[[艦種別リスト>キャラクター/艦種別]] > ''神風''
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#contents

*基本情報 [#o602c0d6]
|CENTER:450|CENTER:84|CENTER:90|CENTER:84|CENTER:90|c
|~No.269|>|>|>|~プロフィール|
|&attachref(神風.jpg);|~名前|>|>|神風|
|~|~レアリティ|>|>|R|
|~|~艦種|>|>|駆逐|
|~|~陣営|>|>|重桜|
|~|~建造時間|>|>|00:20:00|
|~|~CV|>|>|朝日奈丸佳|
|~|~イラスト|>|>|NoriZC|
|~|~耐久|D|~火力|D|
|~|~雷装|B|~回避|A|
|~|~対空|D|~航空|E|
|~|~航速|>|>|45|
|~|~SD|>|>|&attachref(神風.gif);|
|>|>|>|>|~自己紹介|
|>|>|>|>|神風型駆逐艦の一号艦、神風じゃ。&br;第一駆逐隊に所属したわっちのこの名は、力強い響じゃろ?(笑)&br;大戦初期から太平洋諸島で転職し、伊達で艦隊の大先輩をやっておらんのじゃ。&br;こう見ても、対潜は得意じゃ。あの狼の群れとやらとの死闘を思い出度に血が滾るよのう〜|
|>|>|>|>|~入手方法|
|>|>|>|>|建造で入手|

|>|>|>|>|>|>|>|>|~ステータス(MIN/MAX)|
|CENTER:61|CENTER:95|CENTER:95|CENTER:61|CENTER:95|CENTER:95|CENTER:61|CENTER:95|CENTER:96|c
|~耐久|252|1301|~装甲|>|軽装甲|~装填|77|182|
|~火力|11|52|~雷装|77|362|~回避|72|187|
|~対空|26|121|~航空|0|0|~消費|1|7|

|~装備枠|~初期装備|~補正(MIN/MAX)|~最大数((各行動時に攻撃を行う砲座数や艦載機数))|
|CENTER:120|CENTER:369|CENTER:160|CENTER:160|c
|駆逐主砲|[[120mm単装砲T1B>120mm単装砲B]]|70%/75%|1|
|魚雷| |120%/140%|2|
|対空| |70%/75%|1|
|設備|-|-|-|
|設備|-|-|-|

|>|~スキル名|~効果|
|CENTER:60|CENTER:150|LEFT:610|c
|&attachref(img/歴戦の躯_icon.jpg,nolink,70%);|歴戦の躯|発砲時4%で発動。8秒間自身の回避が20.0%(最大レベルで50.0%)アップ|
|&attachref(img/全弾発射_icon.jpg,nolink,70%);|全弾発射-神風型I|自身の主砲で15回(IIで10回)攻撃する度に、全弾発射-神風型Iを行う|

//スキルアイコン→&attachref(img/スキル名_icon.jpg,nolink,70%);
//改造時に習得するスキルは色変え→BGCOLOR(#e9eefd):

|>|~上限突破|
|CENTER:60|LEFT:771|c
|~初段|全弾発射スキル習得/魚雷補正+5%|
|~二段|魚雷装填数+1/開始時魚雷+1/魚雷補正+10%|
|~三段|全弾発射弾幕強化/武器補正+5%|

