戦闘機リスト > 烈風
基本情報 †

| 烈風 T3 |
 | 種別 | 戦闘機 |
| 特性 | 航空 |
| 所属陣営 | 重桜 |
| 最大強化 | +13 |
| 装備性能 |
| 基本攻速 | 12.37s/回 → 10.44s/回 |
| 迎撃標準攻速 | 12.37s/回 → 10.44s/回 |
| セイレーン作戦用補正 | 0% → 3% |
| 艦載機耐久 | 192 → 479 → 565 |
| 装備補正 | 航空+45 |
| 艦載機速度 | 60 |
| 艦載機最大回避 | 10 |
| 到達ダメージ係数 | 162 |
| 4 x 20mm九九式機関砲 |
| ダメージ | 35 → 85 → 100 |
| 基本攻速 | 1.12s/回 → 0.90s/回 |
| 機銃射程 | 36 |
| 機銃射角 | 80 |
| 2 x 500lb 爆弾 |
| ダメージ | 144 → 360 → 425 |
| 破壊範囲 | 19 |
| 投射範囲 | 36 * 36 |
| 対甲倍率 | 軽80 / 中90 / 重110 |
| 烈風 T2 |
 | 種別 | 戦闘機 |
| 特性 | 航空 |
| 所属陣営 | 重桜 |
| 最大強化 | +10 |
| 装備性能 |
| 基本攻速 | 12.62s/回 → 10.76s/回 |
| 迎撃標準攻速 | 12.62s/回 → 10.76s/回 |
| セイレーン作戦用補正 | 0% |
| 艦載機耐久 | 176 → 439 |
| 装備補正 | 航空+25 |
| 艦載機速度 | 60 |
| 艦載機最大回避 | 9.5 |
| 到達ダメージ係数 | 162 |
| 4 x 20mm九九式機関砲 |
| ダメージ | 32 → 77 |
| 基本攻速 | 1.18s/回 → 0.94s/回 |
| 機銃射程 | 36 |
| 機銃射角 | 80 |
| 2 x 500lb 爆弾 |
| ダメージ | 132 → 330 |
| 破壊範囲 | 19 |
| 投射範囲 | 36 * 36 |
| 対甲倍率 | 軽80 / 中90 / 重110 |
| 烈風 T1 |
 | 種別 | 戦闘機 |
| 特性 | 航空 |
| 所属陣営 | 重桜 |
| 最大強化 | +6 |
| 装備性能 |
| 基本攻速 | 12.88s/回 → 11.81s/回 |
| 迎撃標準攻速 | 12.88s/回 → 11.81s/回 |
| セイレーン作戦用補正 | 0% |
| 艦載機耐久 | 159 → 303 |
| 装備補正 | 航空+12 |
| 艦載機速度 | 60 |
| 艦載機最大回避 | 9 |
| 到達ダメージ係数 | 162 |
| 4 x 20mm九九式機関砲 |
| ダメージ | 29 → 53 |
| 基本攻速 | 1.24s/回 → 1.10s/回 |
| 機銃射程 | 36 |
| 機銃射角 | 80 |
| 2 x 500lb 爆弾 |
| ダメージ | 122 → 228 |
| 破壊範囲 | 19 |
| 投射範囲 | 36 * 36 |
| 対甲倍率 | 軽80 / 中90 / 重110 |
| 装備可能艦種 |
| 駆逐 | | 軽巡 | | 重巡 | | 超巡 | | 巡戦 | |
| 戦艦 | | 軽母 | ○ | 空母 | ○ | 航戦 | | 潜母 | |
| 砲艦 | | 潜水 | | 工作 | | 運送 | | 風帆 | |
| 備考 |
| 無し |
重桜・戦闘機
| 開発元装備 |
零戦三二型 |
| 必要素材 |
開発用艦載機設計図SSR | 3 |
耐食金属合金 | 12 |
軍需用電子部品 | 15 |
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説明文 †

九九式二号二〇粍銃4挺、30kg爆弾2発を装備した新鋭戦闘機
特徴・運用法 †

多数ある500lb爆弾を2発搭載した金戦闘機。重桜製。
その括りの中では基本攻速が少し早めで、艦載機速度がとても速いのが特徴。
飛行速度が速い一部の爆撃機・攻撃機の護衛として適している。
装備箱からは出現せず、作戦履歴で設計図を掘ることができるが、あまり周回に向いたステージではないのでオススメしない。
