せた。
雲仙と信濃を案ずる策と言葉を発したのち、「…んにゃ…武蔵さま?もうおわったの…?」と我に返る。
この時点では武蔵が近くの適当な駆逐艦を霊媒にしたというようにも見えたが…?
- 『星凪の空』にて陸奥と共に所在が知られていないはずの長門の元を訪れる。
陸奥を下がらせた長門に再び『大和』としての言葉をかけ、『天の扉』を開くと報告したのち、
地上の危機を予言し瑞鶴と四万十を呼び守りを固めるよう警告する。
- 長門がワダツミの元で眠りに就いてから現在に至るまで『大和』の声として動いていたわけだが、大和型と特に縁のない水無月が選ばれた理由は不明。
また素の状態で長門がいる三笠宅に近づいており、大和に行動を誘導されているようだ。
大和の所在と真意は―?
 |  | おっきいまんじゅうわたあめ!うみゃい! |
元ネタ †

一等駆逐艦「水無月」は、睦月型駆逐艦の6番艦。当初の艦名は第二十八号駆逐艦。 艦名は旧暦の6月に由来する。
1941年4月10日には暫定的に第三艦隊第五水雷戦隊の旗艦を務めた事もあった。同年12月8日に大東亜戦争が勃発し、水無月は南方作戦に参加。
フィリピンの戦いやジャワ島攻略作戦、バタビア沖海戦、クリスマス島攻略などに加わり緒戦の快進撃を支えた。泊地に殴り込みをかけてきた
米潜水艦を追い払ったりもしている。南方作戦が概ね終了した後はラバウルに移動し、南方戦線で船団護衛や兵員及び物資の輸送任務などの
活動を行っていた。その途中、航空機による攻撃で三度損傷している。
そして、1944年5月。既に僚艦の〈文月〉、〈長月〉が失われ、替わりに神風型の〈夕凪〉を加えて3隻体制となっていた22駆は、
サイパンに向かう輸送船団の護衛を勤めた。そしてその後、〈水無月〉はタンカーの護衛を命じられ、秋月型駆逐艦〈若月〉と共に6月6日、
タウイタウイ泊地を出航、ボルネオに向かった。出航したその日の深夜23時45分。〈水無月〉は「浮上している敵潜水艦を発見。攻撃に移る」との
通信を最期に消息を絶った。
1944年8月10日除籍。潜水艦に沈められた唯一の睦月型であった。その後第22駆逐隊も解隊となり、〈皐月〉は第30駆逐隊へと転籍することになる。
- 大日本帝國海軍が保有した睦月型駆逐艦6番艦。水無月とは、旧暦の6月を意味する。1925年3月24日、浦賀船渠にて起工。当時は
「第19号級駆逐艦 第28号駆逐艦」という無味乾燥な名前が与えられていた。1926年5月25日に進水し、1927年3月22日に竣工。佐世保鎮守府に
編入され、第22駆逐隊の一員となった。1928年8月1日、水無月に改名する。12月10日、第22駆逐隊は横須賀鎮守府に転籍し、予備艦となる。
- 1932年に入ると、日支関係が険悪化。不穏な空気が流れつつあった。1月21日夜、佐世保軍港に停泊していた夕張や各睦月型に
24時間待機命令が下された。戦時もかくやな物々しい緊張の中、各艦に物資が積め込まれていった。同月28日、ついに第一次上海事変が発生。
蒋介石総統の命令を無視した一部の国民党軍が攻撃を仕掛けてきた。邦人保護のため帝國海軍は艦艇を派遣し、水無月も上海に向かった。
夕張、睦月、浦風、文月、長月等とともに上海の警備に従事した。
- 2月4日、呉淞(ウースン)砲台を占領すべく陸戦隊が派遣された。海上からは支援の第3駆逐隊が接近したが砲台から攻撃を受ける。
これを受けて第3戦隊司令官は第26駆逐隊と水無月を応援として呼び寄せ、午前11時20分より交戦状態に入った。鳳翔から航空隊が駆けつけ、
空と海から激しく攻め立てた。結果、要塞から国民党軍が撤退。外円部に陣を張って抵抗したが、退却。呉淞砲台は日本側の手中に収まった。
- 9月30日午前7時、有明椀から出港。午前8時に合戦準備完了となり、砲術長監督の下で左舷発煙缶の試験を実施する事になった。噴射は良好で、