|~全弾発射スキル|~特殊弾幕スキル|
|CENTER:415|CENTER:416|c
|&attachref(神風弾幕.gif);|-|

上記情報の参照元:[[http://wiki.joyme.com/blhx/>http://wiki.joyme.com/blhx/%E7%A5%9E%E9%A3%8E]]
*ボイス [#q0d1e494]
#region(クリックでセリフ一覧を開く)
|~入手時|第一駆逐隊、第一号駆逐艦――神風、参上じゃ。お主が指揮官とやらに相違ないかえ?これからは楽しくなるかのう。うふふ、わっちの働き、ご覧遊ばせ〜|
|~ログイン|あら、よぉ来たかのぉ〜今日は何か面妖なことでもするんかえ?|
|~詳細確認|ほほぉ〜指揮官はわっちのどこに興味があるんかえ?|
|~メイン1|最後まで持ちこたえるのが勝ち組よ!|
|~メイン2|ホークビル!わっちほどではないが正に兵(つわもの)じゃな|
|~メイン3|第五艦隊…良い奴らよのう…|
|~メイン4| |
|~メイン5| |
|~タッチ|はい?なにかのう|
|~タッチ2|ほれ、指揮官の煩悩が溢れんばかりよのう。わっちがお祓いしてやろうかえ?|
|~タッチ3| |
|~任務|奉公か。見にいくかえ?|
|~任務完了|はて?奉公の給金かえ?どれ、運ぶ時は気を使うんじゃぞ!|
|~メール|伝書…ユニオンのお使い、じゃないのかのう…|
|~母港帰還|そら、今日も無事帰れたのう!褒美にわっちの栄養飲料でも飲め!ほれほれ〜遠慮せんで|
|~委託完了|今日も委託とやらを無事来なしたか。うむ、大儀じゃ!|
|~強化成功|うむ、元気溌剌じゃ〜(笑)これでまた大暴れできるよのう〜|
|~戦闘開始|潜水艦と魚雷には注意せえ。全力で行くのじゃ!|
|~勝利|ほれ!これぞ年季による実力じゃ!|
|~失敗|うぐぅ…この性能じゃやはり追いつけんかのう…|
|~スキル|一騎打とはいかずすまんのう|
|~損傷大| |
|>|BGCOLOR(#FFFFFF):COLOR(GRAY):CENTER:~▼好感度系|
|~失望|指揮官は存外つまらぬ輩よのう|
|~知り合い|指揮官。装備を新旧で評するのは丁稚三下のすることじゃ|
|~友好|趣味?三度の寝食に指揮官をいじることかのう。(大笑い)その顔が見たかったのじゃ |
|~好き|はて、指揮官はどんな子が好みかのう〜わっち?それともおしとやかな?ーーそれはまことか?そーれ、しかと録音したわい☆はて、その子に聞かせてやるかのうー|
|~ラブ|(小声)指揮官…お主のこと、気に入っているのじゃ♡ーーはて、指揮官、顔が熱いのう〜耳元まで真っ赤になっとるえ|
|~ケッコン|指揮官、今ならまだ翻意しても遅うないぞ〜そうそう、じっくり、この神風のことをようお考え遊ばせ〜&br;うん?扉?はて、どうやら鍵をかけておったわい〜まったく困ったものよのう〜|

#endregion
*ゲームにおいて [#y943775b]
**性能 [#bf41d1f4]
-概要
--低コストかつコスト相応の性能を持つ駆逐艦。
--他国の駆逐艦より回避が高く、やはりズバ抜けた雷装値を持つなど、重桜らしさは押さえてある。
---全体的な性能は、駆逐艦最弱を争う[[睦月]][[型>如月]]に1本毛が生えた程度となっている。実際は神風型のほうが旧式なのだが…

-攻撃面
--火力は、主砲補正が100%を大きく割っていることもあり全く頼りにならない。
--装填が高く、全駆逐艦で9位。全弾発射が前方に濃密な弾幕を発生させるので、発射速度最重視で全弾を回すのがよいだろう。
--魚雷は重要なダメージ源。高い装填が活きて回転も速い。特化型の重桜駆逐には及ばないものの、そこらの他国のレア艦より高いダメージを叩き出す、神風の生命線。
---ただし耐久が無いに等しいので、接射を狙いに行くなら敵の攻撃をよく見極め、回避スキル発動中に前進するなど、カウンターを貰わぬよう細心の注意を払おう。

-スキル
--装填の速さがスキル「歴戦の躯」のトリガと噛み合っており、[[76mm砲]]を持たせるとポンポン発動する。
---もとの回避が高水準のため、上昇幅は大きい。生存性はコレが唯一の頼りになる。
--発動条件が被弾のエルドリッジや、一定時間ごとの「緊急回避」に比べると完全回避ではないものの、高い頻度でに回避を上昇させられるのはメリット。
--[[時雨]]と神風は特徴がとても似ており、攻撃面では時雨の方が優れている。
---一方で神風は、燃料消費と装填・回避で優れているため、状況に応じて使い分けるのが重要といえる。