兵装開発にもラインナップされているものの、その場合だと同じ重桜製の紫電改二がより優秀な戦闘機であるために優先度が落ちる。
地道に科学研究での設計図が集まるのを待つのが無難か。
歴史 †

- 日本海軍の艦上戦闘機『A7M2 烈風』。
開発は零式艦上戦闘機と同じ三菱重工。開発計画時の名称は『十七試艦上戦闘機』
零戦の後継機を期待されるも、諸々の事情により終戦までに量産化を成し遂げる事が出来なかった。
- 日本海軍は零戦の配備を始めても無い1940年末に十六試艦上戦闘機の名目で、零戦を開発した三菱に開発を指示するつもりであったが
この頃の三菱は零戦の改良、一式陸上攻撃機、局地戦闘機雷電の開発など既存機の改修と開発で設計チームは手一杯であり、
指示を一旦先送りし1942年4月に改めて零戦の後継機として、海軍より三菱に対し開発が命じられた。
要求性能は最高速度:638.9km/h以上、上昇力:高度6,000mまで6分以内
航続力:全力30分+463.0km/h、巡航5.0時間(過荷重)、離陸滑走距離:合成風速12m/s時80m以内(過荷重)
降着速度:67ノット(124.1km/h)、武装:九九式20mm二号機銃2挺、三式13mm機銃2挺、その他:零式艦上戦闘機に劣らない空戦性能の確保
- 軍令部はこの先、高速化していく航空機の進化を見据えて、最高速約638km/h以上を絶対条件とし、
速度の為に空戦性能については零戦よりも多少の妥協も止む得ないという考えであったが
現場のパイロット達は、初戦の零戦の戦訓から高速化偏重に反対し、零戦並みの空戦性能を要求する
。結局、最高速度に関しては妥協し、零戦と同じく空戦性能を優先することになった。
これが原因で主翼は大型化し、烈風の機体が九七艦攻並みに大型化する原因となってしまい評価を落とす元凶となってしまった。
結果論ではあるが、現場は零戦が成した過去の成功に囚われ、戦争の推移を見れば軍令部の主張通りになっている。
ちなみに上記要求性能が出たのは1942年7月である。
エンジンは中島製誉エンジンと、自社製ハ43エンジン、どちらを積むかという問題もあった。
誉エンジンは既にこの時点で海軍の試験をパスしており、ハ43は誉より馬力が大きいが開発途中でありこの時点では誉しか選択肢は無かった。
しかし三菱は海軍の要求する翼面荷重値130kg/m2は誉では速度要求が満たせずハ43なら満たせると、
三菱と海軍との激論は四ヶ月にも及び実用化を急ぐ海軍は誉を決定する。
また追加要求で防弾性能について後付けしてせいで翼面荷重値は150kg/m2相当に達し、
結局試作機『A7M1 試製烈風』の完成は1944年までもつれ込んだ。
- ようやく性能試験にこぎつけたが、中島『誉』エンジンを積んだ試製烈風は試験すると、
新型機に関わらず最高速度は零戦二一型より遅く、
機体改修後でも零戦五二型と同じ程度だが総合力で劣るという悲惨な結果に終わった。
特に上昇能力が機体改修しても絶望的に低く零戦五二型は高度6000mまで7分程度で上がれるのに対し、
試製烈風は敵国F4Fの初期型と同じ10分近く掛かった。
烈風の悪評の多くはこの試製烈風A7M1の由来のものが多く、改良したA7M2と分けて考えるべきである。
またこの頃には高性能な川西航空機の局地戦闘機『紫電改』が次期主力戦闘機として量産体制に入りつつあり
艦上機型の紫電改も空母信濃で試験されており
1944年7月をもって烈風は開発中止となる。長年海軍の戦闘機を担ってきた三菱にとって
水上機の航空機メーカーである川西に先を越されたのは屈辱的だったらしく設計者は怒り狂った。
- この頃の誉エンジンは全力でもカタログスペックの8割程度の馬力しか出ないという欠陥品であった。
ただし誉は物によって当たり外れが大きい代物だったらしく、
フィリピンにおいて米軍が鹵獲した誉エンジン搭載の四式戦闘機疾風を試験した際は評価が高かった。
また川西の紫電改も誉エンジン搭載であり、紫電改もまた戦後試験した米軍において「極めて恐るべき戦闘機」だと評されている。
- 納得の行かない三菱開発チームは、海軍の許可を取った上で、ようやく開発が完了した自社のエンジン『ハ43』を烈風に搭載。
再試験を行った所、要求された性能を満たせることが判明した。