襲撃教練の際に使用する事に。午前9時25分、「発煙始め」の号令が下り、26ノットに増速して第3戦隊と協同で襲撃訓練に従事。続いて
「発煙止め」が下り、制御しようとしたところ爆発事故が発生。山本二等水兵は煙薬の噴射を浴びて後方に転倒した。60トンの発煙缶は吹っ飛び、
文月と水無月の間の海中に没して亡失。山田一等水兵は熱傷を受けつつも後部ハッチに逃げ込んだ。3名の要員が顔面や四肢に熱傷を負った。
事故後、原因の究明と報告が行われた。12月10日、護国御守りが配布された。
- 1933年8月9日、ウルシー泊地にて運送船鳴戸から225トンの送油を受ける。8月12日にも72トンの重油を受け取った。
- 1934年9月、演習中に皐月が放った魚雷が運悪くスクリューに直撃し、損傷する事故が起きている。10月12日午後、海軍大演習第三期に
参加するため出港。22時19分、夕風と接触事故を起こした。人員に被害は無かったが、右舷の一部装甲が湾曲、通舷大破などの被害が生じた。
- 1935年3月2日午前8時53分、宿毛湾で運送船鳴戸の左舷から舫索を取って送油を受ける。午前10時22分、190トンの送油を完了。横付けを離した。
4月11日午前6時33分、相島にて鳴戸に接近し166トンの送油を受けた。7月14日午前1時8分、佐伯湾にて鳴戸から補給を受け、1821トンの
重油を受け取った。7月26日午前4時14分、父島で鳴戸から264トンの補給を受ける。
- 1936年6月15日、第2艦隊第2航空戦隊に編入。
- 1937年9月7日午前5時20分、泗礁山にて補給艦鶴見より補給を受ける。午前8時25分に横付けを離した。9月25日午前7時25分、再び鶴見から
補給を受ける。10月6日午前9時55分、馬公にて給糧船天洋丸から食糧品の補給を受ける。午前10時5分、完了。翌7日午前8時54分から
午前9時34分まで再び食糧品の補給を受けた。9月20日、支那事変勃発に伴って第2航空戦隊は支那方面艦隊に編入。12月1日、第2航空戦隊の
解隊により佐世保鎮守府部隊に転属。
- 1940年11月15日、第22駆逐隊は旗艦名取の下に第5水雷戦隊を再編。
- 1941年1月19日、タイ王国とヴィシーフランスの領土問題を仲裁するため三亜港に入港。インドシナ沖で示威行動を行うS作戦に参加し、
1月22日に出港。道中で足柄と水上機母艦瑞穂と合流し、1月25日にサンジャック沖に到着。翌26日、瑞穂、長月、文月とともに
コーグット島近海に進出し、掃海を行った。2日後、コーグット泊地を出発。サンジャック沖合いで待機していた旗艦足柄を迎えに行き、
一緒にサンジャック港へと入った。1月28日、名取艦上で停戦条約が締結され、領土問題は解決した。
- 4月10日、第5水雷戦隊は第3艦隊に編入。5月26日、戦隊司令原顕三郎少将が座乗し、一時的に旗艦となる。11月5日、第5水雷戦隊は
南方部隊比島部隊に編入。続いて第1急襲隊に部署した。11月26日、第22駆逐隊(皐月、水無月、長月、文月)は旗艦名取に率いられ寺島水道を
出発。多くの船舶が集結する前進拠点馬公へ寄港した。12月7日16時30分、馬公を船団とともに出港。警戒航行隊形を取って南下を始めた。
1941年
- 1941年12月8日、大東亜戦争が勃発。洋上で運命の開戦を迎えた。8日未明、東寄りに変針。しかしこの日の午後から大時化となり、艦の
動揺が激しくなる。激しい波風は予定に遅延を発生させ、艦の位置すら見失わせた。夕刻に入ってアミ島を確認したため、どうにか位置は把握できた。
原少将は遅れを取り戻すべく航路を変更。
- 翌9日、台湾との対岸にあるフィリピン北部の港町アパリに到着、攻略作戦を開始する。12月10日午前6時までに田中支隊の二個中隊が上陸。