-コスト
--神風の一番の特徴。特別に''通常の燃費ルールから外れた低燃費艦''で、レアのくせに初期で''1''しか無くノーマル駆逐艦と同じ様な燃費である。

自動操作には全く向かない性能で手動操作が必須のうえ、魚雷や全弾発射が主ダメージソースなど相当にクセが強いが、
上手く操作できればコストパフォーマンスにかけては随一。
本作中でも屈指の玄人向けキャラである。~

無凸では優秀な全弾発射を使えないため、他のN駆逐との差がほとんどなく、性能面ではあえて神風を選ぶ必然性はない。
独自性という観点からは、完凸Lv100での最低コスト艦の中で全弾発射が比較的優秀、という点になるだろう。
この点は、神風同様にレアリティに対するコストが低い[[夕張]]にも言える。~

お手軽な、[[フレッチャー]]基点の低燃費隊のようにシナジーは望めないものの、
例えば「少人数レベリング周回をしたいが、あと1手だけ戦力が欲しい」という需要を埋めてくれる、小回りの効くのじゃロリお狐さまとなっている。~

12/15のアップデートにてボイスが実装。~

**オススメ装備/編成 [#rdb1030b]

スキル"歴戦の躯"を効果的に発動するには、発射速度の速い[[76mm砲]]が適している。
火力も主砲補正もボロボロなので、砲撃でダメージを取ろうという考えはバッサリ捨てて良いだろう。

''[[610mm三連装魚雷]]''
接触ダメージですら痛手になるので、接近しての事故を防ぐために、単発ダメージとリロード速度に優れたコレで中〜近距離から狙撃するのもアリ。

''[[迷彩塗装]]''
回避を底上げして歴戦の躯の効果を高める。

''[[電気式揚弾機]] または [[自動装填機構]]''
装填速度を高めてスキル発動率を高める。
**キャラクター [#j2f3dc02]
-「カンレキ」の長さをダシに指揮官をからかってくる。古風的な喋り方から現代ものに疎いイメージを持たれるが、電子機器には意外と詳しく物好きな一面も。戦いに対してシリアスに考えており、自らの武勲に誇りに持っている。(公式Twitterより)
-一人称は「わっち」。古風な口調が特徴的なのじゃロリ。
*元ネタ [#o6161fc6]
-八八艦隊計画で計画された神風型駆逐艦、そのネームシップ。1922年9月25日進水、同年12月28日就役。
--実は神風型駆逐艦には初代と2代目が存在し、初代は1905年〜1928年にかけて就役している。ここでは2代目の彼女について記述する。
-睦月型の前級にあたる旧式駆逐艦でありながら、太平洋戦争を最後まで駆け抜けた武勲艦である。
その中でも米潜水艦「ホークビル」との戦闘は特に有名。
-前級にあたる峯風型の野風、沼風、波風(全て未実装)と共に第1駆逐隊を編成した。
-前述の通り終戦まで生き残り、戦後は復員船として運用されていたが、最期は御前崎沖に座礁した海防艦「国後」の救援に向かうも自らも座礁。
駆逐艦や曳船による引き下ろしを試みるも失敗し、2隻ともに放棄された。

#region(戦歴欲張りセット)
-大日本帝國海軍が建造した神風級駆逐艦一番艦。八八艦隊計画で建造が決定し、三菱重工長崎造船所で1921年12月15日に起工。1922年9月25日に進水し、
1922年12月28日に竣工した。竣工後、横須賀鎮守府第一駆逐隊に編入された。
--神風型駆逐艦は、前級の改峰風型(野風型)を改良したものだった。復元性や安定感を増大させるため全幅が少し大きくなっている。
しかし排水量が増加した事で速力は37.25ノットに低下している。神風には新開発の艦本式オールドギヤード・タービンが採用されており、
故障に悩まされていたパーソンズ式ギヤード・タービンに代わる新型エンジンとなった。
八八艦隊計画では27隻の建造が予定されており、「風」に関する言葉から命名されるはずだった。ところが27種類もの言葉を選ぶのは不可能とされ、
苦肉の策として数字を用いるようにした。神風型一番艦には「第一駆逐艦」という無味乾燥な艦名が与えられた。
神風は、その名の通り「神の吹かせる風」を意味する。一般的には文永の役と弘安の役で、元の軍艦を沈めたとされる風を指す。
--神風型は全部で27隻建造されるはずだったが、ワシントン海軍軍縮条約により計画が破綻。27隻から9隻の建造に大幅縮小されてしまった。