これを受けて、掌を返した海軍は三菱に対し試作機の引き渡しを要請、その後に制式戦闘機としてようやく量産を命じた。
- しかし既に戦況は悪化の一途を辿っており、B-29による空爆や東南海地震により工業力が著しく低下した日本では、
1年余後の終戦までに試作機を含め4機が生産されるに留まった。
戦後、残っていた烈風は公式には破壊、投棄されたため現存する機体は確認されていない。
- エンジンには試作機であるA7M1には2,000馬力の中島飛行機製『誉二二型』を搭載。後に性能不足と判断され、
量産機であるA7M2では2,200馬力の三菱重工製『ハ四三』に換装された。
最高速は624km/hを記録し、零戦を凌ぐ速度を誇る。A7M1の武装より強化され20mm機関砲を4門搭載。
零戦の7.7mm機銃x2挺、20mm機関砲x2門と比べて大幅に火力が向上している。
- 特筆すべきはその主翼の大きさ。
零戦や同時期の他国の戦闘機と比べても機体が一回り大きく、初期の九七艦攻程度の大きさがある。
この巨大な主翼は高い旋回性能を生み、格闘戦では優秀な性能を発揮した。烈風の開発要求の一つが零戦と同程度の格闘能力である。
模擬空戦ではフラップを使用した場合、零戦以上の旋回性能を誇った。
また零戦は400km/hを越えるとほとんど舵が利かなくなる欠点があり、
対峙する米軍にその欠点を突かれ続けたが烈風においてはその欠点を克服している。
- 一方で機体自体の大きさもあり大きな空気抵抗を生むため、急降下時の加速力は低く、
急降下をして離脱を計る米軍戦闘機を追撃するのは苦労するだろう。
ただし急降下制限速度自体は、零戦の時は強度不足で場合によっては空中分解する為、
抑え気味であったが烈風の急降下制限速度は米軍機とほぼ互角にまでなっている。
烈風の性能を控えめに見ても、零戦の時より遙かに進歩しているといえる。
- 防弾装備も烈風のそれは零戦の時より進歩したもののパイロットの背面防弾装甲板は薄く、
米軍戦闘機が装備する12.7mm機銃の前には気休め程度であった。
陸上機と艦載機で単純な比較は出来ないが、同時期の日本陸軍の戦闘機は13〜16mm装甲板を装備し12.7mm機銃弾に対応している。
一方、米軍のF6Fヘルキャットは0.5インチ(12.7mm)の装甲板を装備している。
- エンジンにも問題があった。
WW2において、連合枢軸問わず2000馬力級エンジンを大量生産した上で安定して稼働出来た国はアメリカ以外無い。
アメリカは高い工業力と技術力を用いて2,000馬力エンジンを大量に製造していたが、
日本ではようやく製造した2,000馬力エンジンも、故障や不調で悩まされる状態だった。
そして烈風に搭載されていた『誉』『ハ43』も、
どちらも熟練工の減少や資源の枯渇、整備員の教育不足、基礎工業力に由来する品質の低さが理由によって、故障が多発する物だった。
- 600km/hの高速度で飛行し、しかも零戦以上の格闘性能を誇る烈風は、順当に量産化が進んでいれば強力な戦闘機になっていたと考えられる。
機体スペックのみで判断すれば、当時日本軍を苦しめていたF6FヘルキャットやF4Uコルセアとも同格以上に渡り合えた可能性は高い。
ただしこの機体スペックは試作機のベストコンディションのもので、試作機同士であれば既に数百機量産されている紫電改のほうが高かった。
量産機ではスペックが落ちており、烈風もまた当時の戦局から見て品質の問題からスペックは落ちるだろう。
そして、優位に立てるとは言ってもそれはあくまで一対一の戦闘であり、空中戦の時代は編隊飛行による集団戦に移っていた。
そしてその分野では日本海軍は敵である米海軍はもちろん、味方である日本陸軍にすら数年遅れておりこの数年差は絶望的な力量となっていた。
日本海軍において例外は編隊飛行を本格的に取り入れた第三四三海軍航空隊ぐらいものだが
第三四三航空隊にしても1944年12月に編成された航空隊であり遅すぎたと言える。
また仮に烈風が量産されたとしても対する米軍はF6Fの後継機であるF8Fベアキャットの量産をし、1945年8月の時点で前線に輸送中であった。
烈風お得意の格闘戦も、F8Fは零戦以上の格闘戦能力を目標に設計されており勝ち目は何一つ無かった。
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