敵の抵抗はなかった。午後12時30分より米軍のB-17爆撃機が飛来し、名取や水上艦艇に対して爆撃を仕掛けてきた。敵は高度5000m以上から
攻撃してくるため、対空砲火が届かず自由な爆撃を許してしまっていた。執拗な攻撃に対し、日本側は零式水上観測機6機をアパリ上空に
派遣して防御に充てた。一方で攻略作戦は順調に進んでいたため、12月13日17時にアパリを出港。長月とともに高雄を目指した。12月15日、
高雄に到着。
- 12月17日、高橋中将は第二兵力部署を発令。第5水雷戦隊は第1護衛隊に編入され、第14軍主力を載せた船団を護衛してリンガエン湾に
上陸させる任務が与えられた。人員3万4200名、戦車33輌、火砲70〜80門、輸送船73隻にも及ぶ大船団であった。これを直接指揮するのは
第5水雷戦隊司令の原少将である。護衛兵力も総計61隻と大規模なものだった。船団は三つに分けられ、それぞれ高雄、基隆、馬公を出港して
22日未明にリンガエン湾で合流する手はずとなっていた。水無月は高雄から出撃する船団の護衛を担当。
- 12月18日14時、24隻からなる船団を護衛して出港。17時、長月が潜望鏡を発見して対潜攻撃を行ったが効果不明。夜になると天候が悪化し、
海上には15m以上の北東風が吹き荒れ、波浪は高く、スコールまで降り出す程だった。翌19日午前3時、第2護衛隊と合流。第1護衛隊の後ろに付いた。
午前6時20分、針路を180度に変針。依然として天候は荒れていた。
- 12月21日午後になってようやく天候が回復。22時10分、原少将は船団に突入隊形を取るよう命じた。リンガエン湾はもうすぐそこである。
翌22日午前1時10分、第1輸送船団が投錨。続いて第2、第3輸送船団も投錨して揚陸準備を開始。午前5時17分に右翼隊がアゴー西方海岸に、
午前5時30分に左翼隊がアリンガイ河口付近に上陸した。アメリカ軍の反撃は少なく、順調に推移して行った。
- 12月23日15時、リリバヤン灯台沖で皐月に向かって米潜パーミットが放った魚雷1本が飛んできた。幸い命中せず、皐月と協同で対潜攻撃を行った。
多量の油が浮いてきた事から撃沈確実と報じたが、実際は逃げられている。21時30分、米巡洋艦1隻、駆逐艦2隻、潜水艦2隻がマニラ湾北水道を
出撃したとの報告が入った。原少将はすぐに水無月らを集め、船団を襲撃するであろう敵艦隊の索敵を命じた。リンガエン湾西口から南下して
敵を求めたが、敵情を得なかったため翌24日午前11時30分に作戦中止となり、リンガエン湾へ寄港。
- 12月24日18時、原少将が座乗した名取を長月とともに護衛して出港。陸軍の輸送船団が12月31日に馬公から出港するため、作戦会議のため
戻る必要があったのだ。翌25日、第5水雷戦隊は南方部隊マレー部隊護衛隊第1護衛隊に編入。第25軍主力をシンゴラに輸送しマレー東岸に
上陸させるため、護衛兵力を増強する目的を含んでいた。12月26日、馬公入港。
- 12月31日午前8時、出撃に先立って第8駆逐隊が対潜掃討を実施。30分後、船団を護衛して出撃した。陸軍輸送船56隻と護衛艦艇21隻、
計77隻という大規模な船団だった。水無月は船団の右側に占位。当日の天気は曇り、風速10mの北風が吹いていた。
1942年
- 1942年1月1日、元旦を洋上で迎える。道中で東方支援隊や第8駆逐隊が護衛から離脱した。また12月3日15時30分、陸軍の輸送船明光丸に火災が発生し、
沈没する事故が起きている。船員や挺進隊500名は吹雪や荒潮、香椎、辰宮丸等の活躍よって全員救助されたが、兵器や物資は全損した。
- 1月4日午後、セシル・ド・メール島付近で特設運送船小西丸が敵潜水艦の襲撃を受けつつあるという報告が入り、16時17分に船団は針路180度に