-1923年2月18日、第一駆逐隊は呉を出港し、南洋方面で演習航海。3月22日に横須賀へ帰投した。8月25日、横須賀を出港。中国沿岸で演習航海をしていたが
9月1日に関東大震災が発生。急遽演習を取りやめ、徳山に入港する。そして9月6日から30日にかけて東京湾で救助活動を行っている。
-竣工時は第一駆逐艦と呼称されていたが、1928年8月1日に神風級駆逐艦神風に改名。艦を数字で呼ぶ事に不満を覚えていた用兵側には喜ばしい変更だった。
12月10日より大湊要港部所属となり、北方方面の哨戒に就く。
-1933年3月3日午前2時32分、三陸沿岸にて大地震と津波が発生。行方不明者309名、負傷者161名を出す惨事に発展した。横須賀鎮守府は神風、野風、沼風を急派。
被災した地域に慰問品を届け、連日海上の警備を行った。気仙沼警察署が災害対策本部となり、神風及び野風の艦長と第一駆逐隊司令小林大佐が会同した。
8月25日、横浜沖で昭和八年度特別大演習観艦式に参加。神風型と峯風型で構成された第七列に連なった。
-1936年8月29日午前8時、運送艦襟裳に横付けし重油180トンの補給を受ける。午前11時30分、完了。
-1937年6月10日午前4時、北方のロシア沿岸で蟹漁をしていた漁船がソ連の巡視船オスロコイに横付けされ、武装官憲8名が乗り込んでくる事件が発生。
漁船は至急電を打ち、神風、沼風、波風の各艦長に助けを求めている。北洋漁場を巡って日露が抗争しており、この事件も抗争の一角だった。
8月8日、運送艦襟裳より重油255トン、真水27トン、生糧品の補給を受ける。
-1940年4月、支那事変にて大湊東港部管内防備及び事変関係者の輸送に務めたとして勲労甲の評価が下された。
--1940年に入っても、北洋漁場を巡る諍いは続いた。4月に入ると、カムチャッカ半島西岸に向けて蟹工船が送られる。神風が所属する第一駆逐隊は
北海道周辺で訓練待機。「月月火水木金金」の精神は健在で、日々猛特訓が続いた。それが終わると、士気高揚のためのボートレースが開催される事に。
応援団は後部甲板に集まり、「われは神風、名のごとく、神の助けはわれにあり…遮るものはブッ飛ばせ!」という先任将校が即席で作った応援歌とともに
拍手の練習が行われた。レース当日は日の丸の扇子を持ち、顔に墨でヒゲを書き、主砲指揮所から総員を叱咤した。
同時期に神風座という有志の芸人チームが結成された。娯楽のない北方方面では大変重宝され、先任将校も道具係りとして奔走した。
--出港が近づくと、先任将校の計らいで乗組員全員に酒が振る舞われた。先任にも酒が振る舞われ、酒を飲まなければ士官ではないという信念の下、全て飲み干した。
酩酊状態となった先任は4、5人の乗組員によって部屋へ担ぎ込まれ、明日の甲板掃除は無くなった。