変針して回避した。翌5日午前7時、給油船襟裳が合流。午前9時30分、小沢治三郎中将は旗艦鬼怒と主隊を率いてカムラン湾を出港。船団の
援護に向かった。船団は着々と進み、1月7日正午にはカモー岬南方50浬に達した。ここで船団は二手に分かれた。第15軍主力を乗せた11隻は
バンコクに向かうべく、船団から離れていった。1月8日21時、シンゴラ泊地に到着した。日付が変わった翌9日午前0時、第5戦隊は
蘭印部隊西方攻略部隊第3護衛隊に転属。昼頃まで泊地の警戒を行い、18時にカムラン湾を離れた。対潜掃討を行いつつ航行し、1月16日に馬公へと
入港。整備と補給に努めた。
- 1月21日に出港し、高雄へと回航される。次はH作戦に参加する事に。2月1日より4回に分けて出発する陸軍の船団をカムラン湾まで護衛するのである。
1月31日、長月とともに高雄港外の対潜掃討を実施。
- 2月1日正午、高雄を出港。第3護衛隊第3嚮導隊に部署され、水無月は長月とともに第6駆逐隊と行動。第4船隊(12隻)を護送した。
2月6日午前6時、カムラン湾到着。輸送された陸軍部隊は西部ジャワ攻略に投入された。2月27日、第22駆逐隊は西ジャワ進攻部隊に編入。3月10日、
第5水雷戦隊の解隊により第2南遣艦隊へ転属。3月12日、カムラン湾へ入港。同月18日、蘭印部隊の高橋中将はクリスマス島の攻略を下令。
3月31日の占領を目指して準備に入った。第22駆逐隊は主隊の第16戦隊との合流を命じられていた。島の占領は順調に進んでいたが、海上では
一大事が起きていた。
- 4月1日18時4分頃、潜んでいた米潜水艦シーウルフから雷撃を受け、那珂が大破・航行不能に陥る。高橋中将はバンタム湾に停泊中の
救難船静波丸と長月、水無月に救援を指示。しかし幸いな事に那珂が自力航行可能になったため、水無月と長月だけが合流した。
那珂をバンタム湾まで護送し、4月3日午後12時45分に到着した。
- 4月10日、第22駆逐隊は南西方面艦隊下に新編された第1海上護衛隊に転属。南西方面での船団護衛任務に従事する。このため主要な作戦や
激戦区に赴くことはなかった。5月11日、機雷敷設艦沖島を撃沈した敵潜水艦S42を夕月とともに攻撃。27日、馬公に帰投。7月2日、昭浦丸等からなる
船団を護衛してマニラを出港。6日に馬公到着。7月18日、佐世保に帰投して整備。
- 12月10日、第22駆逐隊は解隊。単独で第1護衛隊に転属する事に。
1943年
- 1943年1月25日、姉妹艦皐月等とともに第22駆逐隊を再編制。第8艦隊第3水雷戦隊に所属する。3月7日、スルミで座礁事故を起こす。文月の曳航により
何とか助かった。3月9日、ショートランドに寄港。文月とともに翌10日17時に出港し、3月11日午前0時15分にイザベル島レカタに物資を揚陸した。
同日午前6時30分にショートランドへ帰投。続いて文月とともにスルミへ第101設営隊物件を送り届けた。3月30日、ラバウルを出港して
フィンシュハーフェンに物資を揚陸。
- ツルブ行きの兵員700名と弾薬78トンを積載してラバウルを出発。4月8日に到着し揚陸。10日にもツルブ輸送を行った。4月14日、ガロベ島に
佐世保第8特別陸戦隊79名を揚陸。5月4日、第一次ツルブ輸送に参加するため、ラバウルを出港。夕張、長月、皐月とともに輸送任務に従事し、
翌5日未明に物資と第65旅団兵員を揚陸した。しかしこの時、舟艇不足で揚陸出来なかった物資が相当数あったため、以降の輸送任務では是正された。
5月7日、第二次ツルブ輸送に従事し、夕張と兵員輸送を行った。即日、ラバウルに帰投した。5月11日、長月、皐月とともに第四次ツルブ輸送を行い、
第65旅団長も進出を完了した。
- 5月23日夜、長月とともにスルミ輸送に従事。第101設営隊員150名、歩兵第228連隊130名、食糧、弾薬71トン、燃料30缶、13mm連装機銃を揚陸。
海軍220名と陸軍270名を収容して帰投。5月28日16時、第22駆逐隊はブインに物資を揚陸。帰路についたが、コロンバンガラ島方面へ航行中の20時、
皐月と長月が座礁し、ピンチに陥る。水無月は長月を曳航。翌29日午前4時、無事離礁に成功して事なきを得た。
- 7月11日16時、コロンバンガラ島輸送の目的でラバウルを出港。翌12日午前10時30分にブインへ到着した。18時21分、皐月、夕凪、松風とともに
ブインを出撃。護衛には第2水雷戦隊が付いた。22時35分、第2水雷戦隊は迫り来る連合軍艦隊を確認。南西への退避を命じられる。第2水雷戦隊と
敵艦隊は会敵し、砲撃戦を開始。コロンバンガラ島沖海戦の始まりである。旗艦神通が敵の注意を引き付けている間に、水無月ら輸送隊は
翌13日午前0時30分にコロンバンガラ島に到着。なんら妨害を受ける事無く、約1時間ほどで揚陸完了。見事、作戦を成功せしめた。7月13日早朝、
皐月とともに神通の捜索を行ったが、艦影はおろか生存者1名も見つからなかったという。まさに壮烈なる戦死であった。
- 感傷に浸る時間も無く、ニュージョージア島への輸送任務に挑む。夕凪と交代する形で輸送隊に編入された水無月は、主隊とともに7月18日22時に
ラバウルを出港。単縦陣を組んで警戒しつつ進むも、敵情を得なかった事で23時に反転。帰路につく。しかし敵機に触接され、各艦交戦。
翌19日午前0時43分、夕暮に魚雷が直撃し、船体を断裂して沈没した。水無月、松風も被弾するが、小破で済んでいる。対空砲火により6機を
撃墜した(うち1機撃墜確実)。17時30分、ラバウル着。
- 7月17日、ショートランド泊地にて水無月は初雪から燃料や物資の補給を受けていた。しかし早朝、連合軍の爆撃機約150機が襲来し、片端から
爆撃してきた。水無月は小破で済んだものの、横付けしていた初雪は至近弾多数と艦橋への直撃弾を受けて沈没。ラバウルで損傷箇所修理を行うべく、
ブインを出発。翌18日午前10時30分、ラバウルに到着。18時、松風とともにブインへ戻り、7月19日午前9時45分に入港した。
- コロンバンガラ島緊急輸送のため、14時30分に松風や三日月とともに出発。23時25分、ヘンダーソン飛行場から飛来した敵機の触接を受け、
翌20日午前2時30分に交戦。損傷した。18時15分、ラバウル到着。7月24日、ラバウル入港後に空襲に巻き込まれ、至近弾で小破。
- 7月30日23時1分、夕凪と水無月は白岩丸及び国川丸を護衛してラバウルを出港。トラックに向かった。8月1日13時30分、到着。翌2日15時、
トラックを出発しサイパンへ回航。8月4日午前5時45分に入港。5日午前5時、出港して内地に向かった。8月10日午前8時10分、呉入港。整備と修理に従事。
- 10月2日、コロンバンガラ島沖で敵駆逐艦と交戦し、損傷する。10月6日より第一次イボキ輸送に参加。13時、輸送艦を護衛してラバウルを出港。
22時10分にイボキへ到着し、物資を揚陸した。35分後、イボキ出発。翌7日午前7時15分にラバウルへ帰投。異状無し。10月8日に第二次イボキ輸送に参加、
13時に出港して輸送艦を護送した。21時50分、イボキ到着。20分後で完了し、抜錨。午前7時15分、ラバウル着。被弾無く、戦闘航海も可能だったが、
調査によって全力発揮不能と判断された。ともあれ各方面の緊急輸送を成功させ、作戦目的を達成した。
- 10月26日、今度は天霧とともにカビエン輸送に従事。午前10時、ラバウルを出港。18時にカビエンへ到着した。翌27日午前7時30分にカビエンを出発、