--そして出港の日がやって来た。神風は千島列島に沿って北上。択捉島を過ぎた頃、金庫にしまってあった暗号書を取り出してソ連警備隊の動向を探った。
占守島の片岡湾に到着し、ここを基地として無線の傍受に務める。
--6月中旬の午後、日本漁船拿捕の通信が傍受された。「日本船をハリューゾフ河口に抑留す」「日本人を尋問中」と次々に情報が入ってくる。
ただちに各駆逐艦長が神風に集められ、先任将校がロシア語で解放要求の文面を書く。
翌朝、ハリューゾフの漁場に到着。「内火艇用意!特別臨検隊員整列!」号令の下、3名の臨検隊がソ連の漁場へ向かった。解放要求の書面を漁師に渡し、退却。
第一駆逐隊は圧力と威嚇のため、日本船が抑留されているであろう河口の沖合いに展開。昼間は操砲教育、夜間は照射訓練を行い、ソ連警備隊を揺さぶった。
司令官とハリューゾフ地区隊長の通信を解読した結果、「日本船を解放せよ」の一文を発見。翌日午後2時に解放され、第一駆逐隊は任務を全うした。
助けられた蟹工船は、そのお礼に大きな洗濯桶十数個に入れられた蟹を第一駆逐隊へプレゼントした。
--作戦成功を祝してか、ハリューゾフ沖でタラ釣り競争が行われた。まず大根の切れ端でカレイを釣り、それを甲板上で叩き殺してタラの餌にした。((カレイの肉は不味く、とても食えたものではないらしい。))
たまにカジカも釣れたという。士官が狙う一等の獲物はオヒョウだった。北海のヒラメと呼ばれるオヒョウは軍医長が唯一刺身にして食べる事を許可した魚で、
こぞって狙ったが滅多にしか釣れなかった。最初に釣り上げたのは機関長だった。その後、贈られた蟹をフライにして総員に振る舞われた。
士官の夕食には蟹のハサミが刺身にされて出た。そして第一駆逐隊は片岡湾に帰投した。
--しばらく平穏な日々が続いていたが7月末、神風の通信班が「日本船難破」の情報を入手。場所はカムチャッカの南端、ロバッカ岬の西岸。
神風は現場に急行したが、そこに漁船の姿は無かった。代わりに「日本人を抑留」というロバッカ岬警備隊の通信が傍受された。すぐに釈放要求文書を作成し、
ソ連軍の守備隊に渡した。ところが今回は上手くいかなかった。
抑留者をペトロに移送すべく2隻のMO艇が派遣される事になった。第一駆逐隊が航路で待ち伏せていると、いち早く日本艦隊の存在に気付いたMO艇が
救援要請を発信。フリケード艦ゼルジンスキー号が派遣された。暗号解析でゼルジンスキー号を捕捉すると「交信したき事あり」と信号を送るが、相手は無視。
4隻の駆逐艦は800トン程度のゼルジンスキー号を追跡し、しばらく追い回したが、相手はハリューゾフに行き先を変更。国境をまたがれては手出し出来なかった。
ここで抑留者救出を断念し、片岡湾に帰投する。

~
-1941年12月8日に大東亜戦争が勃発した時、神風は大湊警備府千島列島防備部隊に所属していた。既に艦歴が20年になっていた神風は当然旧式艦で、
最前線に投入される事は無かった。代わりに北海道・千島間で哨戒任務に従事。
-1942年1月7日からは厚岸を拠点に、北海道の南東を警備。5月29日、アリューシャン作戦支援のため幌莚を出港。アリューシャン方面の哨戒を行った。
-7月19日、千島列島温弥古丹海峡カパリ埼で座礁した球磨川丸を救助。24日、択捉島を砲撃した米潜水艦の迎撃に向かったが、発見できず。
-10月26日から30日まで、アッツ島に向かう輸送船団を支援。11月5日、再び船団を支援。作戦後の13日、大湊に入港。整備後、津軽海峡で哨戒。
-12月31日午前6時、運送艦鶴見より補給を受ける。
~
-1943年1月14日、大湊を出港し船団護衛。3月25日に室蘭へ入港した。4月25日18時、幌莚を出港。上陸を受けたアッツ島の救援に向かったが、
道中で陥落したため反転。
-6月6日17時45分、カムチャッカ半島南端ロバトカ岬沖で、漁船第二長重丸を砲撃する米潜水艦S30を発見。しかし時既に遅く、第二長重丸は沈没した。
-8月5日、小樽を出港。千島方面へ向かう船団を護衛する。9月19日午前8時、前回と同様に小樽を出港。キ803船団を護衛しつつ千島方面に向かっていたが、
道中で利山丸が被雷して沈没している。10月29日にも同様に船団護衛。
-12月17日、大湊に入港。入渠して整備を受ける。翌18日、沼風が沈没し渡辺司令が戦死したため、神風艦長の春日少佐が司令を兼任。
~
-1944年2月9日から3月8日まで函館で整備。3月15日、北東方面艦隊千島方面根拠地隊に転属。船団護衛に従事し続ける。
3月30日、パラオ本島に停泊していたところへ米機動部隊の空襲を受ける。艦載機数十機が襲い掛かり、神風と運送船石廊に反復攻撃を浴びせてくる。
パラオ在泊艦艇にかなりの被害が出たが、辛くも助かった。
-9月8日、被雷で損傷した波風の救援に駆けつけ曳航。小樽まで無事に連れ帰った。
-11月25日、空母海鷹とともにヒ83船団を護衛。行く手には米艦載機や潜水艦の遊弋する危険な海域が待ち構えていた。12月3日、米潜パンパニトとパイプフィッシュの
襲撃により貨物船誠心丸が被雷、護衛の第64号海防艦が撃沈される。海南島南端の楡林港に一時避難した後、予定の航路に戻りシンガポールへ辿り着いた。
-12月15日、北東方面艦隊が解隊となったため、千島方面根拠地隊は暫定的に第十二航空艦隊に編入。17日より大湊で整備を受け、
22号電探を新たに装備した。連合軍のレーダーにより十八番の夜戦が通用しなくなった事を痛感した神風では、電探を徹底的に整備。最高の状態に仕上げた。
同時に電測学校を卒業した乙種幹部候補生が乗り込み、電探の整備に当たっている。
~
-1945年1月10日、第一駆逐隊は連合艦隊に転属。第一護衛部隊に部署した。三日後、出渠。所属の変更に伴い、瀬戸内海西部へと回航された。
1月26日、ヒ91船団を護衛して門司を出港。基隆まで送り届けた。現地で、駆逐艦天津風に赴任する約50名の水兵が神風と野風に分乗。
-2月14日、北号作戦に参加中の第四航空戦隊と合流。翌15日まで伊勢と日向を護衛、台湾海峡を北上した。
その後、シンガポールに回航されたが、道中のカムラン湾近海で野風が米潜水艦の雷撃を受けて沈没。神風は対潜掃討を行い、艦長以下21名の救助に当たった。
-米艦隊に封鎖された危険な海域を突破し3月22日、シンガポールへ入港。翌日、第十艦隊司令福留中将が来艦し、艦内を巡視した。
血気盛んな神風乗員は、勢いを増す英東洋艦隊と一戦交えてみたいと考えていた。
北号作戦により、南方に残っていた有力な艦艇は全て出港。神風は、シンガポールで唯一稼動可能な駆逐艦だった。同様に稼動が可能だった重巡足柄や羽黒と
訓練する機会に恵まれ、より錬度を高めた。
-4月1日、戦没艦が相次いだ事で第一駆逐隊は解隊。神風は単独で連合艦隊に所属した。同月9日、神風は羽黒を護衛して出港。ジャカルタを目指す。
シンガポール防衛のための兵力輸送と、ジャワ島の抗日勢力に圧力を掛けるのが目的だった。11日午後6時、ジャカルタに入港。
ここで陸軍部隊約700名を収容。敵の目から隠すため、暗くなってから収容作業を行った。
-神風は単独でサイゴンへの輸送任務に従事。5月5日、シンガポールに戻ってきた。