15時にラバウルへ帰投。11月1日、文月とともに第五次イボキ輸送に参加。
- 11月4日、夕張とともにラバウルを出港。空襲で損傷し、五十鈴に曳航されている特設運送船清澄丸の救援に向かった。合流後、清澄丸から
第17師団の兵員267名と輸送物件を受け取った。12月1日、文月や秋風とともにニューブリデン島に兵員を輸送。3日、長波を曳航してトラック島に
後退する夕張を護衛。12月8日にトラック島へ入港した。12月24日、ラバウルへ入港。しかしラバウルに爆撃機が襲来し、至近弾を受けて小破。
その後、文月とともにガロベ島へ兵員を輸送。
- 12月21日午前10時20分、皐月とともにラバウルを出港。イボキへの輸送任務に従事する。道中で敵機の触接を受けるも、概ね予定通りに成功させた。
翌22日午前5時50分、ラバウル到着。12月23日午前11時、人員100名と物資65トンを積載してラバウルを出港。松風とともにガロベ輸送に従事。
18時53分、敵機の電探を探知。煙幕を展開しながら蛇行を行う。3分後、敵機の触接を受ける。19時43分、対空射撃を開始。しかし1分後、敵機から
複数の投弾を受け、そのうちの1発が水無月に直撃。しかし幸いにして不発弾であった。機銃射撃を止め、北方に退避。追いすがる敵機は吊光弾を
投じてきたが、やがて去っていった。敵機を振り切ったとして21時20分に予定の航路へ復帰。22時2分、ガロベ付近に到着したが、空襲警報が
発令されていたため解除を見計らってから揚陸開始。予定より2時間半の遅れが生じたが、揚陸には成功。23時50分にガロベを離れ、翌24日午前4時7分に
ラバウルへ帰着。
- 12月29日16時30分、損傷が発見されたためガブブ輸送から急遽外された。代艦には皐月が選ばれた。
1944年
- 1944年1月4日、ラバウルに入港。特設運送船寿山丸を護衛してサイパンに入港する。トラック島に回航され、17日に入港。修理を受ける。翌18日、
第22駆逐隊は南東方面襲撃部隊2番隊に編入。
- 2月7日、修理完了。12日に出港し、第1123船団を護衛して2月17日にラバウルへ入港。翌18日、夕月とともにガブブへ兵員輸送に従事。2月25日、
パラオへ入港。3月10日、第3水雷戦隊は中部太平洋方面艦隊に編入。3月29日、船団護衛のため出港。4月5日にサイパンへ寄港した。メレヨンに
向かう船団を護衛したが、米潜水艦の襲撃により壊滅させられる。
- 5月2日、横須賀を出港。館山沖で第4517戦団と合流し、翌3日に出港。無事サイパンまで送り届けた。今度はヤップ島まで第3503船団を護衛したが、
5月16日に輸送船1隻が被雷沈没している。更に5月17日には米潜水艦タニイとサンドランスの襲撃を受け、もう1隻撃沈される。水無月は2隻に
対して爆雷を投じたが、逃げられている。一旦サイパン島へ引き返したが、そのサイパンに敵機動部隊が迫っている時を右方が入り、5月26日に出港。
パラオ方面へと向かった。
- 6月1日、特設給油船興川丸を駆逐艦若月とともに護衛して出港。小沢艦隊が進出しているタウイタウイ泊地へ向かった。
- 1944年6月6日、タウイタウイ沖で浮上中の敵潜水艦ハーダーを発見。水無月が分派して攻撃に向かったが、ハーダーは逃げるふりをして
後部魚雷発射管を開く。至近距離まで引き付けた後、魚雷を喰らって沈没。わずか5分で沈み、磯部艦長や藤井砲術長以下多数が戦死した。
全員死亡したとする資料もある。8月10日、除籍。潜水艦の攻撃で失われた唯一の睦月型となった。
- 1988年秋、佐世保海軍墓地に第22駆逐隊の慰霊碑が建立され、300柱以上の戦死者を祀っている。
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