-シンガポールの西方にあるアンダマン諸島では陸軍の部隊が孤立していた。物資も欠乏しており、陸軍から補給の要請を受けた第十方面艦隊は
稼動状態にある重巡羽黒と神風を投入。第101海軍工作部のドックに入渠し、物資の積載量を少しでも増やすべく、武装の一部を降ろしている。
空いた場所には25mm単装機銃を大量に取り付けた。そして帰路には傷病兵を乗せて帰る予定だった。
5月9日、アンダマン諸島へ兵員や物資を輸送する重巡羽黒を護衛してシンガポールを出港。艦長の春日少佐はデング熱により艦長室で寝たきりの状態だった。
5月15日、英哨戒機によって発見される。翌16日にイギリス第26駆逐隊のレーダーに捕捉され、午前2時10分に第二次世界大戦最後の水上戦闘ことペナン沖海戦が生起。
搭載量増加のため魚雷発射管を外していた神風に決定打は持ち得なかった。煙幕を張って、羽黒をかばいつつ懸命に抵抗するが、戦況は非常に厳しかった。
神風も右舷後部の居住区に命中弾を受け、27名が死亡。14名が負傷した。
たった2隻で強力な敵駆逐隊に挑み続けたが、やがて羽黒から離脱するよう命じられる。午前2時50分、レーダーが捉えた陸地の方角へ退却し始める。
戦場に残された羽黒は、雷撃により沈没。辛くも包囲網を突破した神風はペナンに逃げ込んだ。その後、物資を降ろし燃料補給を済ませると再び出港。
ペナン基地が放った2機の水偵に誘導されて現場海域に舞い戻り、漂っていた羽黒の生存者320名を救助。ペナンまで連れて帰った。
-6月4日、今度は重巡足柄を護衛してシンガポールを出港。英印軍の猛攻で、タイに向かって敗走しているビルマ方面軍を支援すべく、増援部隊を送ろうと考えていた。
翌5日、バタビアに入港。陸軍部隊と物資を積載し、シンガポールへ踵を返した。ところが、この動きは米潜水艦に監視されており、付近を哨戒していた
英潜水艦トレンチャントにも情報が届いた。
6月8日0時37分、バンカ海峡で英潜水艦トレンチャントの襲撃を受け、足柄が沈没。対潜掃討後、乗組員853名と便乗の陸兵400名を救助。
何とかシンガポールに入港した。足柄の沈没を以って、シンガポールで戦える艦は神風ただ1隻となってしまう。
6月12日、タンカー東邦丸を護衛してシンガポールを出港するも、三日後にB-24の爆撃を受けて東邦丸が沈没。神風も損傷した。
またしても護衛任務に失敗し、生存者200名を救助して退却する。
~
-日本本土は連日激しい爆撃に曝され、沖縄とフィリピンは陥落して本土との連絡は途絶。戦艦大和も沈没し、何もかもが絶望的な状況であった。
帝國陸軍は仏印とマレー半島を最終防衛ラインに定め、神風はその兵力輸送任務に追われていた。シンガポールから油を積んだ油槽船を仏印に輸送し、
帰り道に米を積んでシンガポールへ持ち帰っていた。敗色濃厚の戦況で、神風が高い士気と錬度を維持できたのは春日艦長の人柄のおかげと言われる。
-7月17日、小型タンカー3隻を護衛して出港。仏印のハッチェン港を目指して航行し始めた。いつものようにマレー半島に沿って北上。
この航路は水深が浅い所が多く、敵潜水艦の襲撃を抑えられるとして有用だった。だが一番の難所としてプロテンコール沖があった。
ここは水深30〜60mあり、必ず敵潜水艦が潜んでいたのだ。
-翌18日13時、船団は予定通りプロテンコール沖に到達。そして陸地ぎりぎりのところを航行し、敵潜水艦の出現に備えた。
護衛を務める神風は単独で沖合いに進出、之字運動をしつつソナーで眼下の敵を探った。結果、反応あり。いつものように敵の潜水艦が待ち伏せていた。
その敵潜水艦こそ、バラオ級潜水艦ホークビルだった。新鋭艦であるホークビルは一早く神風の存在を探知。雷撃準備に取り掛かった。
旧式艦に過ぎない神風の命運尽きたかに思われたが……。
--さっそく雷撃を受け、6本の魚雷が扇状に伸びてくる。その瞬間、神風の艦橋にベルが1回鳴り響いた。事前の取り決めで、ベル1回は「右舷に雷跡確認」、
ベル2回は「左舷に雷跡確認」という意味が周知されていた。これは少しでも早く魚雷を発見するための、神風独特の体制だった。
雷撃される事をあらかじめ予測していた春日艦長は「面舵一杯!」と叫んだ。対応の素早さが功を奏し、全て回避に成功。20分後、神風はホークビルを探知し接近。
--魚雷を回避した敵艦を見て、「只者じゃない」と思ったのはホークビル艦長スキャンランド少佐であった。ここで攻撃目標を船団から神風に変更。
手ごわい敵を先に仕留める事にした。こうして神風対ホークビルの一騎打ちが始まった。神風のソナーは旧式である一方、ホークビルの装置は新式だった。
最初の雷撃から1時間30分後、ホークビルは二回目の雷撃を行う。神風に向けて3本の魚雷が放たれ、スキャンランド少佐は勝利を確信した。
雷撃後、沈みゆく敵艦を確認しようと潜望鏡を上げた。そこには、無傷で浮かぶ神風の姿が映っていた。春日艦長の「3度、面舵のところ」という命令で
魚雷は神風の2m横をすり抜け、ぎりぎり命中しなかったのだ。いわゆるチョン避けである。すかさず距離を詰めると爆雷攻撃を行い、ホークビルに有効弾を与える。
まさかの反撃を受け、驚愕するスキャンランド少佐。既に撃てる魚雷はもう無い。慌てて急速潜行を試みるが、被弾の影響でホークビルの艦首が海上に突き出た。
そこへ神風は艦尾の40mm連装機銃を撃ちかけた。これは機銃員の独断だったという。決死の抵抗を受け、ホークビルはベントを全開にして強引に潜行。
何とか海中に身を沈めるが、強引に潜行したため浸水やバルブが破損。さらに頭上では神風から放たれるソナー音が響いた。
少しでも音を立てれば沈められる状況だった。乗組員は極力静かに応急修理を行った。
--一方、神風では敵潜水艦が沈んだ場所に重油や艦の破片が浮いてきた事から、撃沈したと判断。ソナーで4時間に及ぶ海中探査を行ったが、潜水艦らしき
反響音が無かったため船団護衛に戻った。19時20分、別の米潜水艦2隻から雷撃されたが、これも回避。凄まじい強運で死地を乗り切った。
何とか助かったホークビルだったが、無線やジャイロコンパス、音響兵器、温度計等が破壊され追撃どころではなかった。日付が変わって0時30分、ようやく浮上。
満身創痍の体で、どうにか帰港に成功した。
-その後も神風は強運に恵まれた。米潜水艦や爆撃機が矢継ぎ早に襲ってきたが、魚雷15本を全て回避。敵爆撃機2機を撃墜して、シンガポールまで生還した。
-そして8月15日の終戦を、シンガポールで迎えた。神風型9隻中、生き残ったのは神風と春風のみだった。
~
-戦争は終わったが、外地には600万人もの将兵や邦人が取り残されていた。損傷が少なかった神風は10月5日に除籍され、修理。
そしてシンガポールからの引き揚げ艦第一号として、11月28日に出港。英司令部に上京を命じられた福留元中将を乗せて、内地に向かった。
道中の12月1日、復員用の特別輸送艦に指定され再就役する。8日、浦賀へ到着し武装解除を受ける。艦尾には復員兵を収容するための家屋が作られた。
1945年11月、神風は仏印のサイゴンから復員任務を始めた。連合軍の命令で10万人を超える人員を労役に就かせる事になったため、サイゴンから
連れて帰れる人数は少なかった。
黙々と復員任務をこなしていく神風。復員任務が完了すれば、賠償艦としてイギリスか中国に引き渡される可能性があった。
-ところが1946年6月7日、静岡県御前崎沖で座礁した海防艦国後を救助すべく向かっていたところ、自身も座礁して動けなくなる事故が発生。
離礁作業が行われたが、2隻とも救助不可能として放棄された。幸い、座礁による死亡者はいなかった。6月26日、復員船の指定を解除。その場にて解体され、
1947年10月31日に完了。異国の地ではなく日本の海で死を選んだかのような最期であった。
~
-戦後、ホークビルの艦長だったスキャンランド少佐は、強敵神風の艦長を探していた。1953年11月、春日元中佐(終戦時に昇進)の下へ手紙を送った。
そこには神風の健闘と春日艦長の手腕を称える文章が綴られていた。これを見て春日元中佐は安堵し、「無事で良かった」と胸を撫で下ろしたという。
こうして二人は文通を始めた。互いに会う事を希望したが、春日元中佐には妻の介護と材木商が、スキャンランド少佐は軍務があって叶わなかった。
代わりに海上自衛隊に入隊していた元神風水雷長・伊藤二佐が、神風の油絵を進呈。絵を受け取ったスキャンランド少佐は部屋に飾り、家族とともに写った
写真を春日元中佐に贈った。このやり取りは、二人が死没するまで続いたという。

-余談だが、映画「眼下の敵」の冒頭にある戦闘シーンは神風対ホークビルを参考にして作られた。またアメリカ海軍では、ぎりぎりの所で魚雷を回避した
神風の操艦を教本に載せている。

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